2008.11.18〜11.24
- 11/20 早すぎて先へ進む
でんこ→三坂峠→坂本屋→網掛石→(46番)浄瑠璃寺→(47番)八坂寺→ (別格9番)文珠院→札始大師堂→(48番)西林寺→(49番)浄土寺→(50番)繁多寺→(51番)石手寺→(53番)円明寺→(52番)太山寺→松山シティホテル
- 11/23 別格12番は本当に遠い
栄家旅館→湯浪→星の森→(60番)横峰寺→奥之院→(61番)香園寺→(62番)宝寿寺→(63番)吉祥寺→(64番)前神寺→(別格12番)延命寺→ビジネス旅館小松
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11/18 晴れのち雨1日目(通算20日目) 2周り目の3回目区切り打ち の始まりです。
自宅→伊予大洲→十夜ケ橋→内子座→千人宿大師堂→楽水大師→来楽苦
朝5時に家を出る。名鉄電車で新幹線の名古屋駅へ。新幹線のダイヤ改正で数分遅くなったので羽島からの一番では岡山で3分しか余裕が無いので、今回は名古屋へ出てN700系の「のぞみ」に乗る。今日も良い天気になりそうであるが、雨が降らないようにと祈るばかりである。
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内子座
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前回終えた十夜ケ橋から始めることにして、いつものように列車の中で着替える。途中でもう雨が降ってくるので、軒先を借りてカッパを着る。(今回はよく降られた)
歩き出して2時間ほどで内子の町に入る。街道から少し離れた内子座を見学する。
内子座については、町のHPによると
江戸末期から明治にかけて、和紙と木蝋で栄えた内子は、豊かな富の蓄積が、文化の殿堂“内子座”建設へと拍車をかけました。“内子座”は、大正天皇即位を祝いに建設された本格的な歌舞伎劇場でした。
HPは http://www.town.uchiko.ehime.jp/ です。
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内子フレッシュパーク
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国道56を過ぎて小田川を渡ると道の駅、内子フレッシュパークです。
その後は国道379を川沿いに歩きます。
長岡山トンネルを出たところに無料宿がありました。
大瀬を過ぎ千人宿大師堂に着きました。
この大師堂は、持ち主の人(初代)が、お遍路さんを接待として宿泊させ、千人宿泊したのを記念してお堂を造ったのだそうです。
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千人宿大師堂
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道を挟んで向かい側に家があり、ここの家の人なのであろうか。
さらに進むと楽水大師の前につく。言い伝えによると「行脚に疲れた大師がここでお休みになり、お飲みになった水が大変おいしい。これで楽になったと喜ばれた」通夜堂として使用されているそうです。
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楽水大師
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さらに進むと楽水大師の前につく。いいつたえによると「行脚に疲れた大師がここでお休みになり、お飲みになった水が大変おいしい。ここまでで16時40分着である
。宿まではもう少しであるはずだ。
この時期柿の無人販売所があちこちにある。今が取り入れの盛りなのであろう。宿の少し前で販売所を片付けに来たご婦人から声がかかる。一袋もって行けという。宿まであと如何ほどか分からぬので丁重にお断りする。せっかくの接待だったのに失礼した。
宿は直ぐにあった。4時45分に着いた。山田豆腐店から主人が出てきたところへ着く。名前を名乗りお願いする。部屋に通されたが10畳間ぐらいを4畳と6畳にふすまで区切った部屋で狭い4畳の方へ通される。エヤコンもなく、石油ストーブが置かれているが、コンセントが隣の部屋から引かれている。抜けているのか電気が入らない。夕食後その旨を話して対処してもらう。ネットで調べたら大変に評判がよかったが何も良いところが見当たらない。食事も豆腐関連の物ばかりで宿坊でももう少しマシな料理である。あまりなので、定番の写真はなし。部屋、風呂、食堂、台所もきたない。それでお金だけはいっぱしの6,500円である。近所に宿が無いからなのか。
宿泊先
民宿
喜楽苦
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今日の歩数:31,830歩
電話番号:0893-47-0635
住 所:内子町大瀬東2801
今回の宿泊料金:6,500円 1泊2食付き
トイレ(和式)、カギなし、タオルは風呂場用あり。ハミガキセット、ドライヤーなし、建物は古い。
