表紙>Menu>はじめに>遍路閑話 讃岐編

徳島編
高知編
愛媛編
香川編
高野山編

讃岐の国涅槃の道場




11/17(火)雨、10.6℃ 結願の遍路へ
  自宅→(別格18番)海岸寺→(77番)道隆寺→(78番)郷照寺→(79番)天皇寺→    (81番)白峰寺→かんぽの宿坂出

  今日から2回目の結願の遍路にでるのだ。新幹線で岡山へ、乗り換えて「しおかぜ」で多度津へ。朝から雨である。今ことは今回が初めてである。
先を心配したが杞憂であった。その後2回ほど雨が降ったが夜の間だけで、朝になると止んでいて助かった。これも大師様のおかげなのであろう。
多度津を降りてもひどい雨であるので、別格へはタクシーを使うことにする。
海岸寺
丸亀城
 車の中で話していると、メーター止めて待っているので帰りも、どうですかと言われるので頼むことにする。待ってもらって海岸寺にお参りする。
別格18番のHPには、こう書かれている。 
今は施設のととのった本坊本堂へ参る方が多い。だが、大師御産屋あと、奥の院大師堂こそ本命。本堂だけ参るのは高野山で本山金剛峰寺だけ参って奥の院へ参らぬのと同じ。奥の院へ参ればお開帳。誕生大師・御両親・四天王・そして御産盥。大師の刻まれた光明真言石でお加持を受ければ、疲れや病気もふっとぶ思い。
と言うのは、県道21号沿いにあるのは本堂で、奥の院、大師堂は本堂から細い道を左折してJRの線路を渡ったところにあり、観光バスでの遍路には不便なのであろう。
  77番道隆寺へは10時に戻れる。雨が相変わらず降っているのでカッパの上下を出して用意する。支度ができてお参りして今日から始めるのでと、お願いする。丸亀城の前で11時である。ここの県道は歩く人には都合が悪い。信号でいつも待たされる。
郷照寺
天皇寺
川を渡り裏道へ入り、県道194を越えて、宇夫階(あふしな)神社の前を進み78番郷照寺に着く。12時である。
次の79番を目指して歩き出す。JRの高架下を潜り、坂を上る、ここも大きなスーパーができている。坂を上りつめた所にあるうどん屋さんで昼飯にする。ぶつ掛け一玉と野菜のかき揚げをトッピング。これで240円安い。公園の中を通り坂出の街中へ進む。坂出といえば通販で買っている「だし醤油」のかまた醤油がある町である。
 JRの線路を渡り進むと八十場である。寒いけれども「ところてん」を売っている。遍路身とはやがて白峰宮の裏手にはいる。直に79番高照院(天皇寺)である。前回とは納経所の場所が変わっていた。ここで13時45分である。
松浦寺
天皇陵への階段
次の81番へはJRの八十場駅の手前の踏切を渡り、県道33号を少し戻る。そこから斜めの道を進み県道16号に出て歩く。このあたりは新しい建物が建ちかけている。そのうちにこのあたりも町になってしまうのだろうか。綾川の橋への坂道の手前が地図のへんろ道である。これを左折、右へ進むと手打ちうどんてっちゃんの前の道である。少し進むと坂を上ると雲井橋で渡って下ると町の中に入る。小さな川を渡り進むと坂道になってくる。信号があり突き当りの石垣の上が松浦寺である。信号から見るとお墓が見えるのみである。松浦寺から県道180を上り、ヘアピンカーブのところか
白峰寺
かんぽ坂出
らへんろ道に入る。急な階段が続く。しかし道幅も広く作るのに時間とカネが相当かかっているように思われる。急な階段を上がると突き当たりに崇徳天皇陵である。ここで15時40分。その後81番 白峯寺の本堂、大師堂とお参りし境内の紅葉を見る。ちょうど「もみじ」が見ごろである。納経を済ませ県道180に戻り歩く、かんぽのバスが通ったので呼び止めて場所を聞く。直この先ですとのことなので断って歩く。地図の白峰パークセンターはただ
かんぽの夕食
の展望所になっている。急になった坂道を上ると直に「かんほの宿坂出」である。駐車場でさきほどの運転手が声をかけてくれる。部屋からは瀬戸大橋が見える。 乾燥機があるので洗濯することにする。その間にお風呂をすませる。風呂からもよく外が見渡せる作りである。 
今晩は団体の客が多いようで、1人で食堂で食べている人は沢山はい少ない。
食事は良くて美味しくいただく。
朝が早いので朝食を断ってお勘定を済ませておく。

本日分
宿泊先

かんほの宿
坂出

電話番号:0877-47-0531
住   所:坂出市高屋町2048-91
宿泊料金:8,000円 1泊夕食付き、部屋かぎあり
タオルはいただける。ハミガキセット、風呂にドライヤーあり、
洗濯機(200円)洗剤は別途、乾燥機(100円)
リピート度: ◎
今日の歩数:32,921歩・ 距離:24Km

                                      
戻る



11/18(水)晴れ、12.9℃ 今日も別格へゆく
  かんぽ→(82番)根来寺→(別格19番)香西寺→(80番)国分寺→(83番)一宮寺  →(番外)法然寺→天然温泉きらら

