表紙>Menu>はじめに>閑話 区切り打ち3回目


伊予の国菩提の道場
と讃岐の国6ヶ寺


  • 11/25 宿替えて大失敗!
    ろんどん荘→(65番)三角寺→(別格13番)常福寺→(66番)雲辺寺→(67番)大興寺→(70番)本山寺→(68番)神恵院→(69番)観音寺→観音寺駅前、
    一富士旅館

11/20 晴れ気温19℃通算14日目 3回目区切り打ちの始まりです。
 
自宅→松山→久万町→(45番)岩屋寺→プチホテル ガーデンタイム

 朝5時半に家をでる、名鉄電車で新幹線の岐阜羽島駅へ出る。今回は息子も
いないので送ってもらうことはできない。11月だとまだ暗い、新幹線を待っている
あいだにお日様が上がって来る。今日も良い天気になりそうな予感である。
この旅のあいた雨が降らないように祈るばかりである。
途中京都でのぞみに乗り換えて岡山へ、特急しおかぜ3号で松山まで、
松山駅から松山市駅までが道が分からない。2度も訪ねてやっとたどり着く。
デパートが入っているビルで、その前がちんちん電車やバスのターミナルになっ
ているのだ。珍しい坊ちゃん列車がきたので一枚記念に撮る。
坊ちゃん列車
バスを待つ間に昼の弁当にオニギリをコンビニ
で買い求める。バスの中で食べて時間を稼ぐ。
終点の久万営業所で乗り換える。すぐに乗り換
えることができた。バスは低速のギャーで走ってるようであえぎながら山道を登る。
県道153号は大宝寺をぐるりと回っているよう
だ、住吉神社の信号を直進してしばらく進んだ
後Uターンでまたここまでもどることになってい
る。ここから曲がっていよいよ岩屋寺方面に進
む。県道12号使えば凄く近いのに大回りな
路線になっている。
日程の都合で45番から始めることになる。
45番岩屋寺で区切り打ち再開を報
告し、道中の無事をお願いする。直瀬川の橋の手前がバス停になっている。
2時35分である、橋を渡って直ぐに急な上り坂になる。その急坂には御土産屋
が並んでいる。山門は本堂とは離れてあり、うっそうとした木立のなかにあり、
屋根には木の葉が降り積もっていて趣がある。本堂の右側には岸壁がそそり
たつ。

最終バスの時間は3時5分発で間に合わないので歩いて戻ることになる。
岩屋寺を出て橋の手前が遍路道になっている。台風の余波がここにもあり川岸
の遍路道には沢山の流木があり避けては歩くことになる。
古岩屋トンネルで県道へ出る。夫婦づれと一緒になる2人は初めから橋を渡り
県道歩いてみえたのだ。歩くスピードがえらく速い、2人は古岩屋荘の下の駐車
場に車を止め岩屋寺へお参りに行かれていたのだ。
その後はしばらく一人である。遍路道はここから山に入って行くが、今日は急ぐ
のでこのまま県道を歩くことにする。急がないと久万の宿に着く頃には真っ暗に
なってしまう。(2時間40分と書かれていた)住吉神社の信号を真っすぐに通り
過ぎ山を登る、トンネルの手前でまた遍路道は右に下りて行く様に表示されて
いるがこのまま県道を歩きトンネルを抜ける。このトンネルは歩道がないので
怖い。トンネルを抜けたところから右手に下る。しばらく山道だがまた県道へ出て
しまう。すると大宝寺口の標識が現われる。ここで今晩の宿へ電話して場所を
確認する。
今晩の宿はプチホテルガーデンタイムでJRバス久万停留所の横である。
17時35分やっとたどり着く。ビジネス風である。部屋は2階であり、食事は1階
の店にもなっている食堂でとる。今日は疲れた、まだ歩くのに慣れていないのに
帰りに急いだのが体に応えている。

宿泊先

プチホテル
ガーデンタイム

電話番号:0892-21-0005,FAX:0892-21-0170
住   所:上浮穴郡久万町字六本木1471
今回の宿泊料金:6,720円 1泊2食付き
トイレ(洋式)、ビジネスホテル形式
リピート度: ○

11/21 晴れ気温17℃通算15日目 道後温泉に今日中に辿りつこう
  ガーデンタイム→(44番)大寶寺→(番外)お久万大師堂→(46番)浄瑠璃寺→    (47番)八坂寺→(別格9番)文珠院→(48番)西林寺→(49番)浄土寺→ (50番)   繁多寺→(51番)石手寺→(番外)宝厳寺→道後温泉

  夕べ疲れて早く寝てしまったせいか4時50分に目を覚ます。6時半から食堂
で食事で急いで食べて6時50分から
44番 大寶寺へ出かける。荷物は宿に
預け頭陀袋のみ持って出る。久万川を渡る前に遍路石がたっており、渡ると
総門がある。参道や境内は大きな杉の木に囲まれ薄暗い。宿に戻り荷物を頂
いて7時50分にバス停へ歩く。伊予鉄バス停横のコンビニの裏に
お久万大師堂
がある。お久万婆の伝説はこんな物語です。お寺の近くに住んでいた「おくま」と
いうお婆さんから接待を受けた大師は何か願い事がないか訪ねた。
大寶寺への曲がり角の遍路石
お婆は山
の中のこの地が後々まで栄えることが望みと言ったと言う。
望みが叶い町は栄えて、おくまさんにちなんで
町の名前がついたそうな。
今回先を急ぐので峠までバスで移動すること
にする。屋とを出かける時に尋ねた結果塩ヶ森
で降りて歩くのが速いというので三坂峠でなく
塩ヶ森で降りることにした。バスの運転手さんに
降り口を教えてもらって歩き出す。
予定より早く9時15分に一番下のため池(農業
用)にまで辿り着く。ため池は改修中である。
県道194号に出ると直ぐに
46番 浄瑠璃寺
ある。本堂の左奥に一つだけ願いを叶えてくれ一願弁天がある。
47番 八坂寺はすぐ隣であり10分ほどで着く。門前の小さな川の橋の上に
山門はあり、美しい天井絵が描かれている。案内の標識は伊予弁で書かれて
いて暖かみがある。次の48番への途中に番外霊場別格9番 文殊院徳盛寺
がある。ここは遍路の元祖といわれる右衛門三郎の菩提寺で、屋敷跡ともいわ
れる。お大師さまの罰があたり次々と死んでしまった8人の息子たちを葬った
八塚がある。
文殊院を出たところで遍路石を見て右に曲がったのが間違いの始まりで、県道
207と40号を歩くことになる。おかげで札始大師堂へは寄れず通り過ぎてしまう。
遍路道は文殊院の前の細い道を真っすぐ進まなくてはいけないという。
48番 西林寺へは11時頃着く。
山門の前に建つ正岡子規の句碑
内川のに架かっている太鼓橋を渡ると仁王門
がある。内川には地元では刺身のツマになると
いう「テイレギ」という水草がある。正岡子規の
直筆を写した句碑にも「秋風や 高井のていれ
ぎ三津の鯛」と詠まれている。 納経所の前の庭
には一つだけ願いを叶えてくれる福授地蔵もある。11時35分に次の49番に向け歩きだす。