リピート度: ×
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11/19 雪2日目(通算21日目) 天気予報通り、雪が降る
来楽苦→突合→落合トンネル→上畝々→鴇田峠→於久万大師→(44番)大宝寺 →逼割禅定→(45番)岩屋寺→でんこ
朝4時に起きて用意する。食堂に用意して置くと言われたので、食べる。みそ汁はインスタントで、お湯を注いでたべた。ご飯も夕べ炊飯器が故障して炊けないのでといわれ、レンジでチンとした飯であった。今朝も保温ジャーからである。漬物と、ノリだけで、これで6,500円は高いと思うが、私の考えが違っているのか。
4時45分スタート、玄関の鍵をあけ歩き出す。この時点では雪も雨も降っていなかったのだが、梅津トンネルを過ぎ、突合の徳岡旅館(さかえや)を過ぎたころから降り出す。
旧道は町中を通るが新しく、新しいトンネルも出来ていた。途中の明るいところでカッパを出して着る。その後田渡川沿いに歩く。なかなか落合トンネルが現れない。これでいいのか心細い。
やっとトンネルが現れ、通り過ぎたところで右折する。これでやっと間違ってないと自信がついた。上畝々まで約5Kmである。
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上畝々の分かれ道
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分かれ道は標識もあり分かりやすかった。ここで県道42と別れる。7時40分である。
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鴇田峠の標識
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へんろ道に入り少し歩くと、峠の標識があり、分かりやすい。
峠で9時26分だ。 峠としては下坂場峠の方がへんろ道で大変だ。下坂場峠を過ぎると県道に出るが、しばらく歩くと部落にたどり着く。左折し、県道を横断すると鴇田峠の看板がある。しばらく車道を歩き、その後車道を離れてへんろ道に入るとやがて鴇田峠である。
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鴇田峠の説明書
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八丁坂の標識
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峠を下りると久万の町である。於久万大師に寄ってから今晩の宿である「でんこ」へ荷物を預かりに立ち寄る。ここで10時30分である。背中を軽くして44番、45番を目指す。大宝寺へは10時50分着。お参りし、納経を済ませて45番を目指し、へんろ
道を進む。直ぐに急坂になり、進むと御堂トンネルを出たところにたどり着いた。県道の急坂を下ると信号になり、住吉神社である。ふるさと旅行村を過ぎてしばらくでへんろ道に入る。途中古岩屋への分かれ道は分からなかったが、予定通り八丁坂へと歩く。
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逼割禅定
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逼割
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下りにかかると直ぐに岩屋寺だ。逼割禅定には13時50分着だ。指南書通り入り口の扉には鍵が掛けてある。
そのまま下ると岩屋寺の山門が表れる。ここでは穴禅定があるので拝見してくる。
行き帰り同じ道も何なので、直瀬川沿いのへんろ道を歩く。宿のやすらぎの宿「でんこ」へは16時50分到着である。
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でんこ
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でんこの夜食
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でんこは昼間は喫茶店、食事を営み、夜はこうして遍路さんを世話していただけるのだ。昼間は若い夫婦が出て見えたが、夜は旦那さんで愛想の良いご主人だ。風呂に入れさせてもらって食事となる。食堂へ下りる。風呂へはタオルがいただけた。出来立ての温かい食事にほっとする。今日は1日雪が降ったり、止んだりで手が濡れてしまって冷たかった。
明日の朝は早く出たいのでと、頼んでおにぎりを作ってもらいました。
宿泊先
でんこ
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歩数は荷物に万歩計入れてあずかったので{でんこ}まで
25,230歩+20.4Km(24,300)約49500歩か
電話番号:0892-21-0092
住 所:上浮穴群久万高原町入野1363-1