  4時30分起床。出かける支度をする。6時に宿をでる。玄関で守衛さんが声をかけてくる。2時間後には私も鬼無へ帰るとのことだ。かんぽの前が県道なのでそのまま進む。暫らく進むと左に下りる道があり、ここからがへんろ道になる。
降りた突き当たりを右手に行くと82番で、左は81番への道である。
足尾大明神
十九丁
今回は82番へ行くので右手に進路をとる。しばらく進むと十九丁でここで6時50分である。その後、直にまた県道に出る。県道を一度登って下りかけた所に足尾大明神が左手にある。それをさらに進むと県道281が合流してくる。五色台みかん園、地図のH400の所からまた、へんろ道に入る。82番 根来寺へは、7時25分到着である。朝日に照らされて神々しい佇まいである。普通なら此処から80番へもどるので
別格19番
朝日の82番
あるが、今回は別格19番に向かうためへんろ道をそのまま進む。 2度ほど道を尋ねて確認して歩く。池のほとりを回ってこのあたりなのに見当たらないのでまた、尋ねるとこの間を進むと本堂の前に出るよと教えていただく。小さな路地を入ると別格19番 香西寺
80番
である。
香西寺
なかなか大きなお寺で近くのお年寄りが数人ひなたぼっこをされていた。この寺は、ボケ封じ観音として有名だそうである。
ここで9時ちょうどになる。続いて80番の国分寺をめざす。舗装された県道ばかりである。郵便局を通り過ぎ、小学校がある信号を右折して県道117を歩く、直に県道33号に合流する。車がひっきりなしに通る。鉄道コンテナを積んだトラックが多い。この反対側の先に高松の貨物ターミナルがあるせいだろう。鬼無の駅で83番へは踏み切りを渡るのだが、今回は国分寺を目指すので、そのまま県道33を進む。端岡の駅を通り過ぎたがまだまだ国分寺は遠い。国分駅の手前が目指す80番国分寺である。JRの駅を3つ歩くのだから遠いはずである。80番 国分寺には11時である。
終わって次の83番へ進むが時間もお昼になっている。踏み切りの手前に食堂があったが、先を目指し通り過ぎる。関ノ池を通り坂を上がると国道11号でそれを横断して細い道を歩く。車が少ないので歩きやすい。県道183を通り越し39号の角にあったうどんや入り昼とする。「しょうゆ」がいいと頼んだら、温かいしょうゆうどんは無いとのこと。温かいのはぶっかけを頼んでくださいと言われる。今後のために覚えておこう。だしのしょうゆは色が薄いので掛け過ぎないようにとの注意もいただき、お茶のサービスのところへ進むと、お茶用の温かいお湯があ
唐渡山 遍照院
いただいた500円玉
ので、それで「だし」をうすめていただく。これがけっこう美味しかった。これで510円である。その後大きなパチンコ屋さんでクランクに曲がり進むと高速道の脇に出る。坂を上り詰めた町境で、ご婦人から接待をいただく。車で追い越して先で待っていてくださり、500円玉をいただく。その後唐渡山 遍照院をお参りする。高野山の金剛三昧院の出張所と書かれている。遍照院という名は方々にあるのだ。ここでお参りして写真を撮って歩きだすと、後ろから呼び声がする
遍照院縁起
振り返るとおじさんが籠を小脇に抱えて走ってこちらへ向かってくる。立ち止まるとお遍路さん「みかん」を持っていってくださいとのことである。先ほどの遍照院の下にある畑でみかんを取り入れていたとのこと。見かけたのであわてて追いかけたと云う。よければ、この籠の中のみかん総てあげますとのことだ。歩きではとても、そう沢山は持てないので 3個ぐらいでと返事したが、おじさんはもっともって行けと6ヶいただく。次の一宮寺で出会った歩きさんに3ヶ接待する。大きくて美味しいみかんだった。坂道を下り、高速の下を抜けて歩く。高速は直角に高松へ曲がって行くが
一宮寺
いただいたみかん
、へんろ道はそのまま東へ向かう。遍路標識は地図と違い円座橋を渡る。北側から入るのではなく、一宮の町の南側から入るのである。83番 一宮寺は田村神社の西側に建つお寺で、本堂の前の石室の中の薬師如来さまをゆっくり拝見する。石室の中には地獄に通じる穴があり、釜に煮えたぐるお湯のゴーッという音がするという。「心が
薬師如来縁起
石室の薬師如来
けが悪い人が石の扉の中に頭を入れると、抜けなくなる」と言う言い伝えがあるそうだ。
また、4年前には本堂の右手で工事中だったところには、こんな立派な建物が出来上がっていた。一宮寺で13時50分である。その後、時間が早いので番外霊場の法然寺へ向かう。法然寺へは一宮寺から南に進み、ガソリンスタンドのところで左折し東へ進む。お寺の山名の仏生山は町名にもなっている大きなお寺で一度は尋ねてみるべきだと思った。ここは法然上人が流された地で、日本三法然寺のひとつだそうで、仏生山 法然寺と呼び釈迦の涅槃像が有名だ。法然寺の総本山はご存知の知恩院である。ここで14時40分。
法然寺のHpは http://www.geocities.jp/raigouin/syoukai/rekishi.html
薬師如来
新しい建物
です。それによると縁起は、建永2年(1207)に、法然上人が御年75歳で四国に流されてお住みになった小松庄生福寺の遺跡です。ここを高松藩祖松平頼重公が復興して代々の菩提寺としたものです。
 徳川家康公の孫であり水戸の徳川光圀公の実兄にあたる頼重公は法然上人を追慕して浄土宗に帰依し、高松入国ののち、寛文8年6月(1668)竹井齏廃を奉行として3年の歳月を費やして三十ニ門、二十余宇の仏閣僧房を建立しました。法然上人自作の阿
本堂
山門
弥陀仏および上人の真影を本堂に安置し、また上人と松平家の墓所を山頂に築いて「般若台」と名づけ、檀下に来迎堂をもうけて弘法大帥自作の阿弥陀如来ならびに二十五菩薩を祀り、不断常念仏会を行わせられました。
これにより法然寺は名実ともに浄土宗四箇本山に準ずる巨刹となり山号を仏生山、院号を来迎院、寺号をを法然寺と呼ぶことになったのです。
薬師如来
新しい建物
 総門から「二河白道」にみたてられた松平家の参道をゆくと黒門を経て仁王門に至ります。その上の仏生山の頂は、松平家一門の墓地「般若台」となり極楽の世界を形づくっています。この総門から山頂に至るたくみな諸堂の配置は、法然寺の特色です。また、古来より「さぬきの寝釈迦」で著名な涅槃堂の彫像群は、他に類例少なく、さらに来迎堂の二十五菩薩立像群は極めて珍しいものであります。
花屋さん
食べ物屋
法然上人800年、親鸞聖人750年の大縁起に向けて山門の後ろ側に五重塔を建設中です。山門の前の駐車場には、「花屋」さんと「さぬきうどん」の発祥の地にふさわしく食べ物屋さんがあります。駐車場の向かいには池があります。この寺の境内には小さい子どもからお年寄りまでの学校が4っあり、竜雲学園と呼びます。
きらら
前池
帰り道は築山のような小山を回ります。この上に「ちきり神社」があります。帰りに通った県道166はお成り街道と云うそうです。その道を真っ直ぐに歩き、琴平電鉄の仏生山駅を通り、一宮の町へ戻る。今回も「きらら」に泊まることにしてある。建物は4年前と同じだか塗装し直したのかイメージが違う。手続きをして別棟の宿泊棟へ行く。先回と同じ部屋のように思う。洗濯を一回でして、風呂に入りに出かけ、帰りに食堂で食べる。17時からしか開かないのでゆっくりと温泉につかる。電気風呂で歩いた疲れを癒す。風呂は沢山の人で一杯である。
本日分
宿泊先

天然温泉
きらら

電話番号:087-815-6622
住   所:高松市一宮町800-1
宿泊料金:4,725円 素泊まり、部屋かぎあり
トイレ(洋式)、洗濯機(200円)、乾燥機(100円)、タオルはいただける。ハミガキセット、、ドライヤーあり。
リピート度: ◎
今日の歩数:53,843歩・ 距離:33.3Km

