表紙>Menu>はじめに>閑話 区切り打ち2回目


土佐の国修行の道場
と伊予の国4ヶ寺

2004,11,22〜28

   
11/22 晴れ気温18℃通算7日目 暗くて大変だった最御崎寺への登り道
 岐阜羽島→岡山→高松→徳島→海部→甲浦→御厨人窟(みくろど)→(24番)最御崎寺(宿坊)

  7時25分初で2回目の区切り打ちに出かけることになる。京都でのぞみに乗り換えて岡山へ。マリンライナー、うずしおと乗り継いで徳島へ11時53分に着く。12時29分発の列車で海部へ向かう、途中の日和佐で列車の中から薬王寺に向かってお祈りし2回目の区切り打ちを始めることをお願いする。海部からは第3セクターの阿佐海岸鉄道である。いくつかのトンネルを抜けると甲浦(かんのうら)駅であるもうここは高知県だ。ホームは2階にあり下りると待合所になっている。途中から乗ってきた若者はサーフボードを持っている。列車に乗って波乗りに行けるとは海のない県から来た私には不思議な光景に思えた。青年はどこへ必死に電話しているが、電話終わったらタクシーに乗っていってしまつた。近いところに出来るところがあるのだろう。今回私たちはバスで室戸まで移動する。バス停は駅の前にあるので時間までここで待つ。土佐電バスと高知東部交通の2つが運行しており、どちらのバスでもいいようである。今回15時49分発は土佐電バスである。海がやがて見えるようになると先ほどの青年が来たと思われる波乗りが出来る浜だ。
夫婦岩
こんな時間から来て今晩お泊まるりのだろうか。週末から来て日曜日に帰る一泊二日なのだろう。いくつかの岬を通るこの国道55は昔は大変な遍路道だったと本に書いてあったが、今では舗装されている。民宿徳増を過ぎると鹿岡鼻で目立つ岩がある、夫婦岩である。バスをホテル前で降りる。16時38分まだ明るいので番外霊場 御厨人窟(みくろど)を見るため戻る。御蔵洞とも書く。大師の「土佐室戸崎に勤念す。谷響を惜しまず、明星来影す」の悟りを開いた修行の場である。大師は窟内に住み、人畜に害を与える毒蛇を追い出し、その後に愛満五社権現を勤請、本地佛に愛染明王を祀った。
御厨人窟
ここで虚空蔵求聞持法の修行をしていた大師は「明星口に入り、虚空蔵光明照らし、菩薩の感をあらわす」としう神秘体験をした。教海から空海に解明したのもこの地といわれている。このお話は最御崎寺での朝のお勤め後の説教で住職からお話が聞けました。前回の9月とは違って秋も深まっていて陽は釣べ落としなのである。 20分ほどの時間だったが椿の木や亜熱帯植物が茂り暗くなるのが早く足元が不安。途中に「一夜建立の岩屋」があります。急な登りと暗さで辛い小言ばかりが口をついて出る。何とか灯台への分かれ道にたどり着く、するとまもなく山門が現れ17時20分に着く。24番 最御崎寺の境内には団体客が数多くお参りを先達と共にしてみえる。こちらもお参りのみ済ます。宿泊施設の中を通って玄関脇の受付へ行く。予約したむねを伝えると書き留めてないという、一瞬焦ったが何とかしますので椅子に架けておまちくだ
朝食でもこんな豪華
さいと女将さんにいわれ一安心である。帳場は団体客の食事の用意と、もう一つの団体の部屋割りでごった返している。女将さんから納経は済んでいますかと訪ねられるのでまだですと答えるとここで書きますので出してくださいと言われお願いする。暫らくそのまま待つと狭い部屋ですが何とか泊まっていただけますと部屋へ案内される。廊下の突き当たりのなんとも言えない部屋だったがこれで一安心である。早速風呂へはいらさせていただく。その後食事になりこちらは座敷である。宿坊がユースホステルを兼ねていてそのためか大変に混んでいる。団体以外でも十数名である。

宿泊先

最御崎寺
遍路センター
(宿坊)

電話番号:0887-23-0024

住  所:室戸市室戸岬町4058-1
宿泊料金: 5,000円 1泊2食(部屋が悪いので割引)
トイレ(洋式)、ハミガキセット有り



11/23 晴れ気温17℃通算8日目 土佐の関所神峯寺も大変だ
(24番)最御崎寺→(25番)津照寺→(26番)金剛頂寺→(27番)神峯寺→唐浜→高知グリーンホテル