宿泊料金:6,350円 (おにぎり含む)
トイレ(和洋式)、洗濯(?)、タオル、ハミガキセットあり
リピート度: ◎次回もここで
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11/20 晴れ 3日目(通算22日目)早かったので次へ進む
でんこ→三坂峠→坂本屋→網掛石→(46番)浄瑠璃寺→(47番)八坂寺→
(別格9番)文珠院→札始大師堂→(48番)西林寺→(49番)浄土寺→(50番)繁 多寺→(51番)石手寺→(53番)円明寺→(52番)太山寺→松山シティホテル
朝は4時に起きておにぎりを食べて用意する。
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三坂峠からみた松山
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5時に出かける。
玄関の鍵を今日も開けて出かける。国道33を歩く。
坂を上がった自販機の横から下へ降りよと標識があるが、まだ、暗いので10mほど歩きかけたが、戻ってそのまま国道を歩く。三坂峠までは国道を歩くが、三坂峠へのへんろ道は標識もしっかりしていて分かりやすかった。ここで6時30分である。下りばかりなのだがスピードは上がらない。右足が痛むのだ。足の指の付け根がズキズキと痛む。
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坂本屋
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へんろ道が車道に変わると直ぐに坂本屋が現れる。昔の宿が保存されているのだ
。隣にはトイレも使える
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掲げられていた案内
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ようだ。そのまま、道を下る。
網掛石にたどり着く。
ここを通る遍路は、石の割れ目に納札を挟み込んだり、賽銭をあげて通過するならわしがあったという。実際に利益を受けた者が、弘法大師の石像を奉納した。この石の上に安置されていた。後に、この石像を祭りなおしたのが横に立つ大師堂だというのだ。写真下のほうにある割れ目に挟み込むの
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網掛大師堂
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網掛石
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だろうか。大師堂はこぎれいでいつも手入れされているのがよく分かる。その後車道を進むと、一方は車道そのまま、左手は田んぼの方へ下るが、どちらへ行くべきなのか、迷う。出口橋までの川沿いの道に遍路マークがありおじさんがこちらだと呼ぶ。
それを歩くと出口橋に出た。坂本小学校の前を通り過ぎると、直ぐに46番浄瑠璃寺に着く。8時半である。47番へ向かって歩くと、また、上の方へ印があるので迷う。先回歩いた下の道を歩く。47番八坂寺へは9時である。その後、池の周りを回ってお宮さんの前を横切って歩くと直ぐに、文殊院である。ここは、先回
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文殊院
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大輪の菊花
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も立ち寄ったが今回は納経をいただく。遍路の元祖である右衛門三郎の菩提寺でもあり、また、私邸跡とも言われている。納経所の中はお店になっていていろいろなものが売られている。
その後県道194を進むとお庭に菊の花が沢山咲いている一軒の家があり、門にどうぞ、ゆっくり入って見ていってくださいと、書いてあるので拝見させていただく。三叉路を右に折れ、また右折、直ぐに左折すると札始大師堂の前に出る。左隣の家の人がめんどうを見られていたのか、家は片づけ
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札始大師堂
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中なのか沢山の荷物が庭に放り出してある。右側には大師の石像などが立ち並ぶ。また、道内に自由に入れて中に入ってお参りしてくださいとの札書がある。中に入るとイスが並べられている。名前の由来は、大師を追って小村の堂を訪ねたが、大師自刻の尊像に懺悔し、帰来を待ったが大師は現れず、三郎は紙片に国所姓名などを書いて、その札を堂に貼り、納めた。
これが納札の始まりなのだろう。堂の道を挟んで反対側はお墓である。ここで、10時15分。