  ここでも遍路道の標識を見落として県道を
北へ向かう、伊予鉄の電車の踏み切りを渡り
すぐに左折する。浄土寺へは直ぐである。
12時10分に
49番 浄土寺に着けた。浄土宗
の開祖、円光大師、二世聖光上人、三世良忠
上人の像があることから三蔵院ともいわれる。
 50番への道は歩道のない細い県道を危険を感じながら歩くことになる。
日尾八幡神社の前で右側へとり、ラーメン屋さんの所を右折することになる。
時間も1時に近くなっているので遅い昼にする。このラーメン屋さんはコヒーは
おかわり自由で無料のサービスになつている。この時間でも日曜日のせいか
混んでいる。住宅街を通り抜け
50番 繁多寺に13時半に着く。山門前には
季節外れのアイスクリームを売っている商い人がいる。
海まで見える小高い淡路山の中腹にありこれから進む道後などが見渡せた。
地元の人は「畑寺」と呼んでいる。徳川4代将軍家綱からお下げ渡しになったと
いう念持仏を祀る聖天堂(歓喜天堂)があり、夫婦和合、厄除け、商売繁盛、
合格祈願にご利益があるといわれている。一遍上人縁の寺でもある。
13時50分に51番に向けて歩き出す。石手川を渡ると
51番 石手寺である。
中門の前にある渡らずの橋
道後温泉にも近く観光客で賑わっている。 弘法大師がお道開きになった橋があり、この
橋を歩くと足が腐るといわれている。
中門と仁王門の間には回廊があり
両側にはお土産屋が立ち並んでいる。
石手寺の名前の由来は衛門三郎縁起にあり
石手寺発行の案内書によると
 「衛門三郎縁起」は
三郎は非常に強欲な長者だった、ある日門前
に一人のみそぼらしい托鉢の僧が訪れました
がこの僧が弘法大師とも知らず僧の持っていた
托鉢を取り上げ投げつけてしまいました。その後八人の息子たちが次々と死ん
でしまいました。托鉢の僧が弘法大師だったと気がついた衛門三郎は恐ろしく
なり邪見をひるがえし家を捨て身も忘れ大師を追いかけて四国巡礼に旅立ちま
した。しかしいくらまわっても大師さまにお会いすることができなかった。 21回目
の天長8年8月焼山寺の麓で病に倒れ明日をも知れぬ身となりました。
その時弘法大師が枕元に現われ彼の手に一寸8分の石に衛門三郎と彫み授け
ると衛門三郎は安心して息を引き取りました。
それより幾許の年月を経てこの痴呆の豪族河野息利に男の子が生まれました
。その子は幾日たっても右の手は握ったままで開かないので、この寺に願を賭
けたところ手の中から「衛門三郎」と書かれた石が出てきました。
そこでその石を当山に納めたのでその後「安養寺」から「石手寺」に変わった。
 詳しくは石手寺のホームページ
       http://ishiteji.interlink.or.jp/ をご覧ください。

境内には国宝、重要文化財となっている建物が沢山あります。
また、県道187をはさんで向かい側には明治初期操業の食堂「みよし食堂」が
あります。ゆっくり境内を見てから15時に道後へ向かう。ここも交通量の多い
県道を歩くことになる。義安寺の前を通り過ぎ伊佐爾波神社を通り
番外霊場 宝厳寺へ、このお寺は一遍上人の生誕地で上人自作の木像が
ある。その後温泉本館を見て今晩泊まる宿の確認をしてから、時間も早いため
に道後公園、子規記念博物館を見て回る。今晩の宿は浪花屋旅館で出発前
にネットで予約しておいた。ネット予約するとお酒1本サービスと書いてあったが
お酒はでなかった、特別飲みたい訳でもないので請求しないで済ます。
一人のため安い部屋を予約したので一番隅の部屋である。トイレは和式がそれ
でもついている。風呂は大浴場である。大浴場とは名ばかりで3人も入ると一杯である。他の遍路さんと一緒にはいる。しかし、湯は温泉である。
夕食、朝食は大広間で食べることになる。夕食の折に隣には山口から来たと
いわれる夫婦連れで、もう3回ほど回られて今回は2日間車で寝て1番から33番
まで回ってきたと言われる。今日は精進落としに温泉に泊まったて贅沢をして
いると話される。その夫婦連れの前の席には歩き遍路さんが一人同宿である。
どうも今日は遍路関係者は4人であるようである。この先の横峰寺が台風の
被害でネットで調べたところ遍路道はもずたずたで登れないというので聞いて
みるが、何も知らないといわれる。隣の夫婦連れにくれぐれも無理をしないよう
にと忠告される。また、あまり「頑張りすぎないように」との忠告も頂く。
話をする前の私の様子を見て感じたといわれる。ありがい忠告を受けれるのも
大師さまのお導きなのでしょう。
歩き遍路は最大の贅沢と現役らしい言葉も出る。

   
宿泊先

浪花屋

電話番号:089-941-8340,FAX:089-921-3150
     http://www.dogo.or.jp/naniwa
住   所:松山市道後湯之町1-26
宿泊料金:7,500円 1泊2食付き(入湯税含む)
トイレ(和式)、ホームページ予約は特典あり。
リピート度: ○


