11/22 晴れ気温16℃1日目 4回目区切り打ちの始まりです。
自宅→琴平→金毘羅さん→番外霊場 松尾寺→(72番)曼荼羅寺→(73番)出 釈迦寺→(74番)甲山寺→番外霊場 仙遊寺→(75番)善通寺→宿坊いろは 会館
朝7時に家をでる、名鉄電車で新幹線の岐阜羽島駅へ出る。11月なのでま
だ暗い、今日も良い天気になりそうである。この旅のあいた雨が降らないように
祈るばかりである。今回金毘羅さんから打ち始めることにする。「同行二人」に
よると昔から、善通寺を打ち終えた後で金毘羅宮へお参りすることは遍路者の
定になっていたと書かれてあった。「金毘羅は順札の数にあらずといえども、遍
路の人、当山に往詣せずということなし」。金毘羅とは、蛟竜などに訳される梵
語「クンピーラ」の音訳で、実際にはワニであり、水神として尊崇された。 金毘
羅さんのHPは http://www.konpira.or.jp/ です。
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旭社
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大門
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最初に迎えてくれる二層
入母屋造り・瓦葺の豪壮
な「大門」です。この大
門をくぐると綺麗な石畳
の参道が現れ、ここから
が金刀比羅宮の境内で
す。
門をくぐると白い大きな
傘を広げた古風な姿で
迎えてくれてるのが、「五
人百姓」と呼ばれる五軒の飴屋です。特別に境内で店を開くことを許されてい
るのです。
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本殿全景
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本殿
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階段を進むとやがて立派な建物が現われます。本殿と間違えてしま
いそうなひときわ華麗で豪
壮な社殿「旭社」です。金
毘羅大権現時代の金堂で
、本殿です。その後直角に
曲がり急な階段を上ると
「本殿(本宮)」です。
大社関棟造り・檜皮葺の荘
厳な社殿で見事なものです
。ご祭神は、大物主神と崇
徳天皇をお祭りしております。また、金毘羅参りが盛んになったのは15世紀か
らです。石段で有名であり、表参道から金刀毘羅宮までは785段、さらに奥の
院まで583段で合わせて1368段あります。普通に歩けば金
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絵馬殿
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刀毘羅宮まで40
分、奥の院まで1時間20分くらいかかります。今回は
本殿まで列車を降りてから約1時間でした。またこの
町には門前町の繁栄を伝える現存する日本最古の
歌舞伎劇場「金丸座」があります。天保六年(1835)
に建立された、二階建て、本瓦葺の芝居小屋で国の
重要文化財に指定されています。本殿の横からは讃
岐平野と琴平の町が一望できます。御朱印を頂いて
、下りにかかる。
100段目ぐらいで探しても松尾寺への曲がり角が分
からないのでお店の人にたずねる。やっと分かって右へ折れる。琴平公会堂のすぐ横にあったが、公会堂へ上ってしまった、隣への道はないのでもう1度降りて左へ歩く。すぐ横に上り口があったのだ。山門は立派である。四国曼荼羅霊場に入っているという。
番外霊場 象頭山 松尾寺ある。金毘羅宮はもともとは、松尾寺の境内にあ
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松尾寺山門
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松尾寺
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る鎮守社であったが、神仏
分離令で分かれた。こんぴ
らさんは琴平の中心的存在
になり、松尾寺は忘れ去ら
れた。金毘羅宮と、松尾寺
を併せて参詣することが本
来の主旨だという。
松尾寺については
http://www.mandara.gr.jp/
を御覧ください。
町に戻って食事をする。調度定食があるというのでいただく。その後駅へもどり
コインロッカーから荷物を取り出しそれぞれのリュックに分けていれる。
列車で善通寺に戻りタクシーで72番へ向かう。後で分かったことだが、今は捨
身ケ嶽禅定まで車で直接上がることが出来るようになっている。上までタクシー
に乗って行けばと悔やんでいる。
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山門
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本堂
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タクシーを72番 我拝師
山 曼荼羅寺の山門で降
りる。
この寺は弘法大師の先祖
佐伯家の氏寺として建立さ
