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阿波の国発心の道場


  • 9/13 初めての遍路の旅どうなることやら
    自宅→新幹線岐阜羽島駅→岡山駅→JR徳島駅→JR板東駅→(1番)霊山寺→(2番)→(3番)金泉寺→JR板野駅から徳島市へもどる(徳島東急イン)

  • 9/14 今日も元気に歩くぞ
    宿→徳島駅→板野駅→(4番)大日寺→(5番)地蔵寺→(6番)安楽寺→(7番)十楽寺→(8番)熊谷寺→(9番)法輪寺→(10番)切幡寺→(11番)藤井寺→鴨島駅へ→徳島のビジネスへ

  • 9/15 初めての遍路ころがしへ
    徳島のビジネス→鴨島→(11番)藤井寺→長戸庵→柳水庵→浄蓮庵(一本杉庵)→(12番)焼山寺→杖杉庵→一宮神社→名西旅館 花

  • 9/16 小学生にお世話になるへんろ道
    名西旅館花→(13番)大日寺→(14番)常楽寺→(15番)国分寺→(16番)→(17番)井戸寺→(18番)恩山寺→(19番)立江寺→民宿金子や

  • 9/17 こちらの遍路道も大変だ
    民宿金子や→(20番)鶴林寺→(21番)太龍寺→(22番)平等寺→(23番)薬王寺→ビジネスホテル・ケアンズ

  • 9/18 今日で一回目が終わる
    喫茶山茶花〜(23)薬王寺〜(別格4)鯖大師(へんろ会館)

9/13 晴れ気温32℃1日目 初めての遍路
自宅→新幹線岐阜羽島駅→岡山駅→JR徳島駅→JR板東駅→(1番)霊山寺→(2番)→(3番)金泉寺→JR板野駅から徳島市へもどる(徳島東急イン)

 今回、初めての歩き遍路ということで、参拝用品は通販などで用意した。歩くことも毎日5Kmほど歩いて練習してきたが自信はない。40Km走れといわれれば走れそうな気はするが歩くことは ?。連れ合いと二人連れなので相手のことも気遣わないといけないし、特に気をつけて歩く。列車の時間の都合で徳島折り返しになる。13時24分板東駅を降りる他には誰も降りてはこない私たちのみである。タクシー会社の横の道を歩く、50m程先のT字路を左折する。1番番への道案内があり右折する。暫らく歩くと右側に

1番 霊山寺がある。13時40分に着く。遍路発願成就を祈願するお寺である。お詣りを済ませて納経所へ。納経所の横には遍路用品を売る売店があり、ここで通販では送料が高いので買い求めてない大きなものと長いもの、金剛杖と菅笠を買い求める。菅笠は私は小さいものを相棒は一回り大きいものを買い求める。これですべて用意でき晴れて遍路人になれたかな--。このお寺には「歩き遍路者名簿」なるノートがある。歩き遍路が歩き初めを記すノートで、日付・住所・氏名を記入する。結願しお礼参りの時に赤で日付を記入するようになっているのだ。何年かかっていいですからと言われるので書かせてもらう。登山のときの入山記録のようなものだ。

霊山寺の境内

このお寺が一番になった理由は高野山から下って阿波の港、撫養の港に一番近かったからだという。また最初に解脱をなされたお釈迦さまが本尊だ。ここから五穀の法則に従って、右回りで巡るのが一般的だ。参詣後仁王門で知らない人にシャッターをおしていただいて記念の写真を撮る。結果的にこれが最初で最後の2人連れの写真である。次の2番へは県道を西へ川を2つ渡ると右側へ入ると2番 極楽寺である。20分ほどで着いた。漁師の信仰を集めていたこのお寺の阿弥陀堂で大師が修行中に阿弥陀如来を感得し像を刻み本尊とした。ところが、像が発する光が海まで達し、漁や航海の妨げになったので人工の山を築いたという。このことから日照山という山号がついたといわれる。境内には大師が植えられたという樹齢1000年の「長寿杉」やお釈迦様の足跡を祭る仏足石、安産大師、などがあり手入れの行き届いたお庭もゆっくり見たいもの一つです。仁王門前からこんどは畑や薮のまわりを通り遍路道を歩きます。県道12はもう1本先にあるのでこちらは旧道なのでしょうか、車もほとんど通らないので安心して歩けます。高速のインターチェンジからの道路の下を通りすぎるとまた遍路道らしくなります。田んぼ道や民家の庭先を通る遍路道です。暫らくすると3番 金泉寺に着きます。2番からはおよそ40分かかりました。

名前の基になった黄金井

金泉明寺と称していたが、水不足に悩む住民のために井戸を掘った。霊水が湧き出たことから黄金井(こがねい)とし、寺を金泉寺と改めた。今も井戸は黄金地蔵とともに祭られている。境内にはほかに弁慶の力石がある。初日はここまてで徳島のビジスホテルへ戻ることにする。遍路道を歩き途中からそれて板野駅へ行く。駅は近かった。宿は徳島駅前の徳島そごうのビルにあり、通り抜けるかぐるりと回らないとたどり着>けない。夕食は町を見学ついでに食べにでる。駅ビルで美味しそうなものがあったのでそこで食べる。もう一日同じところで食べることになるとは思わなかったが。ビジネスは部屋に入れば誰にも気兼ねもしなくてもいいし、鍵も掛かるので安心である。風呂で洗濯をしてひもを張り干す。