 5時起床。6時半から本堂で勤行。普段は本堂ではないそうですが今日は宿泊者が多くていつもの場所では入れないので本堂だという。なんと幸運なのでしょうか。
室戸灯台
朝早い本堂はシーンとしていていっそう厳かな雰囲気である。ほとんど本堂一杯の出席者である。お経を印刷した手本をもらい席に着く。お庫裏さんがご詠歌を歌われそれはそれは大変美しい声でした。お勤めが終わった後で住職さんのお話があり昨日訪ねた御厨人窟の話もでてきたし大変ありがたいお話でした。これがあるから宿坊に泊まる意義もあるのです。。終わって朝食をたべて支度をする。境内のお参りを改めてしてから灯台も近いので見学に出かけてから次の25番へ向け玄関から坂を下る。杖は玄関前の杖立てに預けてあったので忘れずにもらう。急な車道を歩く。車道はスカイラインとなっている。下ると国道55で三叉路になっていて旧道が並行して走っている。バス停は旧道にありる。
行当岬方面を望む
バスで次の室戸市内まで移動する。25番への入り口が分からず国道55を進む、歩いている人を見つけて訪ねる。もっと左手の海岸よりにあると言われる。室津川沿いに歩くと小高い山の上に見えてきた。ぐるーっと半周したことになるる。25番 津照寺である。地元では津寺とよばれている。急な124段の石段の途中に鐘楼門はありその上に本堂はある、室津港が見下ろせる。このお寺は大師が海上安全を願って延命地蔵菩薩を刻んで、安置したのが始まりという。そのため本尊は楫取地蔵(かじとり)とよばれこんな話が残っているという。土佐藩主だった山内一豊が室津沖で暴風雨に会い遭難しかけたとき、一人の僧が現れ、その僧が舵を取って無事にもどることが出来た。翌日、津寺を訪れると本尊の地蔵菩薩はびしょ濡れだつたという。海上安全の守護仏として信仰を集めている。納経所と大師堂は石段の下にある。26番へは山門を出て右手に歩く港なので魚を扱う店が目立つ。川を渡り住宅街の遍路道を歩くことになるがここでカイドブックにあつた砂浜を歩くために海岸へ下りしばらく波打ち際を歩く。幾人かの老人が生みを見に出てきてみえる。工事中の所があり止む無く遍路道へもどる。元川を渡ると民宿浦島が現れそこで右折するとだんだん山へ入ってゆく。26番 金剛頂寺て10時半過ぎに着ける。金剛頂寺は東の最御崎寺とならび西にある行当岬に建っていたので、西寺とも呼ばれる。現在も宿坊の施設など張合いが続き、この2ヶ寺の宿坊は泊まって不足はないという。
一粒万倍の釜
大師が嵯峨天皇の勅願によって薬師如来を刻み本尊として開基した。うっそうとした木にかこまれた境内には県の天然記念物のヤッコソウが本堂右側に自生している。弘法大師がおコメを炊くと万倍に増えたという「一粒万倍の釜」が飾られているほか、霊宝殿には国の重要文化財が多数収蔵されている。次の27番へは山を岬の反対側へ下りる。歩き出すと一段低いところに宿坊が建っていた。遍路道を下って平尾まで下る国道55に出ると、反対側の海岸沿いに道の駅キラメッセ室戸がある。まだ新しいぴかぴかの建物で、鯨の郷とも言い、鯨の資料館がある。入場料は大人300円である。併設されている食遊というレストランで昼食にする。
金剛頂寺からの下り道
少し早かったので席にすぐつけたが、食べ終わる頃には満員で席待ち状態になっていた。元橋のバス停から東部交通のバスに唐の浜まで乗る。国道55の停留所から直ぐに右折して進む、入り口のお店に荷物預かりますという張り紙を見つけて聞いてみると無料で預かりすと言われるのでお願いしてリュックを預ける。頭陀袋に必要なもののみいれて身軽になって神峯寺へ向かう。 始めのうちはなだらかだがだんだんと急坂になつてくる。27番 神峯寺に着いたのは14時半近くである。このお寺は神峯山の山頂近くにたつ。土佐の関所とも言われ最後の急坂は「真つ縦」ともいわれる急勾配である。仁王門からさ
太平洋と安芸方面

に150段もの石段がある。石段の両脇には手入れの行き届いた日本庭園が広がり癒される思いがする。ツツジの木が多く5月には見事な眺めになる。また、石段したの右側には、岩の間から流れる霊水「神峯の水」があり一口いただく。疲れた体に染み渡る思いである。この霊水のお話は、こんなである。病に伏し危篤状態に陥った女性が、夢に現れた大師にこの水を飲ませてもらったおかげで一名をとり留めたという。治った女性が滝のように湧き出る水を探して四国霊場を探し回っていると、この神峯寺に行き着いたという。この寺は元は神社として創建されたが、聖武天皇の勅命により大師が伽藍建立し、神仏合祀した。明治に神仏分離令により廃寺となったが、後に再興された。神峯神社は展望台への途中にある。28番へはまた来た道を戻ることになる。下り始めた最初の農家の庭先でミカンを売っているので買い求め食べながら戻ることにする。この坂道は道幅゛が狭く大型のバスで来た遍路さんは下で小型の車に乗り換えていた。荷物預かったお店に戻りコーヒーを頂く。今晩は高知市内に泊まるのでごめん・なはり線で高知まで移動する。唐の浜駅へ歩く。電車の高架下まで戻り、左へと歩く。この路線は新しいのか駅も線路も何もかもが新しい。電車が来たのでのるが大変混雑している。そういえば先ほど奈半利の町を通ったときに駅前でイベントをしていたが終わったのである。
なはり・ごめん線からの夕日
途中の安芸の町にはプロ野球の阪神のキャンプ地で名高い安芸市営球場も見える。ここの列車はまんがのアンパンマンにちなんだ列車と駅名がついている。今回乗った列車はJRへ直接乗り入れしているので乗り換えなしで高知駅に着く。宿は駅前の江の口川を渡った先にあった。18時を回っているのですっかり暗くなっている。今晩のビジネスは夕食がついていないので外で食べることにして、宿に行く前に食べようと言うことで探すがないので駅ビルの食堂街に入る。食べてから高知グリーンホテルへ向かう。
  
本日のデータ
宿泊先

ビジネスホテル
高知グリーンホテル

電話番号:088-822-1800
 http://www.kochi-greenhotel.com/
住   所:高知市はりまや町3丁目1-11
宿泊料金:9,240円 ツイン素泊まり
トイレ(洋式)、洗濯機、乾燥機、ハミガキセット有り



11/24 晴れ気温18℃通算9日目 食べ損ねた、へんろ石饅頭
高知グリーンホテル→野市→(28番)大日寺→(29番)国分寺→(30番)善楽寺→(31番)竹林寺→(32番)禅師峰寺→ホテルサンルート

 7時45分の列車に乗るため早めに宿を出る。高知駅は人がまだ少ない。野市まで列車で移動する。野市駅を下りて真っすぐに歩く。鳥川を渡ると県道22と川の間に龍馬歴史館がある。ろう人形で龍馬の生涯を再現し展示されている。そのまま県道を歩くと右折れの標識で遍路道に入る。登って行くとお土産屋さんのある参道に出る。野市駅から約30分で28番 大日寺に着いた。三宝山の西麓にあり、境内は四季折々の花が見れる。また、本尊は行基作の大日如来だが、本尊より信仰を集めているのは大師が生えている楠に爪で彫ったと言われる「爪彫り薬師」である。
番外霊場爪彫り薬師