れ、世坂寺と号していた。
その後大師が母玉依御前
の冥福を祈り、唐から持ち
帰った金剛、胎蔵両界の
曼荼羅を安置。本尊に大日如来を祭り、寺の名を曼荼羅寺に変えたとされる。
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大師堂
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枯れた在りし日の松
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その時に植えられたという
大師お手植えの松が(県の
天然記念物指定)巨大な笠
のようなので笠松と呼ばれ
ていたが、平成13年に枯れ
たので、平成14年に切られ
て無くなってしまいました
。画像は眞鍋さんからお借
しました。
眞鍋さんのページは
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Suzuran/9180/ です。
お参りし山門を出て右へ門先屋旅館を右に回ると直ぐに左折れする道がある。
これが遍路道である。右側を見ると車道があり、バスが止まっている。2寺共通
の駐車場になつているようだ。車道を横断すると参道になり、急な階段の上に
73番 我拝師山出釈迦寺がある。この寺の名前はお釈迦さまが山にこも
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山門
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本堂
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って苦行したあとで、山から
出て痩せ衰えた姿を「出山
の釈迦」というのに因む。
縁起は、7歳の大師が多く
の人びとを救いたいと、我
拝師山に上り捨て身の修
行をされ、釈迦如来のご加
護を賜った。のちにおとず
れた大師は釈迦如来を刻
み本尊と師、堂宇を建てた。捨て身の修行をされた
場所を捨身ケ嶽禅定と呼ぶ。境内からは一度下ったあと急坂を登るとたどり着
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大師堂
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捨身ヶ岳遥拝所
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く。今では車で上がれます
。そこからさらに上ると7歳
の大師が身を投げた所に
行ける。稚児大師像と護摩
壇があります。
また境内の高いところに遥
拝所があり、ここで念仏を
唱えれば同じ御利益がい
ただけるという。
もとの道を門先屋旅館の所までもどり、一路下る。弘
階池を回り県道48を横断すると、その先は遍路道で田んぼの中である。前方
に小高い山が現われ甲山という。南側(県道側)には神社があり、目指すお寺
は北東にある。山の北側を東に回りこむと
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山門
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本堂
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74番 医王山 甲山寺に
着く。おおよそ25分かかる
。縁起は伽藍を建立する
ため霊地探していた大師が
、甲山の麓で翁に会う。こ
の翁が毘沙門天たと悟った
大師は、毘沙門天像を刻
み岩窟に安置した。
また、嵯峨天皇に満濃池の
修築の勅令を受けた大師は、完成祈願の秘法を修し
、薬師如来を刻んだ。難
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大師堂
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工事を完成させた功労金でお寺を建立、薬師如来を
本尊として祀った。弘法大師が刻んだという毘沙門
天は大師堂の左側の山裾のお堂の中にある。小さな
穴から拝むことができると書かれてあったが覗けなか
った。
また、子宝を願う女性の振興の厚い子安観音。子ど
もに恵まれない女性が地蔵の前掛けを持って帰った
ところ、子どもを授かったという。今でも前掛けを借り
にくる習慣が続いているという。
甲山寺の前にある橋を渡り対岸を歩く。食品工場に
突き当たったところで左折し、もう1度右に曲がる。
住宅街で通り抜けると県道48に出る。そのまま進み突き当りが昔、仙遊ヶ原地
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仙遊寺
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犬塚>
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蔵堂といわれていた、番外霊場
仙遊寺である。
大師が幼き頃に泥土で遊んで見え
たところで、神童と呼ばれた由緒
あるとこである。
門まで戻り南の方角に歩く。信号
のある交差点を渡るともうすぐで、