           宿泊先
徳島東急イン

電話番号:088-626-0109  FAX : 088-626-0686 
  http://www.tokyuhotels.co.jp/
住   所:徳島県徳島市元町1-24
宿泊料金:1泊素泊まり(ツインルーム) 9,400円
トイレ(洋式)、洗濯機、乾燥機


9/14 晴れ気温31℃2日目 今日も元気にあるこう
宿→徳島駅→板野駅→(4番)大日寺→(5番)地蔵寺→(6番)安楽寺→(7番)十楽寺→(8番)熊谷寺→(9番)法輪寺→(10番)切幡寺→(11番)藤井寺→鴨島駅へ→徳島のビジネスへ

  5時30分におきて用意する。夕べ駅のコンビニで買い求めたおにぎりを食べる。出発の準備をしでかける、今晩もまたここなのでいらないものは置いてゆくことにする。6時43分発に乗り板野へ、駅前を出て左折するとまもなく遍路道と一緒になる。愛染院の前を通り過ぎ遍路道を歩く小さな川のところで工事中のため迂回して歩く、車道にでると直ぐに4番 大日寺である。板野駅から1時間15分ほどかかった。駐車場の先に朱色で目立つ鐘楼門が周りの山に映える静かなお寺である。本堂と大師堂は回廊で繋がっており、回廊には33体の木造千手観音像が安置されている。次の5番へは先ほどの車道を高速まで戻る。そこから先の遍路道は分かれている。5番の裏の奥の院でもある五百羅漢を過ぎると南側が5番 地蔵寺である。ここまで30分。こじんまりした仁王門であるが境内は広々してゆったりとしている。
境内の大銀杏

奥の院の五百羅漢像は等身大の大きさがあり、88ヶ所中唯一だという。また境内の2ヶ所に水琴窟がある。1ヶ所は本堂横の地蔵尊。もう1ヶ所は大師堂横にある。樹齢800年の大銀杏の木があり広い境内に日陰をもたらしている。いまも孫を連れたお年寄りが休んでみえる長閑な風景である。6番までは歩くと1時間半ほどかかるので今回はタクシーで移動する。民宿森本屋の横を通り消防の西部署の裏にあるタクシー会社にいって車を待つ。

 6番 安楽寺まで1,400円であった。この寺はもともとは安楽寺谷という谷間にあったが、兵火で全焼したので、江戸時代に駅路寺だった瑞雲寺と一緒になってこの地に移った。宿路寺とはお遍路さんを泊める藩指定のお寺のことで、今でも88ヶ所最大の宿坊がありお風呂はラジウム鉱泉や薬草の湯である。山門を入ったところにあるトイレは88ヶ所のモデルトイレで綺麗で、外観もモダン。7番 十楽寺へは遍路道を20分ほど歩くと着いた。一風変わった朱色の鐘楼門(おとぎ話の竜宮城のお城みたい)をくぐると境内で正面の階段の上が 本堂、左の階段の上が大師堂で門の右側には沢山の水子地蔵が祀られています。また眼病や失明に霊験があるという治眼疾目救歳地蔵尊が祭られている。お寺のいわれ通りに巡礼中に眼が見えるようになったという言い伝えが数多くあるという。お寺の前は広い駐車場になつており、反対側のお店があったのでお昼にもなっているのでうどんを食べにはいる。先客が数人みえる。店内には金札などが飾られていた。うどんの味はいっぷう変わっている。私にはあまりあわない。
8番には高速に沿った道を歩く。途中に稲刈りをコンバインでして見える人を見かけ道があっているか尋ねる。良いと言われるので安心して歩ける。間もなく右折するよう表示があり進むとなんでもないところに突然仁王門が現れる。しかし、お寺へはまだ先である。納経所は一番手前にありそれを通り越すと8番 熊谷寺に着く。境内の入り口には四国で最大で最古の規模である色鮮やかな多宝塔がある。また先ほどあった仁王門も88ヶ所中一番大きいという。納経所の向かい側には池があり赤い太鼓橋があり、弁天様が祭られ安産に霊験があるという。
9番へは舗装された田舎道を南下する。お寺の回りは一面の田園風景で稲はすでに刈り取られていて切り株のみが整然と並んでいる。40分ほどで9番 法輪寺に到着。このお寺の本尊は釈迦如来像だが、88ヶ所唯一の涅槃像である。もとは、大師が白蛇と出会って開基した縁起から、白蛇山法林寺と号していたが、焼失土石流の影響で現在の地に移され正覚山・法輪寺となった。また、歩けなかった人が参杯したら歩けるようになったという話があり、無事歩けるようにと健脚祈願のわらじが本堂に奉納されている。山門前にはあわじ庵と左側には梅の家がありうどんが名物だが、今回はあわじ庵でぼた餅を求める。大変美味しかったですよ。

10番へは西へ向かって歩くことになる。1Kmほど歩くと左側に小豆洗大師堂があるが頭を下げて通り過ぎる。県道139と合流しまだまだ西へ。遍路用品を売る店が現れると右折、高速の下を通りすぎるとまもなく10番 切幡寺の山門が現れる。ここの山門は車も通り抜けれるようになっている。9番から約1時間チョツトでつきました。長い石段の手前のお店が背中の荷物あずかりますよと声をかけていただきました。これから333段の階段を上った上に本堂などがあります。この寺の切幡の名は、機織り娘の伝説に由来する。女人即身成仏の話はこんな話です。大師が遊行中、衣が痛んだので娘さんに繕い布を求めたら、織っていた布を惜しげもなく切り取ってくれた。そのお礼に娘に願いを聞き、なき父母のために一夜で千手観音像を刻み娘に灌頂を授けると、娘は観音菩薩の姿に変わったという。本堂には大師によって作られた千手観音のほかに、機織り娘が即身成仏となった観音も安置されている。