戻る



11/19(木)晴れ、13.7℃ 高松市内で迷子になる。
    きらら→(84番)屋島寺→(85番)八栗寺→(86番)志度寺→(87番)長尾寺→     ながお路

  今日も4時30分起床。夕べコンビニで買い求めたもので朝食。6時少し前にに温泉棟の玄関へ行き開くのを待つ。もう5〜6人の人が開くのを待っている。見ると女性も数人いる。飲み屋の女将さんたちだろうか、毎日来ているような雰囲気である。受付の女性が中に見えるのだが、開けにきてくれない。時間になったのでトビラを叩く。カギを渡してお礼をいって歩き出す。外はまだ暗いので懐中電灯が必要だ。へんろ地図は県道172を行くように書いてあるが、国道193を歩く。歩道が完備していて安心である。この道は歩く人にも優しい。信号がうまく同期している。国道193は高速から11号に変わっている。高速を渡り御坊川まで真っ直ぐである。御坊川の橋を渡ったところを左折し、川沿いを歩く。県道280を越えて琴平電鉄の踏切を渡り進む。北を見るとガードが見えるところでおばさんに声をかけられた。お接待でみかんとバナナをいただく。
遍照院
お接待
ついでに道を尋ねるが、こちらが地図を見誤っているので、おばさんがもっと先だよと言われたのだが、耳に入らない。ここで後で考えると間違えたのだ。正解はもっと川沿いを進みJR、琴平電鉄の長尾線を通り過ぎなくてはいけないのだった。頭の中にこの二本の鉄道が抜けていたのだ。川を渡り(楠上町)歩くがこれが県道43号で長尾へ行く道である。途中で2回ほど聞いたが屋島へ行けますかと。行けると言うので進むが、道とレールの位置関係が反対なのでと思いながら歩く。信号と踏切が近いところ(木太町)で確認。ここでは道は10号になっている。これでは違うので踏み切りの反対方向へ歩く。戻っている道が県道10号のようだ。JRを渡り次の信号で右折する。ここが玉藻である。暫らく進むと右手に国債ホテルが出てきたのでこれで正解だと確信する。川を2本渡り春日川の坂を下りた信号を左折、これで一宮寺からのもう一つのへんろ道である。その後国道11へ川を渡り潟元の駅へ、ここからは先回も歩いたので心配ない。池をこえて坂を上る、途中の遍照院で一枚脱いで上る準備をする。ここで8時45分だ。
ここでエネルギーの補給にいただいたバナナをたべて、みかん一個を大師像に供える。
下りの階段
屋島寺
歩き出すとバイクで追い越して行かれて、バイクを止めて準備をしている人に出会う。毎日おいでですかと聞くと、にこやかに何もすることがないので歩きにくるとのことだ。軽装で歩いていかれる。先回も同じように毎日上って見える人に出会った。どこかに回数を記録するノートがあると聞いたような気がする。
84番 屋島寺の山門で、もう戻りますと先ほどの人に会う。ここで9時20分。お参り、納経を済ませると、いつもの通りお接待のお菓子をいただく。甚五郎ホテルの跡から、下りてドライブウェイを横切り急な階段を下る。雨上がりなのと落ち葉のせいで怖いくらい滑る。
八栗寺の鳥居
屋島寺のお接待
 今回は1人なので地図の通りのへんろ道を歩く。壇ノ浦へ降りてその後南に進む。州崎寺の入り口で道路工事をしていて入れないので、今回はパスする。県道を横切り牟礼の小学校を目指す。このあたりの道路脇には石屋さんが多く見かけられる。墓石の有名な産地だそうだ。小学校を通り越し、へんろ道へ入る。細い路地道である。「うどんの山田屋」で、まだ、11時前なので食事を先送りしてそのまま進む。前回は途中であった親
みちの駅むれ
八栗寺
切な人にぜひ食べて行きなさいと勧められて此処で昼にした。登山電車を横目に見て上る。途中で下ってくる人に4人ほど出会った。歩いて上ると85番 八栗寺でまず、鳥居が出迎えてくれる。その後ろ側に山門がある。  参拝客は多い。終わって駐車場を通り県道を下る。今回は六万寺へは寄らないので、途中でへんろ道を下るのをやめて、そのまま県道を進む。やがて三叉路になり、右からは先ほどの六万寺から来る道である。県道を讃岐牟礼のJRの駅まで歩く。駅の手前で国道11号に左折して入る。少し進んだところで右手にあるうどん屋へ入って昼にする。ここでもぶっかけを頼む。今日は330円である。食べて八栗新道の駅を通り越し、坂道を上りきったところに道の駅ができていた。「源平の里 むれ」である。ここでまだ1時前なので今晩の宿を(志度町の富士屋)をお断りして、長尾の宿を頼む。「ながお路」さんに電話を入れると女将さんが部屋が狭いがそれでもよければどうぞといわれた。こちらは急な変更なので寝るところがあれば良いですとお願いする。
志度寺での接待
志度寺
今晩泊まるところが決まったのでやれやれである。86番 志度寺へは13時20分着。境内を工事中で本堂の前はごたごたになっている。本堂脇に女性が見えて、ろうそくを立てていると出て見えて接待ですと袋に小分けした飴がいただける。手にはろうそくと線香などもっているので、とにかく先にいただくだけいただく。大師堂、納経と済ませてから改めて助成のところへ行き、納札をだしてお礼を言う。四国の皆さんに支えられ、へんろもできるのだと感謝する次第である。
お参り、納経を済ませて次へ進む。真っ直ぐ県道3を進むのである。オレンジタウン駅前を通り過ぎ途中から左折して、裏道に入り玉泉寺を目指す。
寺の縁起
玉泉寺

 この寺は番外霊場 霊雲山玉泉寺といい、87番の奥の院である。弘法大師が霊石で地蔵菩薩を刻み安置したことから、日切地蔵とも呼ばれ、日を限ってお願いすると功徳がいただけるという。本堂の前に藤棚があり本堂の写真はなし。鐘楼の横にある紅葉がきれいに紅葉していて、1人の女性にシャッターを押して欲しいと頼まれる。一枚撮ってあげる。ここで14時40分。
そのまま旧道を進み、県道を横断して川沿いに歩く。川を途中で渡り長尾寺を目指す。ここからもう程なく着くはずである。87番 長尾寺へは15時15分着。
宿はお寺のすぐ前なのでゆっくりと参拝する。
他に行くところもないので宿へ。早いですけれども良いですかと尋ねる。もう1人先客がある。宿は道を挟んで両側にあり、今回は南側の本館に泊まる。二階の部屋に案内された。お風呂は連絡しますとのことである。部屋は狭いが(4畳半)これで十分だ。板でできた間仕切りで一つの部屋を仕切って泊めてくれたのであろう。感謝しなくてはいけない。お風呂に入り洗濯し、乾燥機で乾燥して、部屋で広げてか乾かしておく。その後夕食は食堂で全員集っていただく。その時に女将さんの話で、私が最後の依頼で、これ以上は泊めれない。本日は満室と言われた。全員で10人ほどで3人連れが1組、二人連れが2組、1人が3人かな。1人の他の二人は通し打ちである。食事の時にテレビがついていたが、お話をしましょうと言う提案で、女将さんを挟んで色々尋ねる。明日は7時に出かけれるように6時半に食事にしますといわれ、ここから前山のへんろ交流サロンまで約1時間なので、前山お