11/22 晴れ気温19℃通算16日目 大変だ!遍路地図を落としてしまった

  道後浪花屋→(52番)太山寺→(53番)円明寺→(54番)延命寺→(番外)別宮 
  大山祗神社→(55番)南光坊→(56番)泰山寺→今治港ホテル菊水


  7時00分宿を出て歩き出す。温泉本館前のアーケードが遍路道だ。宿を出る
時にご主人から大体の道を説明していただく。護国神社の通りを右折と言われ
たのでそこを回る。小さな川沿いに歩く途中から反対側に渡る、道は狭いし車
は良く通る。出勤時間に当たっているのだ。反対側へ渡ると車は通らないので
安心して歩ける。前後を見まわすと他に2人が歩いている。一人は100m先を歩
かれている。もう一人はすぐ後ろで大学のグランドを過ぎたあたりで追いつかれ
る。本人は乙のコースを歩くと言われる。誰かに乙がお勧めと言われたという。
私は夕べと出発前に決めている古三津回りですと返事する。甲とか乙とかは
へんろみち保存協力会発行の地図で、第6版に書かれている記号です。
ちなみに私の歩いた古三津回りは丙になっています。少年院までは間違いなく
遍路道を歩けましたが、その後の道は案内標識もなく三津浜駅の表側へ歩い
てしまいました。駅前を通り過ぎ県道19号を北進します。コンビニのある交差点
を右折し坂を登り下ると総門にたどり着きます。三津浜駅を通り過ぎ暫らく歩い
て心配になり自転車で追い抜いて行かれた女の人に尋ねました。
途中の「すみれ野団地」にお住まいでそちらに私も行きますからと自転車を降り
て私と一緒に歩いて案内していただけました。どこで尋ねても本当に親切に教
えていただけます。有難いことですね。三叉路の左に総門があり、それをくぐっ
て暫らく歩くと仁王門、山門が現われます。
52番 太山寺は参道の右側一番下
に納経所がありその上に駐車場があり、そのままま参道を進むと急な階段が現
われその上に国宝の本堂などがある。当日は9時半に着いたので早いせいか
地元のお年寄りたちが掃き掃除をしてみえました。
そのまま総門まで戻り待つ直ぐに直進します。しかし、本当の遍路道はお寺か
ら山の中に入るようですがこれも見逃してしまいました。
県道183をあるくと左側に
53番 円明寺が現われます。
キリシタン灯籠(高さ40cmほど)
県道沿いに山門があり
、境内の中ほどには中門があります。このお寺
には88ヶ所最古といわれる銅板製の納札があり
寺宝になっている。本堂の右に写真が張られて
いる。また大師堂の左奥にはキリシタン灯籠が
あり、高さ40cmほどの小さなもので、マリア様が
刻まれており隠れキリシタンの信仰に使われた
のではないかという。
この後の54番までは35Kmあるので今回はJRを
利用する。5分ほど歩くと伊予和気駅である。
ここから大西駅まで汽車に乗る。12時11分着で
着く、大西駅からだと2.4Kmほどである。
鴨頭病院から国道196へでて歩く。今日も途中
で昼食とする。ビジネスホテル来島で国道沿いに食堂が併設されている。
ランチをいただく。延命寺の入り口で道路工事をしていた。
54番 延命寺には
13時25分に着いた。仁王門は手前にあり暫らくすると山門が現われる。
鐘つき堂は山門の右側にある。山門から本堂への階段の間には遍路グッズを
売る店があり、納経所もこの中にあり、へんろみち保存協力会の本も売っている
と本に書かれている。
後で気がついたのだがここからのどこかで遍路地図をなくす、仁王門までは手
に持っていたが着いたのでとリックの脇のホケットにしまったつもりだったがしっ
かり入っていなかったのだろうか、次見ようと手を回したら無いのである。
一瞬顔が青くなる、歩きにとっては命の次に大切なものである。このあとどうしょ
うかと心配になる。しかし、四国はいいところでありお寺さんで訪ねれば次の
お寺までの地図はたいがいコピーがありいただける。また知らない人でも尋ね
れば親切に教えてもいただける。この後何とか皆さんの親切と温かい志で何と
か無事に地図なしでも区切り打ち結願することができました。
本当にありがとうございました。
55番へはお墓の中を通り西瀬戸自動道の下を通り今治市の大谷霊園の中が
遍路道になっている。ここも霊園の途中工事中で回り道になっていて迷う、
軽トラックですれ違った人から、どこへと尋ねられあちらへ行きなさいと教えてい
ただいた。今治北高の前を通り過ぎ県道38号を歩く、国道317との交差点を右
折するのだが標識が無く分かり難い。まず手前の
番外霊場 別宮大山祗神社
へ(おおやまずみと読む)お参りしてから 55番 南光坊へ。ここは88ヶ所で唯一
坊と名のつく札所である。納経所は境内の左側にあり時間を見て今晩はどこへ
お泊りですかと尋ねられて宿の場所を教えていただけました。私はまだもう1ヵ所
56番まで行こうと思いますと答えたら「今治地区六ヶ寺案内図」を出されて、
帰りは国道まで出てバスで戻るようにと教えてもらい案内図をいただきました。
15時過ぎに歩き出したが遍路地図も見ようとしたら無いことに気がつき一度55
番へ戻ってみるが無いので、すっかり54番で落としたものと考えてしまった。
しかし今になって冷静に思い出してみると54番を出て鐘楼の脇を通り過ぎ小高
い丘の上の墓のところ、下りかけたときにも見たような気がする。高速の下でも
確認したな--。大谷霊園の入り口の階段でも工事中の標識があり迂回するよう
に表示してあったので左側が良いと見た覚えだ。すると無くしたのは大山祗神
社の鳥居から55番の納経所の間だ。今となってはどうしょうもないが今までの
思い出が一杯詰まった地図だったので惜しい気がする。喜久屋旅館のおかみ
さんに書いていただいた地図なども挿んであったので。
15時45分に
56番 泰山寺へ経たどり着く。ここは石垣に囲まれた土地の上に
建てられており、白い土塀が真新しい。大師堂の前に「三この松」がある。
この松の葉は普通の2本でなく3本に分かれている。このあとの67番さんにも
ある。本堂、大師堂とお参りし納経所でいただいていると、もうさきほど立てた
ローソクや線香がかたずけられている。何か変な気分である。気をとりなおし
県道156までもどりタクシーを探すが、探すときにはこないものである。国道196
へ向かったほうが捕まえれる確立が高いと考えてそちらへ歩く、やっと捕まえれ
たのは今治駅へ向かう途中であった。54番へ乗っていって待ってもらって探す
、ないのであきらめて今晩の宿であるホテル菊水へ向かう。ホテルは港の目の
前にあった。ビジネスホテルで食事は一階の食堂で食べる、一人なのでカウン
ターである。チョツト太目のおねえさんが給仕をしてくれる。今日は大変なご馳
走である。冑煮と牛肉、など豪華でおいしい。ごはんは釜飯でおこげがうまい具
合にできて久しぶりにおこげを食べた。

宿泊先

Hotel 菊水
今治

電話番号:0898-23-3330,FAX:0898-23-8472
   http://www4.ocn.ne.jp/~kikusui
住   所:今治市中浜町1-2-5
宿泊料金:7,560円 1泊2食付き
トイレ(洋式)、洗濯機(有)、乾燥機(有)、ビジネスホテル
リピート度: ◎


11/23 晴れ気温18℃通算17日目 64番まで先に歩く
  ホテル菊水→(57番)栄福寺→(58番)仙遊寺→(59番)国分寺→(62番)宝寿寺   →(63番)吉祥寺→(64番)前神寺→(61番)香園寺→宿坊