その後県道40に出て、右折してへんろ道を歩くと48番西林寺に着く。今日はすごい賑わいである。尋ねると12時から大師堂の?落としだという。大師堂は膜に覆われ、前
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西林寺
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新築の大師堂
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庭にはイスが並べられて、用意万端整ったところであった。檀家の人たちも沢山来て見えて込んでいるので、そうそうにお暇する。
ここで、10時40分。
杖の杖は今回もパスしてしまった。今回はへんろ道を間違えずに進む。小学校の角を右折し、また直ぐに左折すると49番への参道に着く。そのまままっ直ぐに進むと49番浄土寺にたどり着く。
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菊花灌頂のチラシ
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本堂内
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杖の杖は今回もパスしてしまった。今回はへんろ道を間違えずに進む。小学校の角を右折し、また直ぐに左折すると49番への参道に着く。そのまままっ直ぐに進むと49番浄土寺にたどり着く。
その後、お寺の前の県道334を次の信号まで歩き、右折し県道40を歩く、昼も近いので前回に食べたラーメン屋まで歩いて、お昼を食べる。少し戻って曲ると50番へのへんろ道である。池の横の高台にあるお寺である。ここで、13時だ。石手寺に向かい歩く。石手寺には13時55分に着いた。今日は菊花灌頂中で本堂内が拝見できるとチラシが張ってあるので納経を済ましてから、靴を脱いで大師堂から入る。
裏側から回って本堂の中に入れた。ご本尊様にお目にかかる、ありがたいことで、まじかに拝見できる。
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キリシタン灯篭
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太山寺
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まだ14時なので、次に進むことにする。51番へ歩き、
その後53番へ回って、
遅くなるのでJRで松山まで戻り、ビジネスに泊まることに変更する。
松山では出かける前にネットで予約をと、道後温泉の宿を探したが満員で無い。松山でと思って探したが、こちらもサンルートなど名の通った宿はすべて満員である。やっとシティーホテルが予約できた。戻らずに伊予路まで進む手が明日のためには一番なのだか、そんな訳には行かないので戻る。宿は伊予鉄道の市電、郊外電車大手町駅近くなのだが、大通りから一本奥なので分かりにくかった。
宿泊先
松山
シティーホテル
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今日の歩数は:58、883歩
電話番号:089-932-1121
住 所:松山市宮田町1-3
宿泊料金:7,875円 1泊夕食付き
トイレ(洋式)、ビジネスなので一式すべてあり。
リピート度: ◎
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11/21 晴れのち雨 4日目(通算23日目)雷が鳴って、前も見え ないくらい雨が降るが、良いことばかりが続く。
松山シティホテル→遍照院→青木地蔵→(54番)延命寺→(56番)泰山寺→
(57番)栄福寺→(55番)南光坊→ホテル菊水
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11/22 晴れ5日目(通算24日目)背中の荷物が重すぎる?
ホテル菊水→(58番)仙遊寺→(59番)国分寺→(別格10番)興隆寺→
(別格11番)生木地蔵→栄家旅館
起床はいつものとおりだ。夕べ買っておいた弁当を食べる。ホテルを5時半にでる。バスで昨日行った大須木まで行く。そこから歩きで58番を目指す。
仙遊寺へは、7時30分に着く。本堂で昨夜宿坊に泊まられた様子にみえる女性にあったので、評判どおりなのか聞いてみた。すごく良かったといわれ、特に今朝のお勤め後の法話が良かったといわれる。今度機会があれば、ぜひここにと再認識する。上りでミカンを接待でいただく。
参道の途中から遍路道に下りて、栄橋を目指す。橋を渡り川沿いを歩き国道196に出て、国分寺を目指す。国分寺に9時半着だ。その後県道156を歩き、別格10番を目指す。県道150に進み古田あたりで車が次から次へと来るので何事があるのかと思ったが、別格について分かった。紅葉狩りなのだ。この辺りでは紅葉の名所だそうで土曜日なので多いのだ。天気予報も明日は悪いといっているので余計に込むのだ。