境内から見た徳島平野
境内の高台にある大塔は国の重要文化財で、2代将軍秀忠が大阪・住吉大社神宮寺に寄進したものを廃寺になった際に、東西2塔のうち西塔を移築した。境内の高台からは徳島平野が見渡せ、吉野川の向こうのこれから尋ねる焼山寺の山々が連なる。次の11番へは一路南下し吉野川を川島橋(潜水橋)を渡り川島町を通り抜け歩くことになるが、今回は時間の都合でタクシーに乗る。

潜水橋の川島橋
吉野川にかかる川島橋は、増水時に流木などで壊れないように欄干もなく水没するように作られた潜水橋。橋の幅も狭く、車も人も道を譲りながら渡る「思いやり橋」だ。乗せてもらったタクシーの運転手さんは道中説明しながら、なるべく遍路道を走ってくださいました。橋と、右岸堤防では一時停止しもらい写真も写すことができました。私たちが乗った車も歩きの人に橋の避難場所で道を譲ってもらいました。
11番 藤井寺に着いたのは4時半すぎで境内の店はもうかたずけてみえるところである。このお寺は大師が42歳のときに厄難を除こうと刻んだ薬師如来像が本尊である。八畳岩の上に護摩壇を築き17日間 修行を積み、五色の藤を植えたことから名前が藤井寺とつけられた。春には五色の花で彩られるという。
境内の藤棚
八畳岩は12番への遍路道の途中にある。お参りを済ませ明日登る遍路道の入り口を確認して、納経所へ、するとご婦人が近寄ってみえ接待ですが、といわれ小物入れの布袋をいただける。ナイロンの袋に入っていてとても自作されたものとは思えないできあがりです。あり難くいただく。明日ここから登りますとお話をしたら道中、食べ物、水はないので必ず持って上がるように念を押されました。今日はこれまでで徳島のビジネスに戻る。県営団地の横の道を歩き川を渡り国道192にでるまで真っすぐです。その後がわからず道で出会った人に尋ねる。なんとがおかげで鴨島駅にたどり着く。明日もう一度戻ってこなくてはいけない ので駅前を良く確認する。タクシーはいるのですぐに乗れそうである。今日も夕食は駅ビルへ食べに行く。帰りに町へ寄ってお土産を買い求めて来る。背中の荷物が重くて仕方がないのでもう一度いらないものをより分けて宅急便にして着日指定で贈っていただくようにフロントにお願いする。今日も汗を一杯掻いたので洗濯をしてエアコンの前に紐を張り干す。
宿泊先

徳島東急イン 
電話番号:088-626-0109  FAX : 088-626-0686 
  http://www.tokyuhotels.co.jp/
住   所:徳島県徳島市元町1-24
宿泊料金:1泊素泊まり(ツインルーム) 9,400円
トイレ(洋式)、洗濯機、乾燥機

  
  

9/15 晴れ気温31℃3日目 初めての試練、遍路ころがしを歩く
 徳島のビジネス→鴨島→(11番)藤井寺→長戸庵→柳水庵→浄蓮庵(一本杉庵)  →(12番)焼山寺→杖杉庵→一宮神社→名西旅館 花