明治時代に台風で倒れるまでは、山門から200m右手奥に立ち木のまま祭られて霊木と呼ばれて、奥の院として崇められてきた。現在はその跡地にお堂を
建立して仏像の部分を安置している。これが
番外霊場 爪彫薬師堂(28番奥の院)である。首から上の目、耳、口、鼻などの病に霊験があるという。祈願成就したら穴の開いた石をお礼に納めるのが習わしだという。また左側にある岩より湧きでている清水は、大師御加持水として高知名水40選に選ばれている。次の29番へは西へ歩くことになるが今回は時間の都合でもう一度野市へ戻り列車で御免まで戻ることにする。時間がないので大急ぎで走るくらい急ぐ。何とか間に合って乗れる。御免駅を降りると10時である。後免駅から踏み切りを渡り北上する。
酒断ち地蔵
途中28番からの遍路道に合流し暫らく進むと左手に有名なへんろ石饅頭を売っている山崎商店がある。ガイドブックに食べるといいとかいてあったのだが見落として通り過ぎてしまう。その先にはブドウ狩りができる巨峰園などがある。シーズンなら沢山の人で賑わっているのだろう。国分川を渡ったところで左折する。すると29番 国分寺に着く。駅からここまで50分ほどである。さびれた国分寺が多い中、ここの国分寺はけっこうにぎやかなお寺である。仁王門からは土塀がありその前には杉の木も植えられており、石畳の参道を歩くと、幽玄な雰囲気である。柿葺きの寄棟造の本堂でお寺には数々の国の重要文化財がある。また、「土佐日記」を著した紀貫之はこの地に4年間滞在し、近くにはその屋敷跡もある。大師堂の左側には「酒断ち地蔵」があり、もともとは一つだけ一心に願い事をすると叶えてくれる「ひとこと地蔵」だったが、ある夫婦が夫の酒をやめさせて欲しいと願ったら、願いが叶った。それ以来「酒断ち地蔵」と呼ばれるようになり、全国から多くの人が祈願に訪れるという。お寺へ曲がってきた県道45を先に進むと日本三大鍾乳洞の一つの、龍河洞がある。次の30番へは西に進むことになる。笠の川を渡り田舎道の遍路道を進むと橋が現れ渡ると高知大学医学部がある。ここもまだ新しいようである。その後右折して部落の中へと歩くと山が現れてくる。上って進むと左手に野球場が現れる、そのまま坂道を上りきると県道384に出る。佐川急便の店があり左折して県道を歩く、車もたくさん通り危険だが歩道がまだあるので救われる。峠(逢坂峠という)を上りきってしまうと左手に折れる遍路道が現れる。こちらから歩いて行くと30番の裏手になり一度ぐるりと回ることになる。隣の土佐神社に先にお参りする。ここまで2時間かかっている。
梅見地蔵
30番 善楽寺は、土佐一の宮の別当寺として建立されたが、明治の廃仏毀釈で一の宮は土佐神社となり、善楽寺は廃寺に。後に国分寺に預けられていた本尊の阿弥陀如来を迎えて安楽寺が建立された。その後国分寺から大師像を迎えて善楽寺も再興されたため、30番札所が2つになってしまった。善楽寺は「開創霊場」、安楽寺は「本尊安置の寺」として納経が行われていた。平成6年に30番札所は善楽寺、安楽寺はその奥の院と定められた。安楽寺は高知市内にある。現在も地名は一宮(いっく)である。 境内には、昔は大師堂の梅の木の下にあり、梅の木を仰ぎ見る姿から名が付けられた「梅見地蔵」は首から上の病にご利益があり、ノイローゼ、目、耳、鼻、試験合格などの祈願に訪れる人が多い。現在は本堂の向かい側に祭られている。次の31番に向けて歩き出す。お寺から真っすぐ南下する。県道384の少し手前に30番の山門がある。信号を渡ると道幅が狭くなる。車がよく通るので歩きにくい。暫らく行くとJRの土佐一宮駅(土佐いっく)にでる。駅前には店が少しあるので食べることにする。入ろうとした食堂が休みなので、もどり駅の入り口にあるラーメン屋さんへ入る。食べた後お店を出て通るタクシーを拾うことにする。 10分ほど待っていると通ったので乗せていただく。31番までお願いする。県道44をタクシーは進む。31番の山の下にトンネルがあるがその手前の橋で右折し進むと橋があらわれ渡る。青柳橋で坂を登るようになり直ぐに31番 竹林寺である。お寺と反対側には牧野植物園がある。このお寺は高知市内が一望できる五台山の上にある。縁起によれば、聖武天皇が唐の五台山に登って、親しく文殊菩薩から教えを授かる夢に基づく。鎌倉時代に禅僧の夢窓疎石が中国の蓬莱山を模して、
庭園
地泉鑑賞式の庭園を造った。本尊の文殊菩薩は日本最古のものといわれ、本堂とともに国の重要文化財。五重塔は土佐随一で、高さ31.2mの総檜造りで鎌倉時代の様式である。昔はこの五台山には鹿が多く生息していた。鹿は文殊菩薩の化身として崇められていた。また、桜の名所としても名高く、桜の季節には多くの人で賑わう。土佐民謡の「よさこい節」で有名なはりまや橋の伝説の主人公の一人、純信は竹林寺の脇寺・南の坊に住む修行僧の一人である。
純信・お馬の恋物語はこんな話です。純信に一目惚れしたお馬に、はりまや橋のたもとの小物問屋でかんざしを買ってあげたことが噂になり、駆け落ちをした。ところが、お寺の預かり金を純信が持っていたため追手に追われ、捕らわれて二人とも追放になった。庭園と宝物館は入場料400円で拝見できる。今回タクシーに乗ったことで時間がありそうなので見学することにする。庭園は座敷に上がり廊下を歩いて見学するようになっている。目の保養をさせていただいた。32番へは五台山を反対側へ下ることになる。降りたところが下田川でこちら側の堤防道路が遍路道になっている。五台山小学校のところで地元のお年寄りが話しかけられてみえ、この先こう歩きなさいと親切に教えていただきました。教えていただいた通りに遍路橋を渡り暫らく進んだ後、狭い部落の中の遍路道を歩く。県道247に突き当たり側道から県道に上がる。坂になってくる。山でしばらく歩くと三叉路があり、左手に進むとトンネルが現れる。石土トンネルという。トンネルをくぐると住宅街の中にでる。石土池がありL字型に池の回りを歩くことになる。石土神社を通り過ぎると県道278で信号を左折するとまたトンネルが出てくる。トンネルの手前を右折する。左側の上に見えるのが32番さんであるが、ここもぐるっと回って登るのである。山をほとんど1周くらい回って上ると
32番 禅師峰寺である。ここまで1時間40分かかっていて納経の締め切りまで30分ほどしかないので急いでお参りを済ませ納経する。峰山にあるため通称峰寺と呼ばれる。大師が海上の安全を願って
不動明王の後ろの奇岩
十一面観音像を刻んで安置し、「船魂観音」と呼ばれ漁師からの信仰が集まつた。補陀落山のように八葉の蓮台に似ているところから八葉山と名付けられた。仁王門と金剛力士像は国の重要文化財である。境内には奇岩が幾つかあり、鐘楼の後ろにある岩は潮の千満によって岩の窪みに溜まる水位が変わるという「潮の千満岩」、不動明王の後ろには、海の底から隆起したという岩もある。境内からは土佐湾が見渡せ条件のいい日には室戸岬や足摺岬まで見えるという。手前の海岸にはビニールハウス、温室が立ち並ぶ。 帰りはバスにしようと思って山をくだったが、バス停に来るとすでに出た後だった。バス停までの間にこれから登るという若い女性とすれ違う。果たして間に合うのだろうか。声だけ掛けてすれ違う。バスはあきらめてタクシーで市内のビジネスへ戻ることにする。調度通りかかったタクシーに頼み無線で呼んでいただくことにしてここで待つ。タクシーは太平山と大畑山トンネルを抜け市内へ。駅前で降りて夕べ食べた駅ビルの2階の食堂で今晩も食べる。明日の朝食用に下の店でおにぎりを買い求めて宿へ歩いて行く。高知駅前から市電が出ているのだ。今日の宿ははりまや橋に近い。昨日もここに泊まりたかったのだが満員で予約できなかった。お金は安く部屋もこちらの方が良い。