ながお路の夕食

へんろ交流サロンで遍路大使任命書をいただきなさいと言われる。へんろバッジは年間1200個限定で毎年7/1から配布開始のようですが今年の分はもうないそうだとも言われた。個人的に明日の朝早く出ますので朝食なしでお願いしますと頼む。折角の機会だから遅く出てもらいなさいと勧められるが、明日の予定はこれこれですと説明する。その先はどうなっていますかとの事で予定を話すと、明日は良いが朝ってはきついと言われる。それを心しておかないと。大変なことになるのかな---。 この宿も改装したようで、息子夫婦が通いで手伝ってくれるようになったと、うれしそうに話される女将さんが印象的であった。3軒あった宿も隣のあづま屋と2軒になってしまったとのことである。どこも宿は3っ架かった橋のおかげで泊まる人が少なくなっているのかな。寝ると隣との下のすき間から漏れる明かりが、一時は苦になったがすぐに疲れで眠れた。

本日分
宿泊先

ながお路

電話番号:0879-52-3084
住   所:さぬき市長尾西982
宿泊料金:5,800円 1泊1食付、部屋内かぎあり
トイレ(洋式)、洗濯機(200円)、乾燥機(100円)、タオルは用意されている。ハミガキセット。
リピート度: ◎
今日の歩数:51,226歩・ 距離:32.5Km


戻る



11/20(金) 晴れ 13.9℃ 今回はへんろ交流サロンによらずに
    ながお路→(88番)大窪寺→(別格20番)大滝寺→樺川荘本館

 今日もいつもの時間に起きて用意する。 6時に宿を出る。食堂に灯りがついているので声をかけると女将さんが出て見えた。お礼を言って出かける。とにかく午前中に88番まで済ませよう。この道も前回歩いたので、前山までは地図も見なくても良い。交流サロンで一時間前だ。どこの店もやっていないので、朝飯にパンでも買い求めようとしたがない。そのまま進むことにする。へんろ道への入り
石の壁
女体山入り口
口も案内があり迷うこともなかった。部落の出はずれで道一面に犬の糞が落ちている。どうみても人的にまいたと考えられるが、イノシシよけなのか。数十メートル続く。車道を2回ほど横断して女体山への上り口に8時30分である。ここから頂上手前の石の壁へ。頂上へは9時14分だ。石の壁ははいつくばって上らないとのぼれない。今日も天気がいいのでいいが、雨が降る大変だろうと思われる。一度もここで雨に降られたことはないのでありがたいことだ。88番 大窪寺へは10時に着いた。境内で写真を撮っている人に頼んで記念の一枚を撮ってもらう。
大窪寺
女体山からの眺め
本堂の前のイチョウの木は今年はもう、落葉してしまっている。家を出る前にNHKの放送で中継していた。一週間前が見ごろだったという。年によつて随分違うものだ。先回は一番いいときに来たのだった。お参り、納経を済ませ門前の店で葛湯をいただく。早いけれども食事できますかと聞いたらOKとのことなので、朝飯と、昼飯兼用で食べる。この後は別格20番へ行くのだが、コミニティーバスの時間は
長谷の三叉路
山門裏の紅葉
相当先なので歩くことにする。別格へは徒歩にこだわらない。大窪寺の前は国道で坂道を上りつめると、旧道に入れる。こちらがへんろ道になっている。交流サロンから助光、竹屋敷経由だとこちらから88番へ行くのだ。その道を下っているのだ。竹屋敷は食べ物やと宿泊施設が並んでいる大きなものだ。それを過ぎ左折して川沿いに歩く。そのうちに国道377に出会う。その後は国道
河野メリクロン育苗場
入り口
を進むとまもなく長谷の三叉路である。突き当たりの道は国道193で、右は塩江へ、左は夏子ダムを通り穴吹に通じている。夏子ダムから分かれて右に入る。ここからは山道で歩くとぐんぐんの高度が上がってゆく。一つ山が変わるヘアピンカーブがあり、そこからすぐの所からがへんろ道の入り口である。掬水へんろ館であらかじめ尋ねておいた道である。入り口
大滝寺
県道とへんろ道の出会
の倒れた石は簡単に見つかった。舗装された歩きやすい道である。20番へは、別にまとめてあるので興味のある人は見てください。入り口から大滝寺まで1時間25分でした。 へんろ道を進むと最後は県道に突き当たります。
標識があり迷うようなことはない。左へ下ると別格20番 大滝寺だ。帰りは落合橋のたもとの宿なので戻り、右に下ってゆく。しばらく歩くと県道の分かれ道に来
六角堂
さぬき温泉
る。左は153で内場池の方へ、右は落合へ。今回は右に進む。ほとんどが一本道なので迷うことはない。途中の六角堂まで45分。さぬき温泉へは六角堂から1時間35分でした。今晩泊まるのは樺川荘だが、途中のさぬき温泉に泊まるべきだった。こちらの方が新しいし、よさそうだ。樺川荘はひと昔のホテルで古くて客も少なそ
さ樺川荘本館
うである。ネットで予約した。安いのはいいが、部屋の窓下にエアコンがあり、やかましくて寝られない。こんな部屋ばかりなのだろうか。空いているのでもっと上の階の部屋にしてくれればいいのにと思う。素泊まりなので食堂へ出かけて食べる。風呂は大きく温泉であたたまる。部屋が騒がしい以外は食事も風呂も別に文句もないが、夜中までやかましいのはいただけない。

 

本日分
宿泊先

樺川荘本館

電話番号:089-963-0280
宿泊料金:4,500円 素泊まり、
トイレ(洋式)、洗濯機(?)、乾燥機(?)、タオル、ハミガキセットあり。
リピート度: ▽
今日の歩数:54,333歩・ 距離:41.7Km