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興隆寺
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紅葉の様子
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別格10番 興隆寺は、
空鉢上人によって開創以来、行基菩薩、報恩大師、弘法大師の御入山があり、歴代の皇室、武将、藩主並に地方信仰者の崇敬厚かった。数多くの国指定、県指定の文化財があり、当寺の伝統ある歴史を物語っている。と書かれている。車道を下っていると、カキを売っている小屋があり、通り過ぎたがご主人がカキ1個持って追っかけてみえて、このまま食べれるので食べながら行きなさいと接待していただく。
その後、久妙寺の前を通り、11番を目指す。別格11番 生木地蔵は県道48
沿いにあり、信号から入った場所だ。生木山正善寺と正式にはいう。
本によると、大師が一夜の中に刻まれた海内随一の生木のお地蔵さまがありま
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生木地蔵
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倒れたくすのき
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す。昭和29年9月26日洞爺丸台風の烈風にて楠の御霊木は根元より倒れましたが、大師様御自作のお地蔵さまは倒れず、昔日のお姿のまま安泰だという。
その後は、今晩の宿「栄屋」を目指す。県道を少し歩き信号を右折すると丹原
中学の前を通り、昔の商店街を進む。ここもシャツター通りになっている。
明日の朝早く歩くので、よく道を確認しながら進む。
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栄屋の夕食
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宿に着いて声をかけると女将さんが出て見えて、荷
物を持って部屋まで案内してもらえる。お風呂に入
って洗濯物があったらご接待で洗いますといわれる
ので、お願いする。
乾燥は部屋で吊るして乾燥させるのだ。
今回はじめてのご接待だ。ありがたいことだ。
夕食はサンマが一匹。まあまあか。
夕食時に明日は早いので、おにぎりをと頼んだが、
断られた。しんし、その代わりに明日、コンビにに寄
って弁当を買いなさいと、ついでにあなたの荷物は重いので、その体力では
明日は山登りで大変なので、宅急便で送りなさいといわれる。今晩も早く休む。
宿泊先
栄屋旅館
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今日の歩数:43301歩
電話番号:0898-68-7164
住 所:周桑郡丹原町願連寺173
宿泊料金:5,500円 (一泊夕食付)、
ハミガキ、トイレ(和式)、風呂のタオルは貸してもらえる。
リピート度: ×、特徴はなし。
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11/23 晴れ 6日目(通算25日目)別格12番さんは遠いな--
栄家旅館→湯浪→星の森→(60番)横峰寺→奥之院→(61番)香園寺→
(62番)宝寿寺→(63番)吉祥寺→(64番)前神寺→(別格12番)延命寺→
ビジネス旅館小松
3時半に起きて用意する。4時半にでかける。音で起こしてしまったのか、靴を履いていると女将さんが顔を出されたので、お礼を言って出発する。
教えてもらったファミリーマートまで1時間ほど。国道11沿いで、信号右折すぐである。おにぎりを買って、荷物を送るように頼む。本日着のクロネコ便である。店にはお茶の接待もある。
妙雲寺の前を過ぎると高速の下をくぐる。道は車道で上りがきつくなってくる。
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尾崎八幡
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横峰寺への案内板
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やがて、湯浪に、6時50分だ。神社もまだ暗い。
尾崎八幡社で右折して進む。住宅はここらで終わりである。
車道の最後にはへんろ小屋があり、野宿した様子の3人に声をかけ先に進む。
すると右の標識があり、へんろ道になり急坂となる。
急坂を登るとやがて60番に着く。8時20分着。
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横峰寺奥の院
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かねの鳥居から石鎚山
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奥の院である星の森へ。