  6時に起きる。一階で食事、急いで出かける支度をする。7時20分に宿を出る
、今治駅まで歩く神子森行きで大須木で降りる、降りるときに運転手さんから
簡単に歩く目印を教えていただけた。蒼社川を渡り真直ぐ歩く、遍路道はもう
一つ手前の橋を渡るのだ。おかげで標識がない突き当たったところに小川があ
り右手の方向から犬を朝の散歩に連れている人が来るので待って尋ねる。
それなら一緒に行きましょうと親切におっしゃつて同行していただけた。道中お
話をする。57番の入り口まで送ってもらう。58番は池の上を通り、その後に見え
る山のあの当たりにありますと教えていただけた。おかげでこの後歩くのに心強
かった。  8時40分
57番 栄福寺に到着する。
栄福寺の薬師堂
本堂などの建物は一段上に建ち、下の段には
鐘楼がある。鐘楼の脇で荷物を背中から降ろし
頭陀袋をとりだしおまいりの用意をする。
歩き遍路さんが2人先着である。このお寺には
こんなお話が伝わっているそうです。
「昔、薬師堂の前でフグを食べながら花見をして
いた若者たちが腹が痛くなり、残ったフグを桜の
木の根元に捨てて帰りました。翌日寺に来て
みると桜の木は枯れてしまっていた。フグの毒を
お薬師さんが代わりに受けてくれたのだといわ
れている。以来、病気にならないように薬師さんの線香の灰を持ち帰る人が後
を断たないという。」納経を終り鐘楼へもどると一人の歩き遍路さんが休憩されて
いるので遍路地図を見せていただく。この先の宿の電話番号が分からず困って
いるむねを伝える。気よく拝見させてメモをさせていただく。24日と25日分がまだ
予約してないので助かった。へんろみち保存協力会の地図は後に宿泊先の
電話番号住所など書かれていて重宝する。それを無くしたのだから大変である。落とすことなど想定してないので手帳にメモもしてない。困り果てたところにお助けがあった。荷物を片付けていると一人のご婦人が近寄って見えた。軽自動
車から何か持ち出してである。言われるのには歩き遍路さんのみに「お昼の弁当」の接待だという。ご辞退するのもいけないのであり難くいただきリックにかたずける。先ほど散歩の人と別れたところまで戻り先へと歩く。暫らく進むと家並み
がきれて山道になる。左手上は池である(この池は犬塚池)、右側は鶏舎で臭う。
坂道を登りきったところにキレイな歩き遍路用のトイレが作られていた。
こんなキレイなトイレは初めてだ。池の周りを3分の1ほど進むと車道を渡る。
その後また車道に出会うと車道を歩くことになる。途中に山門があり、暫らく歩く
と弘法大師の加持水と言われる井戸がある。
標高300mからの瀬戸内海
暫らく歩くと仁王門がでてくる。
58番 仙遊寺に到着である。9時45分になつてい
た。先日NHKのテレビで放映していた通りであ
る。道中のに小学生が書いた言葉が書かれて
立ててある。また、修行者の寝泊りする建物は
大師堂の奥にあった。
宿坊が併設されており、鉄筋は作りの新しいもの
て温泉になつている。
住職が運転されるという建設機械も見受けられた。標高300mの山頂からは瀬戸内海の島や
しまなみ街道の橋まで望めます。
59番へは山門の近くまで戻ることになる。
山を下ると平坦なアスファルトの道になる。国道196を渡り遍路地図より手前で
右折する。突き当たりを左手にとり歩くと信号に出た。県道156を予讃線に沿って歩くと11時40分国分寺に着く。
59番 国分寺は聖武天皇時代に全国各地に
建立された国分寺の一つである。四国88ヶ所でも何ヶ所か同じ名前の寺がある
。境内には願いをこめて握手すると叶うという握手修行大師、本尊の薬師如来
の持ち物である薬師の壷もある。この壷を祈りながらなでるとどんな病気でも治る
といわれている。また、七福神もある。
この先はまた距離があるので今回はJRに乗ることにする。お寺を出た所のタオル屋さん「 タオル の里:五九楽館 」でご接待といわれ汗拭きタオルをいただく。
HPもありアドレスは----http://www.dokidoki.ne.jp/home2/tadasuke/です。
錦の納札や金の納札がたくさん飾られています。休憩所にもなつているようです
が今回は急ぐので店には入らないでご無礼する。
遍路道は県道159であり、桜井小と中学校が隣り合わせにある信号を通り過ぎ
県道38号と合流する前に桜井の駅はある。ここから伊予小松駅まで汽車である。小松駅を降りて駅前の広場の隅で朝いただいた弁当を広げ昼食とする。
駅前に行列の出来ている店があり人が並んでいた。いただいた弁当は「さいまいも」入りのご飯でおかずも手の込んだものが入っていた。ホウレン草のトウフと
煮たものなど美味しくいただけた。地図をなくしたので場所が分からないので
そのまま国道を渡ってしまう。商店街で変なので尋ねると駅と先ほどの行列の
出来ていた店の間が遍路道であり、50mぐらの距離と教えていただく。
戻ってみるとなるほど良く左右を確かめ標識を見落とさないように歩かなくては
いけないのがよく分かった。61番は今晩泊まるので先に64番までまわることにな
る。
62番 宝寿寺へは13時10分である。伊予の国一の宮の法楽所として建立さ
れた。難産に苦しむ国司の妻に境内に湧く玉の井の水を加持して与え、無事に
出産させたことから、安産の神様として参拝が多いという。安産の神様の観世音
菩薩は庭にお立ちになっている。
63番への遍路道は跡で地図で確認すると先ほど間違えた道を進むようになって
いたが今回地図を落としてないので国道11号を東に進む。歩道もあるので安心
である。15分ほどで着く。
境内のくぐり吉祥天
63番 吉祥寺は国道の信号の手前左側にある。
毘沙聞天が本尊で88ヶ所唯一である。
境内には本堂前から目をつぶって願い事を念じながら
成就石に近づき金剛杖を穴に通すと願い事が叶うという
成就石やくぐると福が授かるというくぐり吉祥天もある。
64番への遍路道は国道の1本南側にあるが、今回やはり
気がつかず国道をそのまま東進する。
石鎚神社本社の大きな鳥居前の信号を通り過ぎると石鎚
温泉が現れる国道端にあるのでよく分かる。石鎚温泉は
備長炭を壁に貼った釜風呂や薬仁湯が入っている薬湯
があり、宿泊も出来るので、次回もし訪れたならここに泊ま
ってみたいものである。バス停を通り越した川の手前の
三叉路を右折すると総門が駐車場の横に建っている。
春には参道は桜に被われ綺麗だというが今は晩秋でなにもない。14時45分に
64番 前神寺である。この寺は石鎚山で修行中の役行者が蔵王権現と阿弥陀如来を祀ったのが始まりだという。一円玉を投げて岩肌に張
り付けばご利益があるという御滝不動尊などがある。
後で分かったことだがここで数珠を頭陀袋にしまいわすれたようでこの後、出そ
うとして無いことに気がついた。今回は大切なものをよく失くす。この後気つけて
歩かないといけないな。温泉前まで戻り石鎚山バス停から小松役場前までバス
でもどる。国道を三嶋神社の所で左折すると役場前からは10分もかからないほどで
61番 香園寺につく。巡錫中の弘法大師が寺の麓で苦しむ身重の女性を
加持して安産を得られた伝説があり、大師は安産、子育て、身代わり、女人成仏の四誓願と秘法を寺に伝えた。安産、子育てに霊験あり「子安大師」と言われる
。また、「南無子安大師遍照金剛」とこのお寺では唱える。
コンクリートづくりの大聖堂があり本堂と大師堂は2階にあり、椅子席になつてい
る。お参り納経を済ませ納経所で今晩の宿をお願いしてある旨伝えると、玄関からあがってしばらくおまちくださいとのことであった。上がらしていただいて畳みの
間(納経所の後)まつとお坊さんが宿帳など持ってみえる。記入して先に宿泊代
を支払いする。ここも消費税が総額表示になって6,825円払う。
この後の日程の説明があり部屋に案内される。部屋は廊下の片側にならんでい
る。どの部屋も同じつくりであり8畳間のだだ広い殺風景な部屋である。
納経所のあるこの建物は遍照会館でその前に子安会館がある。食堂や風呂は
子安会館にある。今晩は宿泊者が4名であり寂しい。昨日は祝日前で団体客で
混雑していたという。今晩の予定は風呂:5時から、食事:6時から、お勤めは普段
は7時からだが今日は少人数なので用意が早く整うでしょうから整いしだい始め
ましょうといわれる。結局お勤めは6時40分から始まり7時20分までかかる。
先ほどのお坊さんが導師で、尼さんがもう一人みえ進行の説明が事前にあった。護摩祈祷で般若心経を6回、光明真言6回、御宝号を6回唱える。
導師の真後ろで護摩祈祷をみるのは初めてでめずらしい。この寺はお経の本は
借りて終わったら返す仕組みになつている。24番の最御崎寺は印刷したものを
いただけたがお寺によって違っているのだ。お経の後で待望のお説教がある。
今回の話は「こころの花」というお話で要約すると----
花の名前を知るよりも、花の美しさに感動できる心を育てましょう。
                    という話でした。
このお話が聞けるので宿坊に泊まる目的がある。
部屋は鍵は内側からも外側からもかからない(鍵はついていない)。
フトン自分で押入れから出しかたずける(シーツと枕カバーは用意されている)。
風呂はセッケンのみ用意されている(少人数の場合は大浴場でない)。
部屋、食事から考えると次回もとは考えにくい。
 