戻る



11/21(土) 晴れ 13.9℃ 今日も宿泊先変更だ。
   樺川荘→(88番)大窪寺→白鳥温泉→(番外)與田寺→(番外)東照寺→
   ロイヤルホテル三本松


  4時30分起床。今日も朝飯の用意はない。6時玄関へ降りる。フロントもまだ閉まっている。仕方がないのでお金を紙に包み訳を書いてフロントの机において出かける。宿は夕べ三本松に予約した。旅館を出てすぐに落合橋である。渡って右方向へ歩く。香東川沿いに歩くことになる。国道なのに歩道はほとんどない。トラックが通るので怖い。長谷までこのままだ。
20番への尾根道入り口
長谷には9時少し前に着く。三叉路の石垣の上のお宮さんから別格20番への尾根道の入り口があると言うので確認する。少し夏子ダムの方へ進むと鳥居が表れ、その横に道があるのでここから入るのだと確認する。その後はは昨日歩いた道を反対に戻るのである。全部同じでは面白くないので、国道377を真っ直ぐに進み多和経由で戻ることにする。田和の交番の前の信号で左折し歩く。88番へ戻って昨日のお店で今日も朝飯兼昼飯をいただく。昨日はうどんだったので、今日はそばにする。美味しくいただいて出発である。長野までは先回歩いているので楽であるが、道が広くなっている。先回はほとんどが昔の曲がりくね
トンネルへの分岐
峠越え道
った細い道だったが、今回はほとんどが付け替えられていて広くなっている。長野の分岐で今回はトンネルを選ぶ。五明トンネルといい、まだ新しいようだ。トンネルを抜けて突き当たるのが県道2号で左折して歩くと、峠越えのへんろ道が右手から現れる。その先が白鳥温泉・與田寺・東海寺方面への分岐である。分岐の手前に橋があり大きなイチョウの木があり見ごろだった。
白鳥温泉への分岐
ふしぎな水の色
三叉路を左折すると白鳥温泉への案内があった。 道はそのまま山の中へ入ってゆく。中尾峠でいったん脇のへんろ道に入るが、すぐにまた元の車道に戻ってしまう。これからはまた、ちいさな川に沿って歩くことになるが、堰きとめられている水の色が美しい。光線の加減なのか、川底に何か溜まって映し出しているのか、不思議だ。日本ではあまりお目にかかれないと思う。中国・四川省の世界遺産・九寨溝の五彩池のようだ。なんとも不思議な美しい色だ。
白鳥温泉
小海への分岐
白鳥温泉へは11時50分。なかなか立派な温泉である。その後與田寺と国道377経由の小海方面との分かれ道になる。ここも標識があって迷う事ことはない。ここここをを左折して、国道377を渡ると左手にお寺が見える。三宝寺である。菩提樹が有名という。その後山を上ると星越峠でまたの名を地蔵峠という。二体の地蔵が祀られている。下ると大内ダムにでる。
三宝寺
潜水橋
水主神社でまた県道にもどる。その後県道を歩き途中から旧道に入る。川のこちら側が旧道のへんろ道になっている。大内で与田川を渡るがここにも潜水橋が架けられている。吉野川以外にも四国にはあるのだ。この橋を渡って反対側の道を歩くと標識があり、與田寺への入り口である。高速の下を潜り左手を見ると「とらまる公園」と書かれている大きな広場があります。すぐに番外霊場 與田寺である
山門
本堂
。與田寺は山号を醫王山(いおうざん)、院号を虚空蔵院(こくうぞういん)といい、天平十一年行基菩薩の開基で、本尊の薬師如来は行基菩薩の御作です。当院は、医王山薬王寺ともいわれ「厄除けの寺」として有名です。また、文化財も数多く、七福神もお奉りされ、四国霊場の奥の院として巡拝者も多い。特にお正月の
鐘楼門
多宝塔
初詣りは、20万人の参拝者で賑わっております。  室町時代には末寺の数が1,000をこえたと伝えられる真言宗善通寺派の古刹(こさつ)です。--- と大山町のHPに書かれています。書かれている通り大きなお寺で山門の左右には年季の入った大きな松があり、山門の前は誉水小学校がです。進む。国道318まではほとんど真っ直ぐな田舎道である。国道へ左折し進むと、高台に白鳥中学校がありその横が池で
東照寺の門
本堂
その後与田川を渡り、右折して東照寺を目指す。町外れのこじんまりした寺だと思つたが、後で外から眺めてみると大きな寺である。月光山 東照寺は 本尊薬師瑠璃光如来(伝空海作)で、 通称 田の口薬師と云う。 開基は奈良時代の行基菩薩である。iタウンページによると 「http://itp.ne.jp/」  日本三薬師之霊場【薬師坊略縁記】夫れ当山本尊薬師如来は御身丈二尺
縁起
多宝塔
三寸、朔像乾漆の霊体にして、弘仁十二年高祖大師四十九才の御時、三国(日本、唐、印度)伝来の砂土をもって作り給えるものでありまして、大師御自作の証として、現に本尊の御手印を残されてあります。何故日本三薬師と申すかと言えば、大師の十大弟子の一人に実慧大徳と言える高僧がおられ、承和四年大師の御跡をお慕い申して各地の遺跡を巡拝なされし祈り、当山にも御足を留められ、且つ日本三薬師の名を付け給いしに依るものであります。かゝる由緒を有する霊仏であります。故に古より霊験奇蹟数々あります。
中にも天正年間、長曽我部元親当山に火を放たんと近づくに随い身体の自由を失い、堂塔の造営を約して詫び、ようやく通行をする事を得たと言われています。当本尊は北向きに座しておられましたが、堂前を乗馬のまゝ通行する者はしばしば落馬したと言われています。当山には山林田畑九町余ありましたが、是は慶長年間国主本尊の霊験に感ぜられ、篤志を以って仏飯田として奇進されたものであります。
又、江戸時代においては最近話題になっている琴平金丸座に、上方歌舞伎の名優多数が興行への行き帰りの際には海上わざわざ湊にて下船し参拝して海上の安全、興行の順調を祈願して行ったと言うことで、その日は福栄、大内近在の人達が名優を見る為に集まったと言うことです。
今、当時に参拝しますと本堂正面の上がり段の両側に蓋をした石臼がありますが、これは昔より女臼、男臼として人生の内に幾度か訪れる厄年、其の心身変調期の厄を破砕する為の厄搗き臼であります。
実慧大徳開創以来すでに一千百有余年になります。明治維新の廃仏棄釈の波に遭い、寺内建造物其の他荒廃して現在昔日の面影を止めませんが、御拝は昭和二十九年春に、内陣は昭和三十九年正月に改築し今日に至っています。近年本尊の霊験を慕って参拝の善男、善女も多々あり、特に厄除けの為に遠方よりも多数の参詣があります。大師刻仏の旧跡として、信徒各位の後援に依り徐々に復興の緒につきました事は有り難き次第であります。
と長々と書かれています。ここで14時30分。これからは三本松の宿へ戻ることになる。後で考えれば国道へ出たところの東かがわ市役所ら真っ直ぐに海岸にはいった眺洋館でも良かったのだ。しかし、夕べ三本松のロイヤルホテルを予約したので戻る。これが結構距離もあり次官がかかる。川沿いのコンビニによる。ホテルに入ってから国道にあったスーぱーへ出かけて明日の朝食を買い求める。夕食はうどん屋へと思っていたが、宿に入る時には営業していたが、すでに閉まっている。夕食もスーパーで買い求め部屋で食べる。食堂は予約で満員で利用できないとの事だったので。 
本日分
宿泊先