役の行者小角は、ここから
石鎚山を遥拝し、蔵王権現
を感得した。弘法大師が42歳の厄除けの星祭りの行を
修されたので、星の森と称する。
鳥居は「鉄の鳥居」、「かねの鳥居」と呼ばれていて、
石鎚山の発心の門として有名だ。
その後山を下る。途中で外国人に出会う、彼は今から横峰に上るのである。
笑顔が印象に残った。(宿で同宿だった)
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高鴨神社
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香園寺の奥の院
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奥の院廻りのへんろ道を選び下る。奥の院はへんろ道
の終わりにあった。
ここまでは車道が整備されているのだ。車の人が数人、
参詣されていた。
その後も大谷池というため
池の横を通り高鴨神社を
目指す。神社の裏手を通り
、神社の横を進む。参道で禰宜とその連れ合いに出
会い挨拶をする。61番さんの裏手から入れる秘密の門がある書かれていた記
事を思い出して探す。するとちょうど車で通り合わせた人が尋ねられるので、
こうこうしかじかと説明すると、もう少し左に行くと塀の切れ目があるので、そこから入れますとのことだ。書かれていた人もこんな出会いで裏門を知ったのだろう
か。このお寺はいつ来ても人も多く賑やかである。
62番を目指し歩く。宝寿寺を終わり、今晩の宿の小松を目指す。留守の場合
はもう少し進んで左折したところにある肉屋へ来てくださいとあるので、お邪魔する。ちょうどご主人が肉を切ってみえるところだった。荷物を了解なしに送った
のでお願いしますと頼む。旅館はパートの女性に任せているが、彼女は夕方4
時ごろにならないと現れないので、先に着いたときには部屋に入っていてくださいとのことだった。その後、63番、64番へと進む。
時間が早いので別格12番へと考えたが、荷物の中に別格用の納経帳を入れたことを思い出す。一度宿に戻らないと進めない。
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西条駅の水のみ場
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別格12番
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旅館小松まで戻ったら、うまい
具合にヤマトの自動車が止まるので、送り状を出して荷物を受け取る。荷物から納経帳を持ち、JRの駅へ急ぐ。
小松駅から伊予土居まで乗
って別格に行くことにする。
しかし、列車は西条止まり
だ。接続も悪く待たされた。西条は水の町と書かれて
いるので、少し飲んでみる。伊予土居の駅を降りて進むと、蔦廼家さんの前である。そこを右折して進むと別格12番 摩尼山 延命寺である。イザリ松千枚通
本坊縁起は、このような話である。弘法大師が境内に苗松を植えられた。再度
訪れたとき松の木の傍にいた足の不自由な人を憐み給いて千枚通し霊符を創札され一枚をさずけた。霊験により忽ちに全快した。その当時の千枚通しは今
も寺宝として現存するという。
お寺の反対側には写真の傘松がある。その後、土居駅に戻り、小松まで帰る。
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小松の夕食
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傘松
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宿には遅くなってしまった。もうほとんどの人が着いてみえてお風呂の順番もなかなか回ってこない。
夕食は肉屋なので、1泊目は写真の水炊きというか、しゃぶしゃぶというのかである。肉の質はあまりであるが、
量は十分である。2泊目はスキヤキだ。今日はたくさんの人が泊まっている。
車の夫婦連れ、一人の者4名(内女性一人)、昨日から泊まっている(連泊)が2
名。このうちの一人が横峰の下りで出会った外人さんだ。黙って食事をお互い
に進めていたが外人と一緒の連泊者の口切で自己紹介をすることになる。
女性は徳島県の人で、一人でのんびり歩いているとのこと。明日は雨の予想なので20Kmぐらいの予定という。
外人はフランス人で日本語はほとんどだめで、連れが通訳しているが、肝心なことは通じない。しかし、四国遍路のみに来たという。宗教が違うのでお寺で参拝
はしないともいう。とすると、ただ、歩く目的のみできたのかな---。遍路が終わると、国へ帰るともいっている。わからん。
宿代は会員カードで割引価格です。食事も1割引。お徳です。
宿泊先
ビジネス旅館
小松
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今日の歩数:記帳忘れで不明
電話番号:0898-71-5881