6時半にビジネスを出て、JRで鴨島へ戻り、駅前のタクシーで藤井寺へ行く。水は自販機でそれぞれ1本と予備に二人で1本買い求める。11番には7時半に着く。藤井寺の本堂と大師堂に頭を下げて無事をお願いし不動堂の横の登り口を入る。
遍路ころがしへ
木が生い茂り辺りは暗い。初めは噂に違わない急坂 これが遍路ころがしかと納得した。息を切らして登っていると途中で犬の散歩に子どもと登って見える地元の人に出会う。こんな急坂な道を毎日散歩してみえるのだろうか、たいしたものである。声を交わし分かれる。一度車道を通り越し暫らく歩くとぱっと前方が開けてきた。最初の山の頂上である。標高225mの端山休憩所である。 ここで一休みする。昨日歩いていた10番方面が見え、徳島平野が一望できる。今晩の宿へ電話をかける。今晩一晩の宿をお願いする。これで今日は13番まで行かないといけないことになつた。下から6時間と書いてあったので私のペースに合わせ1時間ごとに小休止を入れながら歩くことにした。 長戸庵(ちょうどあん)に9時15分に着く
長戸庵
周りは竹やぶである。この時点ではなぜ竹やぶが多いのか解らなかった。ここで神奈川から来た高校生にあう 、彼はもうここまでで水を飲んでしまい困っているという。若いのでのどの渇きに負けてがぶ飲みしてし まったのだろう。こちらは予備を1本持ってきたので、彼に接待だといって渡す。こちらは6時間もつように のどを潤わす程度にして我慢している。この長戸庵は大師が焼山寺の山へ登られたときに、 休憩された場所だという。大師を祀る堂があり、一息入れるのに「ちょうど塩梅が良い」ところから、 ちょうどあん」と名づけられた。お詣りして柳水庵へ向かう。長戸庵からの尾根 をだらだらと歩くことになる。10時40分柳水庵にやっと着く。
柳水庵
この柳水庵は大師が休息されたときに、付近に水がないので、柳の枝を採って加持されると清水が湧き出したので、一宇を建 立した。山中の難所に欠かせない恵水の霊地となっている。また泊まることが出来て誰もが一度は泊まってみたくなる宿坊だそうです。 見知らぬ旅人に一夜の宿を貸し、心づくしのおもてなしをして下さるのです」、文句なし百点満点の、人柄、家、景色なのだと遍路きらきらひとり旅の永井さん は書かれています。1日限定3人と決まっているそうで11番と12番の中間にあり、4つの山を越えるので、ここで泊まると調度良いそう ですが今回はパスする。(宿泊するには2〜3ヶ月前に予約するといいそうです) 今回気が付かなかったがここには冷蔵庫があり、お金を自分で箱の中に入れて、飲むことができるようになっている。なんと、ビールもあるそうですよ。 有名な五右衛門風呂は建物と建物のあいだにありました。またこの先の県道245から車が入れるようです。それはそうですわね、それでないと旅人を泊める ことなどできませんね。
一本杉庵
柳水庵から県道245を渡り尾根道を歩く、もう1度車道が出てきてそれと合流して歩くと間もなく浄蓮庵で11時45分に到着しました。ここは番外霊場 一宿山 浄蓮庵といい、またの名を一本杉庵ともいう。この庵は大師がここで木の根を枕に仮眠された。夢の中に阿弥陀如来が現れたので、像を刻み、安置されたのが始まりで、そのときお手植えされた杉が老大木となっているのだ。山の中では、道に迷わないように、たくさんの「へんろマーク」、白い布の「目じるし」、そして「お疲れでしょうががんばってください」「大師と二人づれ」「元気を出して」「南無大師遍照金剛」「お疲れ様 」など、様々な札がかかっているし、真っ赤なエプロンのお地蔵さまも、ところどころにいらっしゃるからだ。ここでは数人の人が休憩されており、だれもが靴を脱ぎ足を乾かしている。足も汗を掻くからなのだろう。車道と別れてまた山道になる。一度下りになって車道へまた出ると小さな部落なのだが何もない。左右内谷川を渡ると最後の急坂になる。もうひとふんばりで着くのだと思って掛け声をかけ、から元気をだす。
 
樹齢300年の杉
12番 焼山寺は標高938mの焼山寺山中腹830mにあるので、鬱蒼(うつそう)とした杉の巨木が林立し門前には大師がお出迎えです。88ヶ所で難所の一つとされている。13時30分にやっと到着で藤井寺から6時間かかったことになる。1時間ごとに5分ほどの休憩を取りながらである。普通の体力のかたならどなたでも歩けると思いますますよ。開山したとき、火を吐く大蛇の伝説があり、大師は虚空菩薩の助けでこの大蛇を岩窟に封じ込められた。この岩窟は30分ほど歩いた奥の院への途中に残っている。また大黒天堂には大師爪彫りの三面大黒天んが祀られている。お詣りを済ませて本堂前のお店で昼食にうどんを食べる。なんとお値段は200円である。おなかが減っていたので大変美味しくいただけた。留守番のお母さんは 大変親切で足を痛めたが少々無理をして店に出ているとのお話でした。下のバスの時間を尋ねると急いで下りれば間に合いそうですよといわれて山をおりる。出だしは急坂で特に下りはしんどい。しかし車道に出会ってからは歩きやすくなる。
杖杉庵
30分ほどで番外霊場 杖杉庵(じょうさんあん)にたどり着く。道の左側にあり、 ここは四国遍路の元祖といわれている衛門三郎の最期の地てあり「阿波焼山寺伝説」は私のHPの伊予編51番 石手寺に詳しく書いてありますので参考に見てください。(簡単に書くと伊予に住んでいた強欲な長者、衛門三郎は托鉢に現れた僧を大師とはしらずに邪見にしたため、8人の息子が次々と死んでしまった。僧が大師だと知った三郎は深く反省し大師を追いかけて88ヶ所を巡るが逢えず、21周目に焼山寺で行き倒れになりやっと大師と逢うことが出来た。「もう一度生まれ変わって功徳を積みたい」と言って息を引き取った。大師は三郎の手に「衛門三郎再来」と書いた石を握らせ再来を祈願した。数十年後伊予の領主河野家にこの石を握った男の子が生まれたという。衛門三郎が持っていた杖がここの「杖杉」となった。石は石手寺に祀られている)そのまま歩くとやがて車道と別れ遍路道になる。もう1度車道に出会うと左右内(そうち)小学校の建物に出会うしかし、現在は恐慌中になっている。廃業になった宿の前などを通り鍋岩の町の阿部酒店の前の焼山寺バス停から神山町営バス(16:00発 250円)に今回は乗りました。町営バスの焼山寺バス停まで降りるのに1時間20分かかりました。町営バスは左右内川に沿って下り途中の寄井中(よりいなか)で降ります。(バスの運転手に徳島バスに乗り換えたいこと伝えると親切に教えていただけました)。バスに乗ろうと思う方は1日に4本ほどしかないので焼山寺の食堂で時間を聞くこと親切なおばさんが教えてくれます。寄井中から徳島バス(町営バスと接続している)で13番へ、バスは鮎喰川に沿って下ります、一宮札所前で下車(1100円)。納経の時間が過ぎているので向かい側にある一宮神社へ寄りお参りする。13番は明日の朝に回すことにする。宿は神社の横の建物だと思い玄関で尋ねると新館で泊まって頂きますので反対側を奥に入ってくださいと言われる。かどや旅館の奥、13番大日寺の横にありました。名西旅館の新館で花といいます、エレベーターのついた新しい建物です、主人とおばあさんは話し好きで、食事後にコヒーをご馳走していただき泊り客全員と話に華が咲きました。ご飯がとにかく美味しいかったです。今晩のお泊りは5人で一人の人がいて、もう一組は車で巡られている三河の夫婦連れでおばあさんの話では愛知、岐阜から遍路に見える方が多いという。あばあさんの作られたビワの葉の焼酎づけを頂き、この液体は足に塗ると疲れがとれたり、虫刺されにいいといわれました。これは、歩きの遍路さんだけへの接待だそうです。部屋は8畳間で鍵は内外からかかります。綺麗さ、食事を考えると泊まって不足はないと思います。