ロイヤルホテル
三本松

電話番号:0879-24-1111
住   所:東かがわ市大内町三本松1880
宿泊料金:7,900円 素泊まり
トイレ(洋式)、洗濯機(?)、乾燥機(?)、タオル、ハミガキセットあり。
リピート度: ◎
今日の歩数:50,135歩・ 距離:37.3Km


戻る



11/22(日) 晴れ 13℃ 大坂峠越えで一番さんへ
    ロイヤルホテル→(番外)東海寺→大坂峠→(3)→(2)→(1番)霊山寺→
    徳島駅前ステーションホテル


  今日もいつもの時間だ。夕べ買い求めたもので朝飯とする。6時に出かける。東照寺から戻ってきた国道を進む。スーパーで曲がってへんろ道へ。しかし、結局は国道へ戻ってしまった。引田の駅を通り過ぎ、海岸端に出る。
馬宿川から見た沖
東海寺
馬宿川の橋の上から眺めると沖合いに二つの小島が見れる。漁船も戻ってくるようだ。次の信号で右折して東海寺を目指すが、お寺がなかなか見つからない。一本奥にあるので見つからないのだ。番外霊場 東海寺へは8時25分だ。お寺のHPによると(http://www.toukaizi.or.jp/goannai.html) 源氏有縁の寺で、亀海山本言坊海蔵院東海寺と号し、真言密教を宗旨とする。開基は行基です、本尊は七仏薬師如来。 
本堂
縁起
平安初期弘法大師空海四国八十八ヶ所開設の折、ご巡錫ご再興、番外寺となる。その後、平安中期天禄元年(970年)清和源氏の基礎を固めし名高き鎮守府将軍・源 満仲公(のち、出家摂津多田の庄に 、多田満仲と称す。鬼退治で有名な頼光の父) 寺領を寄進、七堂伽藍の寺を建てた。 香川県大川郡引田町(現・東かがわ市)馬宿(ウマヤド)の地に
大師堂
ご神木
あります。古来、今日まで馬宿(ウマヤド)の海蔵院(カイゾウイン)と呼ばれている。馬宿の地は古く、一般的には鎌倉時代・源義経が屋島の合戦の折、この地に馬を留めたので馬宿の地名がついたという説がありますが、本来はウマヤドの王子 聖徳太子の御名にちなんで、つけられたものと思われる。
とあります。
車道との分岐
大坂峠
その後大坂峠へ向かう。国道を進み、さぬき相生で裏道に入り峠越えの車道を歩くことになる。町からこれから上る大坂峠が見える。あの山に上れば1番だ。車道との分岐はすぐにあった。ここで9時である。JRの線路を越えてへんろ道に入る。入り口は笹が沢山あり先が思いやられたが入り口のみだった。その後の讃岐側は石畳の道である。香川みどりの百選のHP 
峠道への入り口
大坂峠の案内板
http://www.pref.kagawa.jp/によると、 大坂峠は、讃岐山脈で阿波と讃岐をつなぐ峠としては最も東に位置し、古くは交通の要衝の役割を果たしていました。特に、源平合戦のときには、源義経が屋島攻めに向かう際にも、越えた峠として知られています。 四国のみちの遊歩道としても整備されており、自然散策を楽しめるルートとなっています。峠の近くには展望台があり、瀬戸内海が眺望できます。
峠の地蔵
峠の県境

峠の頂上の少し手前の石の壁に地蔵が祀られています。案内板もあり、この道のことが書かれています。県境で9時45分。その後峠の休憩所を過ぎて、下りにかかると卯辰峠越えの道との分かれ道になります。卯辰峠へはそのまま真っ直ぐに進めばよい。3番経由は右手に坂を下ります。
卯辰峠への分岐
峠の番所
下ってしまうと峠の入り口の番所跡にでる。ついでに寄り道してみる。 能書によると、峠越の道は主要街道だったので、正保元年(1644)に番所が置かれた。通行人や物資を厳しく監視していた。キリシタン弾圧時代には、ここで踏み絵も行われました。番所は230年間続き、明治5年(1872)に廃止された。その後角を回って進むと踏み切りに出る。その後、線路に沿って進むと、大宮の駅だ。ここで10時35分。峠越えした車道も出てくる。その先で車道と合流する。高速が見えるようになると車道と分かれて左折し高速と平行して歩く。高速が近づいてき
峠道の出口
喫茶店の写真
てその潜る手前でもう一度踏み切りを渡り、高速の下を抜けると板野の町である。水路をふたをした道で歩き難い。3番 金泉寺には12時着である。
 金泉時でお礼参りして、先へ進む。昼飯がまだなので適当なところを探しながら歩く。なかなかない。2番を過ぎて途中の喫茶店へ入る。本日のランチはオモレツと書かれているのでそれを注文する。壁には映画俳優の写真が飾られてい
霊山寺
大師堂の大法会
る。ゆっくりいただいてコーヒーも飲んで出る。
1番は川を渡るともうすぐである。1番 霊山寺へは13時20分着である。境内はすごい人であふれている。聞くと今日は大法会であるという
大師堂ではお客で内陣は満員だ。招待客にはアンパンが配られている。
お参りして、納経所でいただいてから、お母さんに平成18年度のノートをお願いして出してもらい、今日の日付を書きこむ。お茶を接待してもらいありがたくいただく。隣では大学生ぐらいの若者が遍路の心構え、持ち物などの説明を受けている。
お礼をいって出る。板東の駅へ歩く。列車の時間はあるが、宿も決まっているので急ぐことはない。もう1人へんろさんが駅へ来て、来ているものなどの片づけをしているので高野山へは行かないのだろう。徳島の駅について今晩の食事をするところをあらかじめ調べる。前回食べたところはなくなっているようだ。ホテルへまず入って荷物を置いてゆっくり探そう。ホテルは古いがこんなものだろうと納得する。フロントでよければ洗濯200円でやりますとの事なので、お願いしますといって着替えてフロントへ持ってゆく。乾燥に時間がかかっていると外から帰ったときに言われる。できたら部屋へ届けますとの事だった。うれしいサービスである。駅で見たらサンルートは駅前に移動しているので、電話がかからなかったのだ。
ホテルに荷物を置いて明日出かける別格3番へのバスの時間と乗り場を再確認する。駅ビルで夕食を食べて、ついでに、明日の朝飯を調達する。
本日分
宿泊先(初)