宿泊先

ホテル
サンルート高知

電話番号:088-823-1311
 http://www.sunroute.jp/index.htmlから
住   所:高知市北本町1-1-28
宿泊料金:8,085円 ツイン素泊まり
トイレ(洋式)、洗濯機、乾燥機、ハミガキセット有り

 

11/25 晴れ気温23℃通算10日目 今晩は人の良い女将さんの待つ喜久屋泊まりだ
ホテルサンルート→(33番)雪蹊寺→(34番)種間寺→喜久屋旅館→(36番)青龍寺→(35番)清瀧寺→喜久屋旅館

  出発の準備をして7時15分に宿を出て、堺町のバス停へ歩く。途中はりまや
はりまや橋
橋がある。夕べ宿で場所を確認しておいたのでよかった。今日一日のコースを考えるのには高知県交通さんに大変お世話になりました。メールでバスの時刻を訪ねたら関係する路線の時刻表を10枚もFAXいただきました。またアドバイスもいただき大変ありがたかったです。堺町バス停を7時35分発で長浜出張所まで乗る。降りるときに入るところを教えていただく。降りた県道34を少し進むと信号があり右折する。右折した道は県道278だが道幅は狭いし歩道もないので歩いていると危険を感じる。10分ほどで右側に33番 雪蹊寺に着く。市中のお寺で駐車場も少ない。大師が開基したといわれ、大師自ら刻んだ大師像がある。初めは高福寺と称していたが、その後長宗我部元親が寺を保護することになり、元親の死後、元親の号にちなみ雪蹊寺となった。
太玄塔
また本尊の薬師如来坐像ほか脇侍の日光・月光菩薩、毘沙門天、吉祥天像、善膩師童子は国の重要文化財。明治の廃仏毀釈で廃寺になったが、山本太玄が再興、その弟子・玄峰は若いころ視力を失い眼病祈願をして裸足で巡拝していた。7回目に行き倒れになり太玄に救われ「心眼を開け」のひと言で出家した。出家ご多くの寺を復興させた。境内右手入り口に立つ太玄塔は玄峰が太玄和尚を讃えて立てたもの。この話にあやかろうと眼病平癒に訪れる人が多い。次の34番へは時間の都合でタクシーに乗ることにする。お寺の前からのって2300円であった。しかも途中の春野町で県道278が工事中で大きく迂回してである。 春野の野球場の前から役場へ本当に後で地図で確認すると大回りである。34番 種間寺に8時40分頃着く。摂津の四天王寺を建立するため百済から招かれていた仏師たちが帰る途中に暴風雨に遭い、この近くの秋山に避難した。岐路の航海の安全を願って、薬師如来を刻んで秋山の本尾山に安置した。その後大師が訪れ、薬師如来を本尊として建立した。唐の国から持ち帰った
最古の手水鉢と底の抜けた柄杓
五穀の種を蒔いたことから種間寺と名づけられた。本尊の薬師如来像は国の重要文化財であり、安産の薬師として信仰を集めている。境内には子育観音がありお礼参りに奉納された底の抜けた柄杓がたくさんある。いわれは妊婦が持ってきた柄杓の底を抜いて安産祈願し、持ち帰って出産後奉納する習わしになっているという。
 次の35番へ向かう前に入り口の右側のお店でパンを買い求める。賞味期限が近いのでこれで良ければご接待しますといわれ、ただでいただく。お寺の前には小さな小川が流れている。西へ歩きだすと、軽トラックに乗ったおじさんに出会う。彼は春野役場に用事があって来たのだという。これから進む方向と目標を教えていただく。お目当ての山は遥かかなたに鉄塔のずっと後ろに見える。道は道なりに真っすぐにといわれ、仁淀川の橋は右側を歩くようにきつく言われる。こちら側の左側は歩道がないので交通事故が過去にあったと注意をうける。このおじさんがまた大変親切な人で、また後ほど会うことになるとは思いもしませんでした。工場の横を過ぎ、JAを通り過ぎのどかな田舎を歩く。住宅街を抜けると仁淀川の堤防に突き当たる、ここで先ほどいただいたパンを食べる。これが今日の昼飯がわりである。生コン工場をすぎると国道56の下をくぐる。くぐると堤防に上がる坂道があり、登ってゆくと先ほどのおじさんが軽トラックでここまで来てくれていて待っていてくれる。道を間違えずに来るのか心配で見に来てくれたのだ。おじさんに橋を渡ってからの道を教えてもらう。ここまでの親切に対して二人で心からのお礼を述べてお別れする。何と親切な人がいるのでしょうか、これも大師様のご加護のおかげなのでしょう。教えいただいた通りに仁淀川大橋を歩道で渡り右岸堤防を歩く。向こう岸を見ればまだおじさんが見送っていてくれる。暫らく歩くと下への標識で堤防から降りる。国道を離れたので静かになった。荷物を宿に預けてから35番さんに行こうと喜久屋さんを探す。町の中に見つけ入る。声を掛けると先ほど外出から帰ったばかりだとにこやかな笑顔で出て見える。荷物をお願いすると心安くそこに置いといてといわれる。後で部屋へ運んでおきますのでと。留守のうちに一人置いて行かれたとも言われる。