宿泊先

香園寺


電話番号:0898-72-3861
   
住   所:周桑郡小松町南川甲19
宿泊料金:6,825円 1泊2食
トイレ(和式、洋式)、宿坊
リピート度: 次回はチョツト


11/24 晴れ気温17℃通算18日目 昨日まで頑張ったので今日は台風の爪跡  残る横峰寺へ本当に登れるのか ?
  宿坊→(60番)横峰寺→(番外)星ノ森→(63番)吉祥寺→伊予三島ろんどん荘

  5時半起床。5時55分に食堂へ。6時30分に宿坊を出て小松町役場へ、駐車
場の一画にあるコンビニでお昼のおにぎりとお茶を買う。7時10分発のマイント
遍路道情報紙
ピア行きバスで西条駅前へ
ここでバスを乗り換える。
7時41分発の西之川行きを
待つ、車庫から来たバスなの
でまだだれも乗客はいない、
一人である。途中から2人の
女性が乗って見えた。道中
一人の女性が横峰山歩かれ
るのですか?と尋ねられるの
で夕べ香園寺でいただいた
遍路道の通行情報に60番さ
んに歩いて登るには唯一登
山口から復旧工事中の車道
を歩いて登ってくださいと書
かれていましたと返事すると
、そうですといわれましたの
で何か関係者だったのでしょ
うか。降りるまでにこれから登る方向とお寺の在り処を教えていただく。もう一人
の女性はもっと若い時代にあそこを歩いて登ったことがありまよと指差してお話
されました。黒瀬湖のダムを通り過ぎ湖畔を暫らく進むと県道142との三叉路に
着く。この三叉路から200mも進むとバス停の登山口でここでも降りるときに上り
口とあの道を歩くのですよと山の中腹の道を指差して教えていただけました。
3人に気つけてねと送りだしていただきました。時間はここで8時10分。県道12
の右側に車道の上り口があり暫らく歩くと温泉旅館京屋がある。ここの広場には瀬戸内バスの横峰寺登山バスへの乗り換え所もあります。
今日はこの横峰寺のみなので昨日までとは違って精神的にもゆっくり歩けそう
である。ここを通り過ぎるともう台風の爪跡が残っている。右手の竹やぶが崩れ
台風の爪跡
落ちて道路を渡り左側のがけ下に落ちている。
竹やぶの根つこが多いのにダメだつたのだ。水の力
はすごいものである。復旧用の車両が通れる程度に
片付けてある。ところどころそんなところがあり一度登
って下りると小川を越える。三叉路になつていて横峰
登山道は右手へ、左手に進むと極楽寺を通り河口へ
行ける。暫らくの間は川に沿って歩くことになる、ここ
らあたりは森の中である。川の水が溢れたのであろう
爪跡が何ヶ所も見受けられる。
暫らく進むと小屋がある、有料道路の料金所のゲートである。しかし、今は不通なのでポールは揚げたまま
になっている。ここで時間は9時丁度である。ここまでは比較的道も緩やかで歩
き易い。通り過ぎてまた暫らく進むとだんだんと急な坂道になってくる。その頃に
は森を通り過ぎ空が見えてくるようになつている。九十九折になると下界が見渡
せるようになり元気も出てくる。しかし、四国はどこのお寺さんもそうであるように
最後がほんとうに急勾配で息がきれる。車道を進むと最後の所で駐車場とお寺
への分かれ道が出てくる。歩きの場合は右手に上がった方が近道である。
駐車場はずいぶんと遠そうだ。こちらから登ると妻白大明神(横峰寺の鎮守神
で豊作、商売繁盛、延命息災、家運隆昌などを叶えてくれる)を通り山門とは
反対側で大師堂の横へたどり着く。
60番 横峰寺到着は10時10分ちょうど2時
間かかったのだ。山門に回りご挨拶しお参りを始める。このお寺でも工事中で
大師堂のまえに重機が置かれ溝が掘られていた。納経して、星ノ森へ歩く。
星ノ森から石鎚山を望む
あまり良い見通しではないが何とか石鎚山が
見えた。この右手には地蔵さんの祠もある。
 石鎚山の中腹に建つこのお寺は神秘的な
雰囲気をかもし出している。本堂の屋根の色も
この雰囲気にあっている。
役行者が星ノ森で石鎚山を拝んでいると、
蔵王権現が現れたのがお寺の始まりである。
弘法大師も42歳の厄除けに訪れ星祭りを修法
。(そのためこの地を「星ノ森」と称する)
結願の日に、再び蔵王権現が石鎚山の頂上
に現れた。大日如来を刻んで本尊とし霊場に定めたという。
今回の車道の上り下りで出会った歩き遍路者は7人のみである。
やはり台風の影響なのであろう。歩く場合は大頭・湯浪経由でないと仁王門に
最初に辿りつけない。帰りもこの道しか歩けないので同じ道を戻る。復旧工事も
進んでいるようで護岸が新しいコンクリートで作られている、また工事関係者が
何人か見受けられた。瀬戸内バスのホームページによると登山バスの開通は
05年3月と書かれている。瀬戸内バスのHPは
         http://www.setouchibus.co.jp/  です。
しかし、遍路道については復旧の見込みはどこにも知らされていないが、
どうすれば分かるのか不明です。掬水へんろ館のHPで確かめるか瀬戸内バス
へメールを打って確かめるしか手立てがないと思います。
掬水へんろ館ではいろんな遍路に関わるニュースが手に入り便利です。
  掬水へんろ館へは
         http://www.kushima.com/henro/  です。
下りも時間的には同じで13時に黒瀬峠です。この三叉路を左折して県道142を下ります。はじめの少しだけみちはばが広いがすぐ部落の中に入り狭くなる。
このところにも鳥居がある。部落を通り抜けるとまた道幅は広くなる。この県道も
何ヶ所か崩れ落ちて応急工事で通れるようにしてある。63番へ14時に着く。
昨日訪れたがまた今日もご挨拶による。伊予氷見駅からJRで伊予三島まで
列車にのる。三島駅から歩いて15分ほどで今晩の宿ろんどん荘に着く。
ビジネス旅館と頭に付くだけ合って仕事で長期滞在者が多い。また宿泊者数
が多いのにもびつくりである。きさくな女将さんでビジネス客はほとんどがリピー
ターで、食事中に賑やかな話が絶えない。こちらは初めてで明日の予定を
伝えたいがなかなか話の中に入り込めない。やっとの思い出明日朝早いこと伝
える。食事は6時半からしか用意できないといわれるので、オニギリを2ケたのむ
。ついでに会計もお願いして部屋へもどる。食事は結構言いモノが出た。うなぎ
の蒲焼まででてきたので安いと思われる。お茶は廊下の一ヶ所にポットと用意
してあるのでそこまで汲みにゆかなくてはいけないのが不便。
ふとんはやはり自分で押入れからだして用意する。毎晩のことだが明日の予定
を確認し、訂正するところは直す。遍路地図をなくした後は宿の地図と家から
持ってきたアトラスの道路地図が頼りだ。しかし、コピーしてきたのは山へ登る
お寺のみである。今日の横峰寺、明日の三角寺、雲辺寺だけであるので、
67番さんから70番までの道筋を書き写す。簡単な目標と道の曲がり具合を丁寧
に書いておかないと迷ってしまうから。しかし、後から考えるとこんな書き写した
ものでも何回か尋ねてたどり着けたのだから方向感覚が良い方なのか。
今日はとにかく60番のみとしておいたのがゆとりも持てて正解だ。
  