宿泊先

名西旅館


電話番号:088-644-0025

住   所:徳島市一宮町西丁414
宿泊料金:1泊2食6,500円
トイレ(和、洋式,)、洗濯機、乾燥機



9/16 晴れ、気温30℃ 4日目 小学生にお世話になるへんろ道
名西旅館花→(13番)大日寺→(14番)常楽寺→(15番)国分寺→(16番)→(17番)井戸寺→(18番)恩山寺→(19番)立江寺→民宿金子や

  朝食を食べ出発の準備をする。夕べ息子さんに書いていただいた14番への地図を確認する。遍路標識よりこちらを優先して歩くように教わる。まず、隣の13番 大日寺へお参りする。弘法大師が大師ヶ森で護摩修法をしていたとき、空中に大日如来が現れお告げを受けたため、大日如来を刻んで本尊として 
しあわせ観音
一宇を建立したのが始まりで寺名もこれにちなむという。兵火で焼失したおりに一宮神社の別当寺としてこの地に移された。しかし、明治の神仏分離により一宮神社に祭られていた十一面観世音菩薩がこの寺に移され、以後これを本尊とした。大日如来は脇待仏として現在は祭られている。次の14番へは宿の前を通り抜け遍路道を歩くやがて鮎喰川の堤防に上がる。小学生と通学時間と重なり言葉を交わして挨拶をし、一緒に歩く。小学校は県道207沿いにあるという。一の宮橋は長い橋で堤防道路だと途中から橋に上がることになっている。こちら側に歩道があり安心して歩ける。渡りきった三叉路の突き当たりのお店の自販機でお茶を買い求める。9月だと水は必需品だ。右折後また左折し県道と分かれる。2つの池の横を通り過ぎると直ぐに14番 常楽寺に着く。約35分である。夕べ一緒に泊まった夫婦連れと一緒になる。本尊は釈迦入滅後56億7千万年後に、この世に現れ衆生を救済するという弥勒菩薩で四国88ヶ所唯一の未来仏だ。
アララギ大師

大師堂前にはイチイの大木があり、大師が糖尿病に苦しむ老人に煎じて飲ませた霊木で「アララギの霊木」とも呼ばれ、祈ると目の病気が治ることから「あららぎ大師」とも呼ばれる。お寺の境内は岩盤が露出しており「流水岩の庭園」とよばれ、大変歩きにくい。14番の横には14番の奥の院になっている番外霊場 慈眼寺があり、鬱蒼とした木に囲まれたお寺である。ここの本尊の十一面観音像は平安時代の物といわれる古いものである。ている荷物を置いて(16)観音寺へお詣りする。安産祈願に訪れる人が多いという。また杉の木に刻んだ「生木地蔵尊」もある。15番へは舗装された道にすぐ出る遍路道を歩く。丘になっているようなところを通り過ぎると15番 国分寺である。約15分で到着で近い。横には小川(農業用の水路)がありのんびりした雰囲気になっている。聖武天皇の命で全国に立てられた国分寺の一つで、当時の面影はなくひっそりとした境内になっている。境内全体が阿波国分寺跡として剣の史跡に指定されている。大師が秘法を修め刻んだ「鳥す沙摩王尊像」が祀られている。納経所は本堂の右側の離れたところにあります。次の16番へは、山門を出てお寺の左側を水路に沿って歩きます。すぐに右折し国道192を渡り反対側を進みます。この国道はまだ出来て新しいのか歩道もあるが何か歩きにくい。国道を離れて遍路道になると直ぐに突き当たりを右折すると16番 観音寺ここまで15番から30分でした。このお寺は町の中にあります。大師がこの地を訪れ、等身大の千手観世音菩薩像を刻み本尊とし、鎮護国家のため毘沙門天と、悪魔降伏の意を込め不動明王も刻み脇待として安置した。

夜泣き地蔵
 本堂には炎に包まれた女性の絵がかざられています、淡路島からこの寺を訪れていた6人連れが雨に降られ、焚き火で白衣を乾かしていた。一人の女性の白衣に火が燃え移り炎に包まれたが、辛うじて一命は取り留めた。この女性は「昔、姑を柱に縛りつけ、薪の燃え残りで叩いていじめたことがある」と告白し、その報いを受けたと深く反省してこの絵を奉納したという。本堂と大師堂の間の石囲いの中に「夜泣き地蔵」とよばれるお地蔵様があり、子どもの夜泣きにご利益があるといわれる。大変綺麗なトイレも新設され納経所前にあります。また、手洗い水は地下水で大変きれいで美味しくお庫裏様が自慢されておりました。飲み水としてペットボトルにいただきました。17番へは前の道を東へ進み、大御和神社、とお寺さんの角を左折し国道192にでます。右折し国道を進み2つ目の信号で左折し府中(こう)駅を目指します、もう一度右折し、500m程進み三叉路を左折(前に溝があります)。その後1.5Kmほど北上します。踏み切りを渡る(ここまでで道中半ば)、湯浅歯科、を通り過ぎ、ダイヤス食料品店の角を右折200mほどで左折するとあとは真っすぐです。17番 井戸寺へは1時間10分ほどかかりました。境内には近くのお年寄りがたくさんお見えでした。本堂には中央の薬師仏をはさんで7体の七仏薬師如来を本尊としている。また、大師が訪れたときに十一面観世音菩薩を刻まれ安置された。この像はカヤの一木造で国の重要文化財に指定されている。
面影の井戸