地図を描いて説明するからと白紙にマジックで35番への地図を書き出す。底へ土佐市の市会議員をしてみえる女性が訪ねてみえた。何かおかみさんにとしゃべられた後で、おかみさんがこの二人36番まで乗せていってやってくれとたのまれている。快く引き受けられ車の接待を受けることにする。おかみさんに35番への地図をもらい、見送ってもらってでかける。車の中でいろいろお話させてもらう。国道56から県道39へ入り塚地坂トンネルを抜けると宇佐の町で海が見えてくる。遍路道はトンネルの手前を右の山に登り峠を越えるのだという。突き当たりの防波堤になったような感じの道路を右折し進むと左手に宇佐大橋が見えてきた。県道23を信号で分かれ、左折すると海峡を渡る。その先は横浪スカイラインになっている。三陽荘という金色の大師さまがある立派な宿の前を過ぎると直ぐに右折。36番への入り口である。
清龍寺への遍路道
ここで車から降ろしていただき後は歩くことにする。おかげて時間の余裕がずいぶん出来た。道にはお地蔵さんが並んでいるし反対側には池が見られる。12時に36番 清龍寺につけた。大師が唐の清龍寺で恵果阿闍梨から真言密教の秘法を授かり、その恩に報いるため帰国後て清龍寺を建立しようと発願し、唐から独鈷杵(どっこしょ)を投げた。帰国後大師が四国巡錫中ここで松の木にひかかっているのを見つけて、嵯峨天皇に献上し、不動明王を刻み堂宇を建てた。
独鈷杵とは、心の迷いを寄せ付けないとされる密教の護身、供養の法具。大師が投げたという独鈷は本堂に納められている。同時に投げた三鈷と五鈷は足摺岬と高野山に落ちたという。高野山の奥の院に向かう途中恵果阿闍梨の墓がある。
行場の滝
またこのお寺にはこんな言い伝えもある。大師が海で嵐に遭い難破しかけると、不動明王が現れ宝剣で波を切り開き難を救った。本尊はその時の姿を刻んだもので、海上安全の寺として漁民の信仰を集めている。脳キヨウをすませ35番へ戻ることにする。先ほど乗せてきてもらった道を戻ることになる。スカイラインの途中で砂浜に降りて歩く。他にも歩いた人もあるようで足跡が残っている。浦の内湾を跨ぐ宇佐大橋からの眺めは素晴らしい。湾内の方には沢山の船も見受けられる。昼食は橋のたもとのお店で食べなさいと喜久屋のおかみさんに言われていたが今回は食べない。スカイライン入り口のバス停からバスで戻ることにして、時間を確かめる。30分ほど余裕があるので周りの町を見て歩く。バスは県道23をぐるりと大回りする。萩岬から新居を通り仁淀川沿いを遡る。仁淀川大橋を渡ったところの中島バス停で乗り換えて高岡営業所行きで高岡高校通りで降りる。そこからは喜久屋のおかみさんに書いてもらった地図を頼りに歩く。土佐インターへの入り口を過ぎ車の道になっているところを真っすぐに進む。高速の高架下を抜け遍路道は登りにさしかかる。医王山の中腹にお寺は建っていて、坂道は八丁坂と言われミカン畑の中の道である。
清滝
大師が訪れ寺の北の山で修法を行い、満願の日に金剛杖で地面を突くと水が湧き出て滝となり、鏡のような池が出来たという。また、お寺の左側には小山があり「入らずの山」と呼ばれている。大師の十大弟子の一人、真如の逆修塔がある。真如は平城天皇の子どもで皇子の座を追われ出家した。求道のため唐へ渡るのにあたり高齢のため死を覚悟しここに逆修塔を建てたといわれる。境内には高さ15mもある大きな薬師如来像があり、胎内を「戒壇めぐり」することが出来る。「高岡のお大師さん」とも呼ばれ、安産祈願に訪れた人たちが奉納した底のない柄杓がここにも並んでいる。ガイドブックに乗っていた消防車はだいぶ旧式のものでいざという時に動くのか心配だ。おかみさんの地図は正確で判りやすいが、田んぼの中でどれが書かれている道か分からな
喜久屋の夕食
い。三島神社横を通り、介護施設か何かの前を通り高岡の町までなんとか戻る。16時半に喜久屋さんに戻る、。玄関で杖を預かり、荷物は部屋にすでに運んであり、至れり尽くせりである。建物や施設は最新とはいえないがそれ以上に女将さんの心遣いが嬉しい。風呂はゲタを借りて履いて土間を通り入りに行く。食事は下の広間で頂くことになる。写真のような豪華な食事が女将さんの手作りで出た。同宿はこの時点では一人、食べながらお話させていただく。九州大分から見えており、最後まで歩くといわれ、夕べは高知市内のサンピア高知で泊まったといわれる。女将さんの話ではそこからここまで一日で来るのは相当の健脚でめずらしいというお話でした。本人は遍路に出る前には雨が降っても10Km程歩く練習をしてきたと言われました。明日は須崎まで行きたいとのことでした。食事後に明日のバスの時間を確認すると調べますといわれおねがいしておく。調べてもらったが電話ではなく、本人がバス停まで見にゆかれたようである。何もかもお世話になった、ここはのおかみさんは中山弥生といわれ毎年、年賀状を頂くようになりました。