宿泊先

ビジネス旅館
ろんどん荘

電話番号:0896-23-2126

住   所:四国中央市三島中央5-3-46
宿泊料金:6,500円 1泊夕食と昼のおにぎり
トイレ(和式)、洗濯機、乾燥機
リピート度: ○


11/25 晴れ気温20℃ 通算19日目 予定より早くなつたので旅館を変更する
  ろんどん荘→(65番)三角寺→(別格13番)常福寺→(66番)雲辺寺→(67番)
  大興寺→(70番)本山寺→(68番)神恵院→(69番)観音寺→観音寺駅前、
  
一富士旅館

  5時朝食の代わりに夕べいただいたオニギリを1ケ食べる。ずいぶん大きくて
1ケで満腹になる。1ケごとにラップで包まれていて、上にふりかけが袋のまま入
っているのでふりかけをオニギリにかけて食べる。小さな心配りがしてあるオニギリだ。5時40分に出かける。まだだれも起きていないので、そっと玄関の扉を
開ける。鍵はかけてないのでと夕べ女将さんに聞いていた。
交差点の角の宿で向かい側に郵便局があり横に停留所があるが女将さんは
間違いないから駅前まで行くようにと言われていたので三島駅まで歩く。
跨線橋の上の駅でJRの待合室はまだ開いていない。瀬戸内バスは近くの車庫からでてくる6時14分発の新宮行きの一番バスに乗る。今日もだれも乗ってい
ない。6時37分に三角寺口に着く、下りるときに入り口を教えていただいたうえ
にのどを潤わしてくださいとジュース代を接待していただく。親切に教えていただいた上にありがたいことであるこの運転手にまた後で会うとは考えられなかっ
たが------また会うのである。途中から急な坂道になるが舗装はされている車
道で上分PAの横から来た道と合流する。時々出勤の車が下ってくる。
65番 三角寺へ7時15分に着く。このお寺は三角山の中腹に建つ。本尊の
十一面観世音菩薩は檜の一本造りで平安自体のものといわれる。
開運厄除け、安産子安の観音様として知られている。寺の庫裏にあるしゃもじ
をそっと持ち出し、子授けを祈りながら夫婦仲良く食事をすると子宝に恵まれる
という。(現在は庫裏でお借りする)願いが叶ったら新しい2本のしゃもじを持って
お礼参りにくるということになっている。仁王門の左側に小林一茶が詩に読んだ
樹齢300〜400年の山桜がある。66番へはだらだらとした舗装道を歩くことにな
る。歩き始めて直ぐにつぶれて荒れ放題のゴルフ場の回りを歩く、荒れ放題に
なったコースをみると何処がティーグランドだつたのかもわからないほどにすすきなどが生い茂っている。バブルの残骸だ。歩きながら予約してある今晩の宿
民宿おおひらを解約する。この時間なら観音寺市までたどりつけそうだ。
間に合わなければタクシーでても乗ろう。しかし、手持ちの資料がない。
古いかもわからないが一富士旅館を予約する。これが大変なまちがいだったと
は----後でわかる。隣には真新しいビジネスホテルがあったとは--とほほ。
案内の標識もここは多くて安心して歩ける。足も始めの2日ほどは大変だった
が今は快調である。通る車も少ないので歩道が無くても安心だ。県道5を平山
で別れると半田休憩処がある。ここは建設会社がご接待で開かれている休憩
所だ。暫らく家並みのあるところである。選挙カーがやかましいほどの音量でど
なっている、近くにいるのかと見てもいないが、山に反響して遠くまで届くようで
近くにきたら一段と音がうるさい。そんこと考えて歩いているうちに高知自動車
道のガードをくぐる。66番への途中の番外
別格霊場13番札所 常福寺に9時
にたどり着く。ここは弘法大師がこの庵を訪れ病封じの祈祷をされ、そのとき
地中に立てた杖から椿が芽を吹き大樹になったといわれからまたの名を
  
「椿堂」という。
赤い門が印象的なお寺です。
椿の花咲く椿堂
へんろみち保存協力会発行の「四国遍路ひとり
歩き同行二人」の本でも紹介されているように
若い住職夫妻の温かいご接待は、歩き遍路に
とって心温まるものになっている。
フリーのアナウンサーの永井典子さんはHPで
このように書かれています。
「常福寺さんなら、頼めば泊めて下さるかもよ」
と聞いていたのだ。住職は「以前は泊まりもや
ってたけど、今は・・・うーん」と考え込みながら
も、「なんとかしてあげよう」というお顔。ご自分
でも「歩き遍路」をされたことがあるそうで、
「歩き」の辛さや楽しさ、お接待の有り難さを、
身をもって知っておられる、なんだかとても親近感のわく、頼れる兄貴という
感じなのだ。
 