また、水不足に苦労する村人を哀れみ、錫杖で一夜にして掘ったという井戸の一夜堀りの伝説があり「面影の井戸」があり、水に映った自身の姿を石に刻んだ「日限り(ひぎり)大師」石像も祀られている。この井戸をのぞき込んで自分の姿が映れば無病息災、罪が滅びる。映らなければ3年以内に不幸が訪れるという。ここでもペットボトルにお水をあり難くいただく。
次の18番へは20Kmほどあるので途中からJRで移動することにする。歩くのにも眉山を横断する県道鮎喰新浜線コースと徳島の市内へ迂回する国道コースがあります。今回は県道30のコースで東へ歩く、県道沿いは店がつながり賑わっている。鮎喰川を中鮎喰橋で渡り坂道を下りたところの信号のない交差点を左折し鮎喰駅へ行く、ここから列車をJR南小松島駅まで乗る。昼飯を駅前で食べる。この食堂にはお昼というのにお酒で出来上がっている人がいた。もうこれで終りですよとお店の人にたしなめられていた。食べた後タクシーで18番へゆく。(1000円)
18番 恩山寺は母養山の中腹にある。石段の上に大師堂、その上に本堂がある配置になっている。

左は大師堂で右は剃髪所

もともとは女人禁制の道場だったため、大師の母玉依御前が修業中に訪ねてきたが逢えなかった。そこで母のために女人解禁の秘法を修め、晴れて母と対面できたという。母はここで髪を切って出家された。以来、寺号を母養山恩山寺とした。現在もツルマキ坂(花折坂)は女人禁制である。右側にある大師堂の隣には玉依御前の剃髪所が並んで建っている。大師が女人解禁秘法を修業の記念に植えたというびらん樹が幹肌が紅黄で奇樹として崇められ、県の天然記念物に指定されている。 19番へは山門前から歩きます。途中で県道136に出る前に最古の「佛足跡」のある釈迦庵が左側にあり、頭を下げて今回は通り過ぎる。その後県道を歩きます。峠を越えた道中に花火工場があります。坂を下り切って川が出てきるとお京塚です。ここは遍路振りする不逞に天罰のいましめを顕彰する記念塚であり、お京という主人公の塚である。物語は立江寺に詳しく書きます。ここで後1Kmほどです。お参りし立江川沿いに歩きます、川には大きな鯉がいます。立江小学校の前の信号を左折し、突き当たりを右折するとすぐ山門です。町の中のお寺です。19番 立江寺へは1時間10分ほどて歩けました。行基が白サギに導かれてこの地に来た。光明皇后の安産を祈願して金の地蔵菩薩を刻み本尊とした。そのため、子安地蔵として広く信者を集めるようになった。後に、大師が訪れたとき、本尊が1寸8分しかない小さなものだったので紛失を心配して6尺の地蔵菩薩を刻んで体内に納められたという。この寺は阿波の関所寺とも呼ばれ、邪険な心をもつ人や罪を犯した人には罰が下り、この先へ進めるかどうかを見極める関門だったといわれている。ここで先ほどのお京さんの話が出てくるのである。物語は「肉髪付鉦の緒の由来」で、享保3年、今の島根県浜田のお京は大阪の芸者だった。「お京」は要助と深く契って逃走し、親里に帰り夫婦となったが、いつしか別の男を作り、遂には密夫を手引きして夫を殺した。二人は四国巡拝を思い立ち立江寺まで逃げて来た。

本堂の天井絵
ここでお京の髪は逆立って本堂の前に垂れ下がっていた鉦の緒に巻き付き、不義の天罰を与えたという。住職に救いを求め、その罪の一切を懺悔すると、肉もろとも黒髪が剥げて鉦の緒に残り辛うじて命は助かった。お京は真人間に還り、地蔵尊を一心に念じてここで余生を終わったという話です。その髪の毛がついた金の緒は今でも本堂に納められている。創建当時は奥谷山麓にあったが、兵火で焼失、阿波藩主蜂須賀家により現在の地に再興された。今晩は次の20番の登り口にある金子やへは、立江 小学校まで戻り赤い橋を渡り左折します。県道28を進み萓原で右折して勝浦川に突き当たるまで歩きます。突き当たったら左折すると始めてのコンビニが現れます。ここまで歩いた道では一度もコンビニには出会いませんでしたので何か懐かしく思われました。そのまま県道16を歩き途中から旧道にはいります。バイパスでは通り過ぎてしまいます。)
今回は赤い橋からタクシーにのりました(2800円)。橋のたもとでタクシーの看板を見ていると、下校途中の小学校5〜6年生の子が「どうされましたか ?」 と親切に聞いてくれました。(遍路さんに言葉をかけるように教育されているのでしようか)。地図を見せてタクシー会社を教えてもらいましたが、ここで電話したらと言われ電話することにしました。今日は小学生に助けられ大変ありがたかったです。金子やさんは本では民宿となっていますが、看板は旅館と書いあります。風呂は10人ほど入れる大きなものです。また洗濯機、乾燥機が有料ですがあります。お客が普段は多いのか「あいそなし」でした。タクシーの運転手と名西旅館で注意された明日の昼飯におにぎりを注文しておきました。2ケ入り何個というように宿帳を書くときに注文します。(油でいためた焼きおにぎりでした。匂いが付いているのでくせがあります)。
夕食は6時からで、これまでの宿と比べると、料理が良いとは言えない。しかし、明日の20番に登るためには便利な場所にあるので仕方がないか。