宿泊先

喜久屋旅館

電話番号:088-852-0155

住   所:土佐市高岡町丙1番地
宿泊料金: 6,500円1泊2食
トイレ(和式)、洗濯機、乾燥機、ハミガキセット有り


    
 

11/26 晴れ気温20℃通算11日目 なんと高知県は広いのだ
 
 喜久屋旅館→朝倉駅→(37番)岩本寺→(38番)金剛福寺→サンルート中村
 

 
   
  7時少し前に出発。国道56のパチンコ屋さんの前のバス停から乗る。女将さんのはなしでは30分も高知の方に戻るのなら須崎行きに乗れば半分ぐらい行ってしまうと言われる。時間は電話してくれれば調べて返事したのにと言われる。そこまで家で考えられなかった。今回は朝倉駅からの特急の指定券を購入してしまっているので予定通りに進む。駅前で降りてからのあき方まで説明されていたのでその通りに交通事故に注意して渡って駅へ着く。通学時間で学生がずいぶん多い。しまんと1号で窪川へ、9時25分頃に降りて歩き出す。駅前の市道を南下する。道幅も狭く車も通るので歩きにくい。国道381を通り越し突き当たりを右折すると窪川の役場がありそのすぐ先が37 番岩本寺ある。遍路道はもう一本奥の道だったようである。四国霊場唯一、 5体の本尊を安置するお寺で、その由来は、行基が7ヶ寺を建立し、その後大師がさらに5社5寺を建立。5社の境内にあった福円満寺が札所だったが、天文年間に中宮が札所に変わった。その後、別当寺の岩本寺が札所となった。その5仏が本尊である。大師にまつわる七不思議が伝わっている。「子安桜」「筆草」「尻なし貝」
有名な天井画と円堂の歓喜天
「三度栗」「口無し蛭」「桜貝」「戸たてずの庄屋」。また大師堂には「矢負の地蔵」が祭られている。この話はこんなです。貧しいが信心深い狩人が、岩本寺の観音様に殺生につながる狩人をやめたいと願をかけたが、年貢の取立てに困って自分の胸を矢で射抜いた。気がつくと傍の地蔵様の胸に矢が刺さり、家の庭先に金銀の宝物が置かれていた。願を賭けた観音様を「福観音」、狩人の身代わりになった地蔵を「矢負の地蔵」と呼ぶ。本堂の格天井には全国から公募した575枚の絵がはめられている。そのなかでも本堂に入った頭の上を右後ろに振り向き見上げるとある絵が、すっかり有名になったマリリン・モンローの似顔絵である。境内にある木で作られた円堂は歓喜天ともいわれ、商売繁盛、夫婦和合にご利益があるという。また念に7回花が咲き3回実をつける「三度栗」の木もある。次の38番へ行くために、先ほど来た道を駅まで戻る。土佐くろしお鉄道で窪川から中村まで移動。のどかな山間を汽車は進む。中村駅に11時13分急いで足摺岬行きの西南交通のバスに乗る。中村を出たバスは四万十川の右岸堤防を一路下流へ進む。土佐湾側を進んでいたが土佐清水市内へ横断しその後は日向灘側を一路足摺岬へ。途中にホテルなどあるが台風がよく来る関係なのかあまり大きな建物ではない。38番 金剛福寺へ着いたのは1時少し前である。このお寺は四国の最南端に建ち、ビロウや椿の林に囲まれている。大師が嵯峨天皇から勅額を賜ったので、自分で刻んだ三面千手観世音菩薩を安置し建立した。源氏一門との関係も深く、 多宝塔など多くのたてものが寄進されている。
足摺岬灯台を望む
ここにも大師七不思議が伝わっている。亀を呼んで沖の不動岩に渡ったという亀呼場、ゆるぎ石、亀石、などである。多宝塔の後には、和泉式部が黒髪を埋めて供養したという逆修塔がある。門前のお店で昼食とする。荷物を預かりここまで来たのだからと岬と灯台見物をすることにする。遊歩道が整備されており一回り出来るようになっている。灯台はベンキの塗り替え中なのかシートで覆われていた。展望台からは遥か遠くまで見渡せた。遊歩道は椿の林になっている。潮風には椿の木がいいのだろう。14時半のバスで中村に戻る。今晩の宿はサンルートであり、駅から少し離れたところにある。国道56の交差点に市民会館があり、今晩高知県知事選挙の立会い演説会があると張り紙が出ている。このとき選ばれたがのちに辞職されまた再選されている。食事は駅前当たりにいいものがなかったので今晩はホテルですることにする。
  