彼女の「遍路きらきらひとり旅」のHPは
       http://www.kushima.com/henro/noriko/ です。

接待していただいた
お茶とお菓子
 予定の時間もたっぷりあるのでここでゆっくりさせて
いただく。夕べ泊まられた感じの3人連れを車まで
住職夫妻が見送られるところである。3人の中に一人
お坊さんらしい人がみかけられた。
境内の椅子でくつろがしてもらっていると住職夫人
(お庫裏さま)にお茶を接待していただけた。
ありがたくお菓子も戴く。温かいお茶は美味しかった。
納経所へお返しに行きお尋ねする。(番外の納経は
初めてなのでどこに書いていただけるのかを)後に
白紙があるはずですと、なければこちらで用意した
紙にしますとの返事でした。(はずかしながらいままでなかった)納経帳を出し
てお願いすると後にありますね、ここにさせていただきますと丁寧なお言葉でし
た。お金をと尋ねると歩きの人からはいただきません。接待ですといわれ受け
取っていただけませんでした。
こじんまりとした境内で良く見るとおもしろいものもあります。
    
福の神

こんな神様も祀られていて楽しくなります。
大師堂は向かい側にあり、立て直って新しくな
っています。
ぜひ歩きのかたはもちろんですが、車のかたも
国道192沿いで川滝のJAの右側ですので寄っ
てやってください。心優しく美人のお庫裏さまが
お待ちです。

「椿堂」のHPは
    http://www.tubakidou.com/ です。
椿堂さんは別格霊場のHPも管理されています
。今回は川滝のJA前の瀬戸内バス停椿堂前からバスで雲辺寺口まで乗車す
るため時間調整もあり1時間お邪魔していました。話が横道にそれたようで本筋
にもどさないと今日はまだ先が゛長いので---9時50分に下の国道のバス停に
移動する。JAの人が出入りされるがどの人も頭を下げて行かれる。
10時5分発のバスである。今回は4〜5人先客がある。このバスの行き先はは
阿波池田駅までである。境目峠は今はトンネルであっという間に通りすぎてし
まう。トンネルを抜けると徳島県であり、歩き遍路の宿に多く使われている民宿
岡田を通り過ぎ雲辺寺口バス停へ着く。下りるときにまた運転手さんに下りてか
ら歩く道を教えていただく、その後運転手さんが「あっ」といわれ朝三角寺で降
ろした人だねといわれるのでじっくりお顔を見るとそうである。こちらは何も気づ
かなかったけれども、覚えていてくれたのにはうれしかった。
馬路川に架かった橋を渡ると民宿岡田の裏から来た旧道に突き当たるので右
へ行く。もう目の前は山で高速道路の脚がそそり立っている。その下をくぐるこ
ろには急坂になってくる。初めは階段になっていて歩きにくい。
66番への遍路道
遍路路らしくなってくる、藤井寺から焼山寺へ
の道の最初の急な坂道=遍路ころがしに匹敵
する急勾配だ。しかし、これは30〜40分で抜け
れる。その後はだらだらと暫らく登ると急に前が
開けて曼陀トンネルからの自動車道にぶつか
る。あたりは一面畑である。今までの急な登り道
は何だったのかと思わず頬をつねりたくなる
光景だ。12時に66番 雲辺寺に着く。雲辺寺口
から1時間45分である。
88ヶ所の中で一番高いところにある(921m)お寺
であり1番霊山寺から1,000Kmの距離という。
このお寺の縁起は材木を探すため、16歳の弘法大師が登ったとき、秀麗な山
の趣に心を打たれ、一夜にして堂宇を建立し
水屋
たという。四国高野ともよばれる。
ここの水屋は変わっていて三方囲まれた小屋の中に
あり、光センサーによって人を検知して龍の口から水
が出るようになっている。これも高い山の上のために
節水対策の一つなのでしょう。広大な境内を持ち
五百羅漢像や願いをこめて腰掛けると願いが叶うとい
うナスの腰掛、中にお経を納めたマニ車などがありま
す。また、山頂には展望台やスキー場などがあり、
県境標識
ロープウェー駅の
すぐ前の道に県境の標識がある。お寺は徳島県に含まれる。
下りはロープウェーを利用する。
    ◆全長/2,594m
    ◆支柱間距離/1,882m(日本最長)
    ◆ 高低差/657m
                       ◆定員/101名
                       ◆運転速度/10.0m/s(日本最速)
料金は片道1,200円です。待ち時間なく乗れた。下りは三豊平野、瀬戸内海を
一望できる。67番を探し求める。乗っていたのは4人のみであったが、下の駅で
は団体さんが待って見えた。広場を一回りみてからタクシーを探すがいないの
でキップ売り場へ電話番号を聞きにゆく。するとキップ売っていた女性が掛けてあげますといわれるのでお願いすることにする。
駅の前で待つてください15分ぐらいかかりますからと言われる。ベンチに荷物
を降ろし、おにぎりを取り出しいただく。すると前の果物屋さんのだんなさんが
ミカンをお接待です食べてくださいともってきてくださいました。先ほどお願いし
た女性が探しに出てみえ、今ここへ立石タクシーが来ますのでお待ちください
と連絡してもらいました。観音寺市まで行きたいので67番までお願いする。
萩原寺の横を通り241から国道377へと進む。2,550円で67番 大興寺へ行けた、13時すこし過ぎたところである。入り口に乞食の托鉢が立っている。
ところどころで見かけるが無視して通り過ぎる。このお寺には本堂をはさんで
右側に弘法大師堂、左側に天台大師堂があり2宗派に管理されていた名残り。
八百屋お七の恋物語のお七は処刑されたが相手の吉三郎は四国遍路に出た
、この寺で仁王の首が痛んでいるのを見つけ、お七の供養のために新しい首
三鈷(こは本当は月辺)の松
にしたという話が伝わっている。仁王門は四国一大きいといわれる。
56番にもあった三この松(松葉が3っに分かれている
)が本堂の前に立つ、他にも弘法大師お手植えの樹
齢1200年にもなる楠とカヤの木がある。納経所は
本堂の一角にあり住職さんが気軽に声をかけてみえます。私にも脚は大丈夫
ですかとかけていただけました。初めからテーピングテープで足を巻いてます
ので今のところ大丈夫ですと答える。先ほどのお方はまめが出来たと言って
絆創膏をここで貼ってみえましたよといわれる。
本堂には願いを書いた太いローソクが並んで立てられている。
次のお寺にむかって歩き出したのは13時半である。
時間を節約するために70番さんから先に回ることにする。70番へは遍路道を
外れることになるので夕べ書き写した地図が役立つことになるはずだ。
国道へでて川を越え東へ歩くとすぐ三叉路の信号になる。この信号を左手に取
り進む、夕べの書き写した地図によるとガソリンスタンドが目印だ。山本町の町
中で小さなスタンドを見つけ信号を左折する。これが県道5だから正解だと分か
り安心して歩く。後は江藤橋で財田川を渡れば堤防道路を下って行けばたどり
着くはずである。上手く一度で橋を渡れて堤防を歩く、途中に有名な食品会社
などがある、しばらく歩くと高速道路の下を通る。国道11を渡ると目の前に現れ
る。
70番 本山寺である。ちょうど15時になっていた。山門が2ヶ所にあり1ケ所
道路側の山門
は道沿い、もう1ヵ所は駐車場側、たしてどちらのが
そうなのかわからない。本堂は香川県の札所で唯一
の国宝だそうです。ここも一夜にして建てた。本尊は
馬頭観音で馬頭観音を本尊としているのは88ヶ所
唯一。五重塔があり遠くからも良くみえる。
ここから68番、69番へは逆コースを歩くことになる。
川の堤防道路にでてまた悩む、小さな川が手前にあ
りはたしてどちらを行けば良いのかわからない。通り
かかった女性に尋ねるとなにやら向こう側を歩けと言
われるが後で考えると橋を渡った向こう側という意味だったようだ。
その時はそう考えずにこちら側の向こう側という解釈になってしまい、中堤を歩く
ことにする。後で地図で確認するとここは財田川リバサイドパークといって公園
になっているのだ。先が行けそうにもなくなる雰囲気になってきたので早めに
手前側の道に戻る。直ぐに中の道は行き止まりになっていた。JR予讃線を越し
て歩くと鹿隈橋の手前で右からきた川と合流するようになる。この手前で畑仕事
をしてみえる人に堤防から声をかけて68番を確認する。すると立ち上がり先の
方を指差しあの山の下だと教えていただけた。その後は目標が確認できたの
で安心して歩けた。何処で誰に聞いても四国の人はやさしい、ありがいことであ
る。小さな橋を渡りけんどう49を河口方面に一路歩く。この堤防道路は快適で
ある。歩道も確保されておりロードだ。自動車用の標識で堤防道路を右折して
下りるとすぐに
68番 神恵院、69番 観音寺だ。16時05分に到着する。納経
時間に間に合わないといけないとずいぶん急いだ。これならゆっくりと2ヶ寺を
見て歩ける。ここでも何人かの歩き遍路と出会う。
2つのお寺名前が書かれている
69番と同じ境内にあり納経所は共通です。
琴弾山にあった札所の神宮寺を明治の神仏
分離令により観音寺の境内に移したのが始まり
で、1寺2霊場はここのみ。
入り口の仁王門には右の柱に四国68,69番霊場と左側の柱には七宝山観音寺、神恵院と書かれている。
神恵院の本堂は新しく建て直っており、コンクリ
ートと白木を組み合わせた現代的な建物です。またお庭は回遊式庭園で「巍巍園」という。
ツツジの名所として名高いという。
16時40分に今晩の宿である一富士旅館に向かって歩きだす、納経所で予め道
を確認した。琴弾八幡宮の前を通り財田川を渡る。
瀬戸内海に沈む夕陽
ちょうど日没で夕焼けが見れる。明日も天気はよさそ
うである。明日のご加護を歩道からお祈りする。
宿は観音寺駅の目の前であるが、隣に立派なビジネ
スホテルが建っている。こちらに予約すればよかった
な-と後悔する。(観音寺サニーイン)入ってみるとやは
り思ったとおりである。宣伝は家族的なおもてなしと書
いてあったが老夫婦二人の経営で建物、設備は昭和の30年代のものだ。新しいのは冷暖房が出来る
エヤコンぐらいなものである。夜の食事のおかずは
仕出屋から取ったものでパックに入ったままでてくる。これではガッカリである。
風呂も自宅の風呂より狭いものであった。次回と言われればお断りである。
しかし、雨露凌げるのだから贅沢を言っているのではまだ、悟りも何もない凡人
だとも思うが。
朝食は7時からしかできないという。明日の予定を考えて寝ることにする。
宿泊先