ステーション
ホテル

電話番号:088-652-8181
住   所:徳島市寺島本町東3-6-1
宿泊料金:4,800円 素泊まり
トイレ(洋式)、洗濯(200円で接待あり)、タオル、ハミガキセットあり。
リピート度: ○
今日の歩数:38,873歩・ 距離20Km


戻る



11/23(月) 晴れ 16.1℃ 別格3番へ
   ステーションホテル→(別格3番)慈眼寺→徳島港→和歌山駅前サンホテル

  今日はバスで別格へ行くので、バスの時間に合わせなければならないので、ゆっくりである。5時30分起床。朝食夕べ買い求めておいたもので済ます。徳島バス5番の勝浦線で、横瀬西で降りて上勝町のコミニティーバスに乗り換える。
慈眼寺の山並
淵神の塔
町営バスといっても隣の町まで来ているのだ。横瀬は勝浦町である。200円で乗せてもらえるのがありがたい。皆さんが泊まって3番へ上られる「ふれあいの里さかもと」を通り過ぎ、坂本トンネルを通り、上勝小学校の前からバスは県道を離れ診療所のある山に上って行く。この町は葉っぱで町おこしをしたことで有名だ。お年寄りが生きがいを見つけ働いているのを何度もテレビで見た。「上勝アートプロジェクト〜里
灌頂の滝
大師堂
山の彩生〜」と題し、作家と地域住民による野外アートの制作に取組んだ。その作品が慈眼寺に上る道にもある。それが写真の淵神の塔で、何か木材が組み合って遡っている作品である。上り口のカーブの内側に立っている。。
バスを西中橋で降りて歩こうと考えていたが、和歌山に渡る南海フェリーが16時35分発では暗くなってしまうので、ここで時間を稼いでもう一杯前に乗ることに
本堂への上り口
本堂前の紅葉
する。タクシーを電話で呼んで、往復する。西中橋から見た慈眼寺のある山は相当高い。岩肌が見えるところに良く見ると水が落ちている。あれが灌頂の滝だと確認。急な上り坂をタクシーは上って行く。駐車場で待ってもらってお参りする。別格3番 月頂山慈眼寺といい、お寺のHP
(http://www.anazenjo-jigenji.com/)によると、
大師様は、深山霊谷のそのまた奥に霊気漂う不思議な鍾乳洞を発見し(穴禅定)、邪気祓いのため洞窟の入り口で護摩祈祷の修行をなさいました。
 その結願も近いある日、洞窟内に巣くっていた悪い龍が忽然として現れ出て、お大師様めがけて猛然と襲いかかりました。お大師様は、慌てずひるまず秘密真言を唱えうち、その法力をもって悪龍を洞窟の奥に封じ込め、21日間の加持をして、さらに霊木に一刀三礼して十一面観音様を刻み、霊験あらたかな行場としてその秘法を末代の修行者のために残されたのです。
と書かれている。穴禅定ができ、穴禅定には1時間半ほど時間がかかるというので、今回はパスする。下には本堂はなく、大師堂と納経所のみである。本堂、穴禅定には急な階段を上がらなくてはいけない。本堂への入り口には石の門があり、階段は紅葉に彩られてきれいだ。
お参りして、乗せてもらった西中橋まで送ってもらう。車中いろいろ説明があった。その後小学校まで歩く。このあたりの畑ではみかんの取り入れの真っ最中で4〜5人で取り入れてみえ、朝も何台かの軽トラがみかんを積んで走っていった。小学校のバス停でコミニティーバスを待ち乗せてもらう。町境でいったん停まって運転手さんが運賃を集めにみえた。町内は無料なのかな。
町のバスに徳島バスは接続していて5分ほどで乗り換えられる。徳島駅には
11時40分に帰れた。
きのう物色しておいたおみやげを買い求めることにする。地下の名店街でお土産をたのみ送ってもらうように手続きする。もって帰るのはいつも大変だから。
徳島駅からフェリー乗り場までバスだと30分見てくださいとのことだったので、早めのバスに乗って向かう。フェリーは13時30分発である。月曜日の祭日なのでか、フェリーは混んでいる。横になるところを早めに確保しないとないくらいである。和歌山港へ15時40分着で、今回は和歌山駅前まで行くので、電車でなくて何回の駅前からバスで行くことにする。接続していて乗り換えなしで和歌山駅まで行けて便利だ。時間が早いので駅前の近鉄百貨店へ入り、今晩の飯と明日の朝飯を調達する。宿を探すもなかなか見つけられない。一本奥の道にあるからであった。まだ、新しいそうなきれいなホテルである。朝食はサービスですと言われるが朝早いのでとお断りしておく。勘定は明日の朝でといわれた。
本日分
宿泊先

サンホテル
和歌山


電話番号:073-421-5911
住   所:和歌山県和歌山市友田町4-75
宿泊料金:5,800円 素泊まり(朝食はサービス)
トイレ(洋式)、洗濯機、乾燥機(コインランドリーあり)
リピート度: ○
今日の歩数:6,682歩・ 距離4.3Km