宿泊先

ホテル
サンルート中村

電話番号:0880-34-2811
    http://www.sunroute.jp/index.htmlから
住   所:中村市右山383-6
宿泊料金: 8,925円 ツイン素泊まり
トイレ(ウォシュレット)、洗濯機、乾燥機、ハミガキセット有り


11/27 雨気温19℃通算12日目 道中初めて雨に降られる
 サンルート中村→寺山口→(39番)延光寺→宿毛駅→この後は伊予の国→平城札所→40番観自在寺→宇和島駅→41番龍光寺→42番仏木寺→道の駅みま→宇和島グランドホテル
 夕べから雨が降り出した。歩くのが大変だけれども仕方がない。これも修行だ。6時少し過ぎて駅へ歩き出す。夕べお土産ともう必要のないものを送り返したので少しは背中の荷物が減っている。コンビニで傘を買い求める。ジャンプ傘を買い求めたので少々重いが大きい方が濡れるのが少ないだろうと考えてこちらを買った。バスは始発で宿毛行きだ。国道56を進む寺山口で降りて少し戻る。右の山に向かって歩く、傘を差してなので歩きにくい。斜艇から15分で39番 延光寺に到着である。このお寺は行基が薬師如来を刻んで本尊として開基した。その後に訪れた大師が。日光・月光菩薩を刻んで脇待として安置した。  
目洗い井戸
水に苦しんでいる住民のために錫杖で地面を突くと清水が湧き出し、里人の苦境を救ったといわれている。この水は「目洗い井戸」と呼ばれ眼の病気にご利益があるといわれる。今も祠の中に石に囲まれてある。境内には梵鐘を背負った赤亀像があり、この亀が背負って現れたという梵鐘が寺に伝わっているという。この伝説が山号にもなっている。 梵鐘は県内最古のもので、国の重要文化財にも指定されている。納経をすませ国道56まで戻りバスは時間の都合が悪いので土佐くろしお鉄道に乗るために平田まで戻る。国道は8時少し前なので凄く込んでいて、ラッシュである。信号で右折すると直ぐに駅である。どこの駅も2階にある所ばかりである。宿毛駅へ9時少し前に着く。ここから宇和島バスで平城札所前まで乗ることにする。バスは国道56を進む。篠川橋を渡ると愛媛県に入る。一本松町を過ぎトンネルを2つ抜けると御荘町である。 国道から県道293に入り川を渡ると役場、警察署を通り過ぎると平城札所前のバス停で果物屋さんの前である。先に歩くと直ぐに標識があり右折すると40番 観自在寺である。10時に着ける。この寺の開祖は大師で、一本の霊木から本尊の薬師如来と脇立の阿弥陀如来、十一面観世音菩薩の3体を刻んで開基したのが縁起である。山号の「平城山」は平城天皇から勅願を賜ったことによる。
山門の方位盤
お寺には本尊を刻んだ霊木の残りに、南無阿弥陀仏と彫った宝版が寺宝になっており、それを写しとった御宝印を体にこすりつけると、病気平癒や厄除けにご利益があるという。納経所で販売されている。一番霊山寺から一番遠いところにあるので「四国霊場の裏関所」ともよばれる。八体仏十二支守り本尊が境内の入り口左側に立ち並んでいる。このお寺も町の中にある。バス停に戻り果物屋でバスを待つ間にミカンを買い求め食べる。10時26分発のバスで宇和島駅前まで移動する。バスは平城札所前を出て直ぐに国道56に入る。松尾トンネルも新しくなってスイスイである。        宇和島駅のバスターミナルで乗り換えて務田まで行く。バスを降りて直ぐに信号の5差路があり県道でない前の左側の道を進む。JRの予土線の務田駅の横を通り少し下り坂になる。田んぼの中の道で前方にこんもりしたものが見えるのであのあたりだろうと目星をつけて歩く。バス停から15分で41番 龍光寺で時間は12時半である。山間盆地を見下ろすこんもりした小山の東側に建つお寺で、階段の正面は旧本堂だった稲荷神社。本堂は階段途中の左手、大師堂は右手にある。
龍光寺
納経所では和尚が説法しながら書いていますので少々時間がかかります。(他は義務的に書いていただけるのみ)納経所の中に入れるのは数人で多いときには外に並ぶことになります。この時も多く外へ私も並びました。雨は降っているし早くおしゃべり止めて書いてくれればと、心の中で考えいました。中へ入ると和尚が私の心の中を見通したように、おしゃべりせずに急いで書いてくれと思っているでしょうとすばりと言われました。また少々納経帳が赤くなりかけている人には、悟りは開けましたかとお尋ねでした。       夫婦連れには夫婦連れにあった言葉を掛けて書いてくださるのです。部屋の中に並んでいると待つのも修行だというのがよく分かりました。ありがたいお話をおかげで沢山聞けました。納経も済み食事にすることにする。入口右側の長命水といううどん屋さんである。中は団体さんで賑わっているがここしかないのであきらめて入る。また食べている間にご主人のこの店が出来た理由をはじめ、使われている美味しい水も弘法大師にまつわるという不思議お話を聞きながらうどん・ちらし寿司セットを食べる。
つわぶきの花
42番、43番への三間盆地を通る歯長峠にかけた県道31は散策コースとして整備されており、花が植えられており、峠には飲み水用の清水もある。お寺から山を越えて県道に出るコースもあるというが、今回歩くのはお寺の前を北に進むコースを選ぶ。中山池の回りを回ルコースであるが、池を通り過ぎると標識がなくなり、次の42番へはどう行けばいいのか分からなくなる。通りかがった人に尋ねると県道まで戻れという。大回りしたことになるのだ。42番がある位置を教えていただき分かれてからはそちらを目指し歩く。小さな部落を抜けると県道31に出た。先ほど教えてもらった所よりは42番に近い。そのまま県道を進むと右手に42番 佛木寺が現れる。14時10分到着である。この寺の縁起は、大師が牛を引く老人に出会い、勧められて牛の背中に乗せてもらった。しばらく進むと大きな楠の木があり、唐から大師が投
茅葺きの鐘楼
げた宝珠が引っ掛かって光を放っていた。そこで大師は楠で大日如来を刻み宝珠を眉間に納めて本尊として、堂宇を建てた。牛にちなんで家畜の守り仏として信仰を集めている。また疱瘡除けのご利益もある。本堂から納経所に行くあいだにある鐘楼は元禄年間に再建されたものといい、茅葺屋根の鐘楼は珍しい。次の43番へは時間の都合で明日に伸ばし宇和島市内へ戻ることにする。もと来た県道を務田まで戻る。道中の県道には四季折々の花が見られるチューリップ・コスモス街道として整備されており、折からコスモスが疲れた体を癒してくれる。成妙小学校を過ぎると龍光寺の横であり、そのまま進むと左手に真新しい道の駅が
道の駅みま
現れた。道の駅みま コスモス館という。後は宇和島まで戻り宿に投宿するのみになったので、ここでコーヒーを飲んでしばらく休憩とする。なかなか綺麗な道の駅で駐車場も広くイベントもやっている。休憩後バス停まで歩く、バス停はここも店先にある。県道にあるので車も良く通り怖い。近くに高校があるのか二、三人の高校生も乗る。雨は相変わらず降っているが大降りでないので助かる。宇和島の駅から宿を探して歩く。駅の反対側の国道側に沢山あるが看板を見かけなかったので駅前だとして探す。宿はビジネスと国際ホテルが通路でつながっていて施設は両方のお客が利用できるという。部屋の窓からはライトアップされて雨に濡れて光る宇和島のお城が真正面に見えます。明日までに雨がやむことを祈りながら---。