宿泊先

民宿金子や

電話番号:08854-2- 2721

住   所:勝浦郡勝浦町生名石垣3-1
宿泊料金:1泊2食 6,500円(おにぎり2ヶ付き)
トイレ(和式)、洗濯機、乾燥機、



9/17 晴れ気温32℃ 5日目 こちらの方が大変だ
民宿金子や→(20番)鶴林寺→(21番)太龍寺→(22番)平等寺→(23番)薬王寺→ビジネスホテル・ケアンズ

  6時30分から朝食。7時10分に宿をでる。20番さんも上には何もないので食べるものと水は持って登るようにと名西旅館のだんなさんとたくしーの運転手さんに忠告いただいたので、おにぎりを受け取り、宿の前の自販機でペットボトルのお茶を買い求めてスタートです。
20番への分かれ道
100mほど進んで川沿い(小さな川)に歩きます。今日も小学生と同じ時間帯ですれ違うたびに挨拶を交わして歩きました。途中に県道から別れますが、今回見落としてしまいそのまま車道を進み、鶴峠で県道と別れますが車道を進むと車道と遍路道が交差するところでやっと遍路道へもどりました。ここから1Kmです。昔から「お鶴さん」とよばれるこのお寺は、山頂まで急勾配の坂道が続き、焼山寺に次いで2番目の難所として知られている通り、ここからの1Kmが階段の登りで大変です。山門の手前がまたアスファルトの急坂で階段で疲れた足には大変こたえました。山門で岡山から50ccのバイクで巡っている女性にお会いしました。ガソリンが残り少ないので帰りは惰力で下りるといわれていました。8時ちょうどに 20番 鶴林寺に着く。
鶴林寺の鶴
本堂の両脇に寺名の由来になったといわれる黄金の地蔵菩薩像を運んできた2羽の鶴がいる。これは右側の鶴です。いわれは、大師がこのお寺を訪れると杉の木(本尊降臨杉)の上で2羽の鶴が黄金の地蔵菩薩像を守っていた。そこで3尺の地蔵菩薩像を彫り、胸にこの1寸8分の黄金地蔵を納め本尊とした。また本尊が猟師の身代わりになり矢をうけてくれたから「矢負地蔵」とも、伊勢神宮の神官を暴風雨から守ってくれたことから「波切地蔵」などという別名もあり、山や海で働く人たちに侵攻が厚い。お詣りを済ませ、21番へ向けて下り始める。昔から「一に焼山、二にお鶴、三に太龍寺」といわれ、阿波の3大難所とされている。21番へは、鉄筋コンクリート製の宿坊の際を下りる。
鶴林寺からの下り道
   最初は石段の下りでつらい、焼山寺のへんろころがしより体にきつくこたえる。那賀川まではずっと下りで途中に廃校になった小学校がある。小さな部落もあるが自販機などなにもない。県道19にでて暫らく平地を歩く、那賀川沿いである。21番へは、このまま県道を那賀川沿いに歩く方法もある。この場合は道の駅「鷲の里」からロープウェイで登ることになる。今回は徒歩で登るので水井橋を渡り若杉谷川に沿って登る。橋を渡ったところで3人の男性が休憩されていました。
上り坂はますます急になってきます。喘ぎながら登ることになってしまいました。ひとりの女性を追い越すことになり、お話しすると先ほどの一人の男性の奥様でした。休んでばかりいるので置いてきたと言われました。20番から3時間やっと 21番 太龍寺に到着です。このお寺は太龍寺山(標高618m)の山頂近くの山頂600m付近にあり、あわの三難所でも最大の難所である。江戸時代には阿波の国屈指の名刹として繁栄した。高野山と同じ配置に建物があることから「西の高野山」ともいわれる。仁王門は徳島県では最大で最古のもの。
持仏堂の龍
求聞持堂は若き日の大師が虚空蔵菩薩に願ってすべての経典を暗記できる修行をしたということで名高い。持仏堂の廊下には龍の天井画があり見ることができる。また、福、徳、知恵を無限に授けてくれ、13歳の男女がお参りする「十三参り」でも有名である。ロープウェイで上がってくると階段の上に本堂が位置している。22番へは今回は駐車場へ下りる。登ってきた道を途中までもどり右折します。茶店駐車場を通り山を下ります。坂口屋の三叉路を右手へ阿瀬比から右の山越えです。降りると平等寺です。
阿瀬比から国道195を進み山口町から県道284を進む道もあります。こちらはアスファルトの車道です。その他にロープウチェイ下から舎心ヶ嶽を巡りふだらく峠を越えて鷲敷に下りるコースもあります。今回は茶店駐車場でおにぎりを食べたここで12時40分でした。お店はあるがシーズンでないので休業になって閉まっている。お店前のベンチでゆっくりする。ここで電話をかけてタクシーを呼ぶことにする。気分がなにか悪くなってきて歩くことはとてもダメである。タクシーは15分ほどできました。料金は3100円 加茂野タクシー0884-35-1211。途中説明があり、納得しながら乗っている。阿瀬比からの山越えは最初は薮になっている。
22番 平等寺は町外れのお寺です。13時15分に着いた。境内には石段の上の本堂と門の左手に十王堂と大師堂ある。小じんまりとしたお寺だが納経所は山門を入ったすぐ近くにある。本堂への石段の一段づつに置かれた賽銭が見られます。この寺で霊験をさずかり歩けるようになったという人の話が伝わる。そのお礼に奉納された「いざり車」が3台ある。大師が厄除祈願をして
弘法の井戸
いるときに薬師如来が現れた。加持するために水を求めて杖で掘ると乳白色の水が湧き上がり、その霊水で体を清め、薬師如来像を刻み本尊としたという。この水によって人々が平等に救済されるようにと、願って寺号を平等寺とした。現在も石段の左側下の、祠の中に「弘法の井戸」として祀られている。いまでは乳白色だった水は無色透明になっている。どんな日照りでも涸れることはなく、万病、開運の霊水として崇められている。私も一口いただきましたがおいしいです。体調がすぐれないので風邪薬しかないのでこのお水で飲むことにしました。暫らくここで休憩。すると一人の歩きへんろの方が寄って見えて、今晩の宿は
と訪ねられ、このお寺の前の新野町に善根宿があるがどうですかと誘っていただきましたが、こちらは泊まるところきめてりますのでと辞退する。どうも薄汚れた格好で誘われも尻込みしてしまうのは私だけでしょうか。歩き遍路は身なりに十分注意しないとと改めて自身の身を振り返りました。次の23番へは桑野がわをお寺の前で渡り川沿いを東へ向かいます。今回はJRで移動するため新野(あらたの)駅を目指すためです。歩きの人は橋を渡ったみちを何処までも真っすぐに南下します。約徒歩だと6時間半ほどかかる。私は桑野川沿いのかまぼこ工場の横をあるき県道ガソリンスタンドのあるの交差点をわたり直進です。工場の中に入っていってしまうように曲がったところを通り過ぎると右手は山です。新野高校の前を通り過ぎると線路が見えてきます。県道35を踏み切りの手前で別れて右折し線路に沿って入ると直ぐに新野駅です。曲がり角の八百屋さんでみかんを買い求め二人で食べる。おいしいので何個もたべて無くなってしまったのでもう一度戻って買ってくる。ここまで20分ほどでした。JRで日和佐駅まで移動後、宿を確認し23番へ歩きます。駅からだと約1Kmほどです。駅前通りを進むと突き当たりにが、門前町になつていて、門前には御土産や、食堂が沢山あります。23番 薬王寺は厄落としの寺として知られ国道55沿いにあるお寺です。天皇の厄除け勅願所として栄えたそうです。急な階段(男厄坂、女厄坂)を
瑜祇塔