一富士旅館


電話番号:0875-25-3310

住   所:観音寺市観音寺町1234-1駅前
宿泊料金:6,825円 1泊2食付き
トイレ(和式)
リピート度:考える


11/26 晴れ気温20℃ 通算20日目 家を出るときの予定より1ヶ寺多く回ることに
   一富士旅館→(71番)弥谷寺→観音寺駅→自宅へ

6時に起床。朝食は7時からだが、少し早めに出来たとのことで6時50分に下り
る。一階で朝食。今日は何か用事ができて早く起きたということだった。会計を
お願いして支払う、ここも消費税分値上げになっている。7時過ぎに宿を出る。
7時15分発で宅間駅へ、駅前でバスの時間を見る、出た後で接続していない
ので、待っている間にだいぶ歩けそうなので歩くことにする。東へ歩けば良いだ
ろうということで、県道48をガードをくぐり歩く。はじめは歩道も会ったが直ぐに
なくなってしまう。車は良く通るし怖い。最初家を出るときには予定してなかった
ので地図も無いので夕べ旅館に置いてあった香川ガイドマップをいただいた。
これが役立つ。一度低い峠を越えると開けた先の左の山の上に何か見えるよう
になる。元気をだして歩ける。まだ、犬の散歩されている人を何人か見かける。
左折して坂を登る、車道と分かれやっと遍路道になる。木立の間を進むとまた車道に突き当たる。お寺へは道を渡ることになる。こちら側の左手には大きな
道の駅が作られている。ふれあいパークみのといい、天然温泉のいやだに温泉
も併設になっている。泊まりも出来るようである。
参道を進むと名物茶屋の俳句茶屋の前を通る。季節外れなのか店は閉まって
いる。この後は階段の連続である。71番 弥谷寺に8時35分到着。仁王門をくぐ
ると石仏が両側に並び川を渡ったところが賽の河原といわれているが、私の目
では何処が河原か分からないほど開発されてしまっている。このお寺は弘法大
師が8歳から13歳の幼少期に勉学に励んだといわれる場所で、
大師堂内の奥の院
大師がこもった岩窟が大師堂の中にある。
大師堂の中を左に回ると後ろ側に行け、そこに
奥の院があり、「獅子の岩窟」と呼ばれ、獅子が口を
開けたような岩の穴で大師が学問や密教の修行をし
た様子が洞窟の中に再現されているほか、三尊が安
置されている。また、本堂背後の岩壁には、珍しい
磨崖の阿弥陀三尊像等多くの磨崖仏が彫られている
。本堂は一番高いところにあり、下界が見渡される。
広い境内で約1時間かかって見て回る。区切り打ちの
打ち止めの報告とご加護への感謝をこめお勤めする。
観音寺駅13時発のしおかぜの指定券がとってあるので、9時20分に宅間へもど
るため歩きはじめる。約1時間で帰りも戻れ、観音寺駅へ11時少し過ぎにもどれる。荷物はコンイロッカーに預けたので取り出してから食事をしようと駅前を
右に歩く、セルフのうどん屋さんのほか何も無い。信号まで行くと元総理大臣の
大平正芳記念館があった。駅へ戻り今度は左へあるくがめぼしい店はない。
再開発中なのか食事する店が無い町だ。しかたがないので、駅の斜向かいに
ある喫茶店で定食をいただく事にする。後からサラリーマン風の4人つづれも食
事に入ってきた。適当なところがないのでやはりここに入った様子である。
これで3回目の区切り打ちも無事終了である。
 
   

      
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