住 所:中周桑郡小松町新屋敷363-6
宿泊料金:4,975円 (1泊1食とおにぎり付)、風呂タオルなし、ハミガキあり、
トイレ(和式)
リピート度:○
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11/24 雨 7日目(通算26日目)別格13番は遠い。
小松→銅山川発電所→(65番)三角寺→堀切峠→(別格13番)仙龍寺→
堀切トンネル→半田→(別格14番)常福寺→一野屋旅館
朝は、いつものとおりである。用意して出かける。小松から三島までJRで移動。
三島駅を裏側に出て、歩き出すと直に目が降りかけるので、軒先をお借りして
カッパを上下とも着る。その後へんろ道を探して歩く。中曽根小学校の手前で
へんろ道に入る。高速をくぐると、左折し側道を歩く。黒波瀬池の道ではなく、
銅山川発電所を通る道を選び歩く。発電所を過ぎると左手に戸川公園に休憩所がある。
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紅葉がきれいな三角寺
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その後車道を外れて遍路道に入る。だらだらとした上り坂である。65番へは9時25分着。ここも紅葉がきれ
いである。
納経を済ませて、別格13番への歩きへんろ道を尋ね
る。年増の女性と若い青年であったが、女性の方が
へんろ道は止めときなさいと言われる。HPで書かれて
いた通りの返事であった。
私も雨も降っているので、迷ってはいけないと思い、
言われた通りに車道を歩くことにする。1Kmほど歩く
と三叉路があるので右に坂道を上る。3Kmほど進んだ所にもあるが納経所では
最初の所で曲がりなさいと、教えてもらった。堀切峠を越えて車道を歩く。
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別格13番への入り口
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別格13番への階段
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やがて国道319と合流する。
ここで、道半ばである。だん
だんと下りになってくるが川
はなかなか見えてこない。
やがて標識があり、小さな川
沿いの両側にお寺への階
段がある。
お寺は川の上にトンネルを
作りその上に建っている。
別格13番 金光山 仙龍寺へは2時間で着いた。縁起は弘仁六年、弘法大
師が四十二才の時登山され金剛窟に瀧沢大権現と、開運不動尊を勧請して、
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トンネルの上に建つ
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本堂
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息災の護摩壇を築き、朝夕「きよめの瀧」で心身を浄め「開運厄除」「虫除五穀豊穣」の二つの御請願をおたてになり、二十一日間護摩の修行をなさる。その護摩修行成満の後、自らの姿を彫刻して、此の山に留め安置し給うた。その御本尊を「厄除大師」「虫除大師」という。また、女人禁制の時代には「女人高野」と呼ばれたとも。
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玄関
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こんな感じです
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ここも玄関で靴を脱いで上
がることになる。
廊下を通り、進むと納経所も
並んであった。
納経を終わり玄関で昼飯にする。雨が降っているので
こんな所でいただく。すると、
お庫裏さまなのか、女の人
が車で出ようとされていたが、気がつかれて寒いので中でといわれる。先ほどの納経所の前の畳の間にはむストーブがおかれていた。しかし、たくさんの部落の人が何かの集まりでお参り
されていたので、失礼してきたのだ。
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仙龍寺の紅葉
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どこも、この季節は紅葉がきれいだ。先日の雪で赤色
が一段と引き立つようになった。紅葉を眺めながらおにぎりをいただく。雨宿りにはちょうどいい玄関先だ。
昼食を済ませて、カッパを着て、また、別格14番をめ
ざす。
こんどは14番を目指すので、国道を進み堀切トンネル
を通ることになる。川沿いの道なのだかダムのせいな
のか相当高いところにある。上がったり下がったりで時間がかかる。
やっとトンネルまでたどり着く。ここまで55分ほどかかっている。