登った上に本堂などがあります。また、遠くからでも目立つ瑜祇塔まではさらに還暦の厄坂の61段を登ることになる。お寺からは日和佐の海やお城などが見えて見晴らしがよい。手洗いが国道から入った直ぐにある変ったお寺です。山門はその後ろにあります。納経は一番下の信徒会館で受け付けていただけました。お参りをしてから御土産やなどを覗いてゆっくりと宿へもどることにした。今晩の夕食と明日の朝の食事はないので今晩の分はついでに食べて行くことにし、千羽という宿にもなつている横のうどん屋さんで食べる。その先には温泉もある。明日の朝用にほか弁を買い求め宿へ向かう。宿は駅前のビジネスホテルケアンズである。入り口で料金を先に支払い鍵を借りる。線路際の南側の部屋で水産高校や県の出先の事務所が見える。列車の本数が少ないので音はあまり苦にならない。

宿泊先

ビジネスホテル
ケアンズ

電話番号:0884-77-1211

住   所:海部郡日和佐町奥河内字弁才天75-18
宿泊料金: 8,500円(素泊まり)
トイレ(洋式)、洗濯機(?)、乾燥機(?)



9/18 晴れ気温31℃ 6日目 今日は帰るのみだ一回目が終わる
ヒヘジネスホテル・ケアンズ→日和佐駅→徳島駅→岡山→岐阜羽島駅

    
 予定は今日23番へお参りの予定だったので、遅い列車だったが日和佐駅で指定を取り直して早い列車に変更する。日和佐駅を8時53分発で徳島へ戻る。徳島で降りてお土産を買い、早めのお昼を食べる。12時07分発のうずしお12号で帰る。岐阜羽島着16時38分着。明るいうちに家へ戻れてよかったが 
瀬戸大橋からの眺め
反省点もいろいろある。
 ’愧罎硫拱は増えることはあっても減ることは      ない。
  (下着の予備も最低限に、洗濯できます)
 汗の出る季節は特に飲み水の携帯を。
   (自販機の無いお寺、集落があります、気が        ついた時に買い求めましょう)

 
7搬單渡辰呂△譴个覆砲と便利。
   (宿の予約、家への連絡が適時できる)

 今回普通の人が訪れる季節を外して四国へまいりましたが、宿の予約には一度も断られることもなく正解だと思っていますが、9月の中旬ではまだ暑い。9月15日の祭日までは学生も多い。欠点はただ一つでご接待所がどこにもひらかれていないことぐらいです。


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