戻る



11/24(火) 晴れ 曇り、夜雨 慈尊院から町石道で大門へ
   サンホテル→高野口→(番外)慈尊院→町石道→大門→壇上伽藍→金剛峯寺   →奥の院→遍照光院

  いつもの時間に起きて用意する。朝飯は夕べ調達しておいたのでゆっくり食べてフロントへ降りる。勘定を済ませ和歌山駅へ。6時10分初の列車に乗る。途中から学生が沢山乗ってきたが、だれも途中では降りない。皆さんはどこまで通っているのだろうか。橋本にあるのでしょうか。または奈良まで出るのでしょうか。高野口で列車を降りて歩く。吉野川を渡り、九度山町へ。
本堂への上り口
案内
慈尊院を目指す。慈尊院は時間が早いので誰もいない。お参りして上り始める。慈尊院はHPによると、
 当院は、西暦816年(弘仁7年)弘法大師が高野山開創の時に
高野山参詣の要所に当るこの地に、表玄関として、伽藍を草創し高野山一山の庶務を司る政所を置き高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場所とされた。高齢となった玉依御前(空海の母)は、香川県善通寺市から息子の空海が開いた高野山を一目見ようとやって来たが、当時高野山内は7里四方が女人禁制となっていたため、麓にあるこの政所に滞在し、本尊の弥勒菩薩を篤く信仰していた。空海はひと月に9度(正確に9度というわけではなく、それだけ頻繁にということの例えだと言われている)は必ず20数kmに及ぶ山道高野山町石道を下って政所の母を訪ねてきたので、この辺りに「九度山」という地名が付けられた。空海の母は承和2年835年2月5日に死去したが、そのとき空海は弥勒菩薩の霊夢を見たので、廟堂を建立し自作の弥勒菩薩像と母公の霊を祀ったという。弥勒菩薩の別名を「慈尊」と呼ぶことから、この政所が慈尊院と呼ばれるようになった。空海の母がこの弥勒菩薩を熱心に信仰していたため、入滅(死去)して本尊に化身したという信仰が盛んになり、慈尊院は女人結縁の寺として知られるようになり、女人の高野山参りはここということで「女人高野」とも呼ばれている。

また、町石道については、
案内板
案内板
高野町石(国指定史跡) 紀伊山道の霊場と参詣道が世界遺産これは、弘法大師が、高野山へお参りになる人の為に山上の根本大塔から当院まで一町(108m)ごとに木製の卒塔婆をたてられ、真言宗のお教をあらわす仏さまの姿を塔婆を持って象徴され高野山の本街道の道標とされた、その登山の出発点が当院であり下山の最終地点で、この道は、ハイキングコースとして、若人、老人、小学生に親しまれています。高野山への道標(道しるべ)として、1町(約109m)ごとに「
矢立
町石と里石
町石(ちょういし)」と呼ばれる高さ約3m強の五輪卒塔婆形の石柱が建てられ、高野山上の壇上伽藍・根本大塔を起点として慈尊院までの約22kmの道中に180基、大塔から高野山奥の院・弘法大師御廟まで約4kmの道中に36基の、合計216基の町石が置かれている。また、慈尊院から数えて36町(1里)ごとには、町石の近くに「里石(りいし)」が合計4基置かれている。町石は、弘法大師空海が開山した
矢立
11町石

平安時代の頃は木製の卒塔婆だったが、風雨にさらされるなどして老朽化したため、鎌倉時代1265年頃に遍照光院の覚きょう上人が石造の町卒塔婆建立を発願し、20年の歳月をかけて1285年に完成した。現在でもその8割以上にあたる150本の石柱が建立当時のまま残り、今なお昔日の面影を伝えている。かつては高野巡礼の人々が町石のひとつひとつに手を合

最後の坂
1町石

 わせて礼拝しながら登ったと言われているが、現在では道も整備され気軽に歩けるハイキングコースともなっている。
と書かれている。 道中は案内板も整備されているので、迷うようなことはない。六本杉には、9時35分、矢立てには11時45分である。4年前は台風で倒れた町石もあったが、すっかり整備され建て直されてい
奥の院
遍照光院
る。道中歩いていても今日は人が少ない。町石道でも猪が出るようでヌタバがあり、鉄砲を持った猟師も見かけた。1番への道中でも見かけたが、間違って撃たれる心配がありそうだ。大門へは13時35分についた。
その後、根本大塔、金剛峯寺とお参りし、奥の院を目指す。奥の院へは14時50分だ。お参り、納経して参道を戻り、苅萱堂まえの遍照光院に今晩はお世話になる。
夕食
記念品
遍照光院略史(遍照光院パンフレットよると)
遍照光院は高野山の名室寺院の随一にして、高野山真言宗総本山金剛峯寺に属する別格本山である。その所在は金剛峯寺より東奥之院の方へ数丁の蓮花谷にある。本願開基は宗祖弘法大師にして天長九(A・D832)年十一月の創立である。大師長く高雄山の旧居を去り給ひ偏に当山に止住して穀味を絶ち修禅を専らにして此の地を以て別坊とされた。禅定の間時々光を放つの奇瑞ありて故に遍照光院と称す。其の後真済僧正に付嘱された。白河院の御幸山に際しては、熊野別当堪増(武蔵坊弁慶の父)に命ぜられ、遍照光院を修補させ、御座所とされている。のち代々の住持は英傑にして学僧多く、中でも中古には心覚仏種房ありて常喜院流たる往生院流を創出し、根本大塔を造営せし大塔上人と称された良印、慈尊院より檀上を経て奥之院に至る町石塔婆を建立した教王上人があり、近時は無量寿院門主の重職並に高野山大学の教授を兼ねた者が多い。
持念仏堂本尊は弘法大師御作の柿(こけら)不動尊にして特に霊験あらたかである。本堂には信濃国仁科二郎盛家の室、仏母厄の奉納する阿弥陀三尊、安阿弥快慶作の阿弥陀像、興教大師作の不動明王等を奉安する。宝物としては新国宝に指定された持国、多聞の二天像、池大雅の襖絵十面、曽我直庵の屏風等がある。
現在の建物は万延元年七月近寺よりの火災の為に類焼せるを奥州盛岡の南部公及び豊前小倉の小笠原公によって再建されたものである。
宿としては昨年の清浄心院の方がよかった。この寺は客室は離れにあり、廊下を渡ってトイレ、風呂など行かなくてはいけない。この時期は寒くて行くのも億劫である。風呂も今日は2名なので小さな風呂だし。雨は奥の院の参拝が終わったころから降りだした。

本日分
宿泊先

遍照光院


電話番号:0736-56-2124
住   所:和歌山県伊都郡高野町高野山575
宿泊料金:11,550円 1泊2食
トイレ(和式)、洗濯機(なし)、乾燥機(なし)
リピート度: ×
今日の歩数:43,018歩・ 距離28Km


戻る



11/25(水) 雨 2回目区切り打ち終わりました。
   遍照光院→金剛峯寺→高野山駅→難波→自宅へ

  6時半からお勤めと言うので用意して連絡を待つ。一人だけであった。ホットペットが敷かれている上に座ってくださいといわれる。お勤めが終わってから堂内を説明しながら見学させていただけた。その間に朝食が部屋に用意されているのでいただく。8時になったので失礼することにする。お早いお発ちでとの言葉があった。昨日奥の院はお参りしたので、今日はもう一度大塔、金剛峯寺へお参りすることにする。宿を出かけるときには止んでいたが、ガスが2度ほどかかった後で、雨が降り出す。喫茶店が開くのを待って入り、女将さんとお話をし、ゆっくりいただいて帰ることに決める。南海電車、新幹線と乗り継いで我が家に戻る。

戻る



戻る
進む

SEO [PR] !uO z[y[WJ Cu