宿泊先

宇和島
グランドホテル

電話番号:0895-24-3911
   http://www.shikoku.ne.jp/hotel/から
住   所:宇和島市錦町2-3
宿泊料金:11,900円 ツイン朝食つき
トイレ(洋式)、洗濯機、乾燥機、ハミガキセットあり



11/28 晴れ気温19℃通算13日目 卯之町は歴史のある古い町なのだ
 宇和島グランドホテル→宇和島駅→卯之町駅→(43番)明石寺→卯之町駅→帰路へ

6時起きて食事に一階へ降りる。職人さんが何組か泊まって見えた。8時過ぎにホテルを出る。卯之町までJRで移動する。雨も上がっているようて良かった。
虹のかかる明石寺へ道
駅のコインロッカーに荷物を預かる。頭他袋のみもって歩き出す。遍路道がよく分からないので国道56を戻る。宇和の警察署から左手の細い道に入り突き当たりを左折すると標識が現れた。坂を登りかけると宇和高校が左側にある。それを通り過ぎ下り坂になると前方に高速が見えてきた。高速の側道を歩く。歩いていると山に虹がかかっている。高速の下をくぐると参道になり、だんだん急坂になってくる。両側は紅葉が美しい。境内にも紅葉した木が数多くあり、すっかり季節は晩秋である。戒壇の前の駐車場には常楽苑というお店があり、御土産や喫茶が併設になっている。約30分で到着する。43番 明石寺である。       
鐘楼と紅葉
開基は円手院正澄という行者だが、後に大師が金紙金泥の法華経を納めて再興した。後には源頼朝が、命の恩人の池の禅尼の菩提を弔うため権現堂と五輪宝塔の経塚を建てて、山号を源光山とした。こんなお話も伝わっている「昔、若くて美しい女神が願をかけて深夜に大石を運んでいら、いつの間にか夜が明けてしまった。日が昇るのを見て、驚いて姿を消してしまった。この女神は千手観世音菩薩ともいわれている。ご詠歌はこれに由来するという「聞くならく、千手の誓い不思議には、大盤石も軽くあげ石」。
開明学校
団体さんと一緒になったが境内をゆっくりみてやり過ごす。区切り打ちの終了を報告し、またのご加護をお願いした。納経を済ませ卯之町駅へ戻る。卯之町の町並みの中を歩いてもどると、開明学校の建物があり、現存する学校の建物では国内最古だという。駅に戻りコインロッカーから荷物を取り出し用意する。途中の大洲で番外霊場 8番札所 十夜ヶ橋へ寄る。国道56にあり、ここは大同2年大師がここを通られた時に、当時この地方はまだ人家も少なく農繁期だったために、だれも泊めてくれる家もなく、日暮れてしまい空腹のまま一夜を小川に架かる土橋の下に野宿された。あまりの寒さに夜の明けるのを待ちかねて、一夜も十夜の長さに感じられました。大師は自らの苦しみを忘れて生死の六道に悩む民衆のために、「生きなやむ 浮き世の人を 渡さずば 一夜も十夜の 橋と思ほう」
十夜ヶ橋
と詠まれ久万菅生山に旅立たれたそうです。それより十夜ヶ橋という名が起こったと伝わっています。また、杖の音で、橋の下でお休みになられる大師の睡眠を妨げてはいけないという心遣いを、遍路の戒めとして「橋の上では金剛杖をつかない」というならわしになったという。

 これで2回目の区切り打ちが終わることになる。 遍路するようになって初めて雨にも降られたがおかげで何事もなく終われました。季節を11月の中旬以降にしたので陽気もすすしくなっていて、あまりあせも掻かずにすんだ。しかし、道中歩く人の数は前回の9月に比べてぐーんと少ない。もちろん接待所はどこも開かれてはいない。



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