写真の止まれの方が、今歩いてきた道、右側が新宮から来た道だ。長いトンネ
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堀切トンネル
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道に出てきたカニ
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ルだ、両側に歩道があるが
繋ぎ目から雨水が垂れてき
ており歩きにくい。 トンネル
を出たところで軽トラックが
止まる。
乗りませんかとの、ことだっ
たが丁重にお断りする。
こちら側は急な坂道でヘア
ーピンカーブの連続だ。
平山で三角寺からの道と出会う。半田休憩所という建設会社の作られたへんろ
小屋で少し休憩する。今年は閏年なので、ご利益が何倍かになるという逆打ち
が多いように思われる。いまも出会った人は逆打ちである。
沢がにがアスファルトの道に出てきている。雨なので散歩なのか、車に引かれ
たりはしないか心配である。
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別格14番
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一野屋の夕食
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別格14番へは、2時間ほどだ。別格14番 邦治山 常福寺は、通称椿堂ともいう。縁起によると、その昔、大同二年(807)邦治居士なる人物この治に庵を結び、地蔵尊を祀る。弘仁六年(815)十月十五日未明一人の旅僧(巡錫中の弘法大師)この庵を訪れ、当時この地方に悪い熱病(オコリ、現在の流寒)流行し住民の苦しめるを知り、住民をこの庵に集めて手にせる杖を土にさして祈祷し、病を杖とともに土に封じて去る。後にこの杖より逆さなるも椿が芽を出し成長す。住民は大師の御霊徳にうたれ、この椿を大師お杖椿として信仰の対象としてこの庵を椿堂と呼びこの地方の地名ともなる。と書かれています。
その後、今晩予約してある上分の一野屋旅館まで戻る。ここでも歩けば、民宿
岡田へたどり着けるが、予約をキャンセルするのは道義に反する。
一野屋は分かりにくいところにあった。国道沿いのガソリンスタンドで聞いたが、
またその先が分からない。うろうろとして探すとやっと見つかる。
今晩は一人のようだ。女将さんはマスクをかけて応対に出てみえる。主人は後
ほど挨拶された。風呂に入れてもらい、明日の予定を立てる。携帯で列車の時
刻を聞く。特急に乗って多度津へ行き、乗り換えて阿波池田までいって別格15番へいってこよう。
部屋は玄関脇の6畳で暖房もない、隣は8畳間でエアコンがあるので断って変
わる。これで寒さは大丈夫だ。寝るときには毛布を2枚かけて寝る。食事は廊下
を挟んだとなりの部屋で食堂になっている。ここもご主人手作りの地図など、案内が一杯である。一枚いただく。洗濯の説明はなかったので、あるのかないのか分からない。
宿泊先
一野屋
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今日の歩数:45,399歩
電話番号:0896-56-3179
住 所:四国中央市上分町744
宿泊料金:4,900円 1泊1食(朝食なし)
お風呂のタオルはあり、ハミガキセットなし、
トイレ(和式)
リピート度:△
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^へんろとは手応え求めて巡拝
お寺や神社を巡る「社寺巡拝」が、おとなたちをひきつけている。
殺伐とした暗い時代だからこそ、心静かに自分と対話する時間がほしくなるのか。
普通の観光にはない精神的な意味合いが加わるため、自己を見つめる機会に
ぴったりということらしい。
親しい数人のグループがタクシーで移動し、宿泊場所はホテル。お遍路さんがときに
野宿し、「接待」と呼ばれる沿道の人々からの施しで歩みをつないだことと比べとしまう
が、今はタクシー利用者にこそ悩みを抱えた人が目立つという。
これまでに112回巡拝し、「欲得で何かを成し遂げたいと願うことに価値はないと分かって
きた」と語った。
また、現代の巡拝は、日常生活で自己存在の揺らいだ人が、『他界』
を作り出し自分を
とらえ直す機会になっている。宗教という非日常な性格をまとうことで、巡拝は日常的な
風景をも「他界」に見せてくれる。
近年、巡拝者が自身の思いや体験を語りたがるようになってきた。「生きることへの漠然と
した不安から巡拝することが多い。理由があいまいでなぜ巡拝なのかも不明確な人が増
えたからこそ、巡拝で得た具体的な手応えを語りたくなるようだ」
手応えとは何だろう。
「自然と触れあえた感動を語る人もいれば、接待を通じた心の交流を語る人もいます。体を
動かし、他者の心に触れつつ、『生き続けなければ』という心境に到達する。巡拝は『擬死
再生』の場とも言える」
これは、朝日新聞の特集記事の抜き出しです。(08.12.019)