75番 五岳山 善通寺である。
ここまで20分で着いた。
弘法大師の出身である佐伯氏の屋 敷跡に建立された寺。
つまり、ここが「弘法大師生誕の地」である。大師にまつわる
霊跡のなかでもその価値は高い。真言宗善通寺派の総本山である。高野山の
金剛峯寺、京都の東寺と並ぶ弘法大師三大霊跡の一つである。広大な敷地を
持ち東西2院に分かれている。
HPはhttp://www.zentsuji.com/です。
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大門
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本堂(金堂)
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寺は唐の青龍寺を模したも
ので寺号は父の名前に、山
号は西院の背後の山の香
色山、筆山、我拝師山、中
山、火上山の五峰にちなむ
。巨大な大門をくぐりると東
院の境内です。高さ45mの
五重塔、本尊の薬師如来
を祀る金堂など数多くの建
物があり、境内も広々としている。また大きな楠の木も
ある、有名な赤門は金堂の右手奥に建っています。
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五重塔
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赤門
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東院の境内から中門をくぐ
ると、両側に露店が並ぶ参
道へと出る。参道は「奥の
院」の別名でも呼ばれる西
院へ通じ、仁王門が区切り
建っている。くぐると回廊に
なっていて回廊の中をまっ
すぐ進むと、正面に大師像
を安置した御影堂がある。
その下は「戒壇めぐり」の暗い通路になっている。
こんな大師に纏わるお話もあります。
唐に留学するため母に自画像を渡そうと考え松の木に登り、池に映った姿を見
て描き始めましたが、暗くなってしまったが、金色の光が裏山から差し込んでき
て書き上げることができた。振り返るとお釈迦様が光っていたという。そのため
自画像にはお釈迦様が描かれている。この絵を土御門天皇にお見せしたとき
に、絵の中の大師が瞬いたので、「瞬目(めひき)大師」との名を賜ったという。
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仁王門
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大師堂(御影堂)
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西院にある聖霊殿と護摩堂
に挟まれるようにある小さ
なお堂に祀られる「ほやけ
地蔵」には、口から左頬に
かけて灰色の大きなあざが
ある。これは昔、頬に大き
なあざのある娘が毎日ここ
にお願したところ、娘のあざ
はきれいにとれて、そのか
わりに地蔵様の顔にあざができたという伝説がある。
以来、あざや病気の平癒を願う人々の参拝が続く。
宿坊は西院にあり御影堂の左側突き当たりである。白い鉄筋の建物で左半分
が新しい。平成11年12月22日温泉法の温泉に適合し、天然温泉も売り物にし
ている。“大師の里湯温泉”という名前がついている。部屋は真新しいし、エヤ
コンも完備され、トイレはまたすごく綺麗だ。暖房便座でシャワートイレである。
ただし部屋にはついていない。 かぎは部屋の外からはない。 しかし内カギは
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夕食
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いろは会館
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あり、寝るのにはなにの心
配もない。お風呂も広く新
しい。お風呂は玄関の受
付を通り過ぎて建物の右
後ろにある。
夕食は一階の食堂である。
団体客と一緒であるのでに
ぎやかにいただける。お酒
の自販機(ただしチケット売
り機)があり、皆さんご機嫌で食べておられる。添乗員
さんがお客の周りを回って何か注文をとってるようだ。洗濯機、乾燥機は地下
に準備されていてすべて無料、洗剤もバケツに用意されている。歩きには有難
い心配りである。部屋にもどり明日の納札札の用意をして寝ることにする。
今日は疲れた、まだ歩くのに慣れていないのに金毘羅さんの階段が体に応え
ているのか。先回もそんことを反省を言っていたことを思いだす。
宿泊先
善通寺宿坊
いろは会館
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電話番号:0877-62-0111,FAX0877-62-4302
住 所:善通寺市善通寺町3-3-1
今回の宿泊料金:5,775円 1泊2食付き
トイレ(洋式)、天然温泉、新しく綺麗。入口の戸は外からは
カギかけれないが、内側からはカギかけられる。
リピート度: ◎
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