表紙>menu>はじめに>遍路閑話 土佐編


土佐の国修行の道場



11/14 晴れ1日目(通算10日目) 2周り目の2回目区切り打ち
 の始まりです。 

    自宅→唐の浜→国民宿舎(民間)海風荘

 朝7時に家をでる、名鉄電車で新幹線の岐阜羽島駅へ出る。11月なのでま
だ暗い、今日も良い天気になりそうである、雨が降らないようにと祈る。
南風はあんぱんまん列車で天井まであんぱんまんの絵でいっぱいである。
特急南風
前回終えた唐の浜駅から始めることにして、列
車の中で着替える。
んろ道にもきれいなトイレがところどころ作られていて、うれしくもあり、ありがたいことである。
道の駅「大山」を通り過ぎたところから、防波堤
にへんろ道になっている。伊尾木の駅でまた、
国道にもどる。安芸川を渡ったところで信号を
左手に入る。旧道で昔の町並みが続く。裁判
所の当たりは建て替わっていて近代的な町並みになっている。その後、休憩所を過ぎたところの信号を国道ではなく、へんろ道に入る。へんろ道はどうしてこうも沢山の墓の中の道なのだろうか。歩き出して一番目の目標は安芸の町だったので15時に通過できたので予定通りか。
次の目標はカシオワールドのゴルフを開催する土佐カントリー横のロイヤルホテルである。夜須の町に入った頃から暗くなりかけてくる。車線の反対側のコンビニの前に県知事の選挙の応援部隊が集結しているが、今晩近くで立会演説会でもあるのだろうか。
海風荘の夕食
それを過ぎた頃から道は坂道になってきた。
歩いてくると宿の案内がないので、心配で車の
案内標識で曲がったら大変な遠回りであった。
手結山へ迂回するので遠いこと、暗くなるし心
細い限りである。何とか18時にフロントで受付
を済ますことができた。半日で27Kmはきっい。
先回もそんなことを言っていたが、また、過ぎて
から後悔である。お風呂は大浴場で一階にあ
るが、高台にあるので海が見えると書かれてい
る。
食堂での夕食には家族連れが多い。へん
ろらしい人は見当たらず一人だけの様である。
カツオのたたきなどたくさんのご馳走である。
海風荘のページは http://www.kochi-sk.co.jp/kaifuso/ です。
宿泊先

国民宿舎
海風荘

電話番号:0887-55-4121、FAX:0887-55-4123
住   所:夜須町手結3南山
今回の宿泊料金:6,000円 1泊夕食付き
トイレ(洋式)、カギあり、タオルはいただける。ハミガキセット
、風呂にドライヤーあり、建物は古い。
リピート度: ○

11/15 晴れ2日目(通算11日目) 先は長いが頑張って歩こう
  海風荘→(28番)大日寺→(29番)国分寺→(30番)善楽寺→(31番)竹林寺→
  (32番)禅師峰寺寺→種崎の渡し船→(33番)雪蹊寺→高知屋

 朝3時半に起きて用意する。4時半からスタート、鍵はフロントに置いて歩き出
す。降りるのに近道がありそうだけれども、迷っているよりも良いと思い車道を
戻る。高架の下をしばらく歩くと岸本神社が現れ、そこの信号を右折して入る。
自衛隊の駐屯地を通り過ぎ国道の手前を右折、国道へ出る。黒潮ホテルの三
叉路の手前のコンビニに入り朝飯の調達をする。国道を離れ県道を歩く。
野市の町は前回歩いたのでなつかしい。手前の旧へんろ道を大日寺に向かっ
て歩く。時間前なのでゆっくりとお参りする。爪彫薬師堂へもお参りに歩いてい
ると、お庫裏さまとすれ違う。2,3分前だが納経所へ行くと、心よくしていただけた。
遍路石まんじゅう屋

帰りの遍路道は急階段である。県道を渡り物
部川を目指して歩く、途中から県道234になっ
ていて橋を渡ったところで県道を離れてへんろ
道らしくなる。国道に出会うと直ぐにJRの踏切
である。しばらく歩くと後免駅から来た道に出る
、しばらく歩くと有名なへんろ石饅頭屋さんの
前を通る。
この当たりはまだ、道は狭いままであり、車が通
ると身の危険を感じる。その後道が広くなり、巨
峰園の前を通り過ぎ国分川の橋を渡ると、へん
ろ道印がある堤防を歩く、地蔵の前で堤を降り
て国分寺へ向かう。
国分寺を出ると田んぼの中ののどかなへんろ道であるが、へんろ道が分かりに
くい。しかし、行く方向は分かっているので、見当をつけ歩く。国道32を渡り橋
を渡った際の食品会社と川の間のへんろ道を歩く。今回は毘沙門ノ滝へは寄
らないので、高知大医学部を目指して歩く。高知大の横を通り過ぎたところが
工事中であり、歩きにくい。その後新しい町並みを下手に見て山道を歩くと、広
い敷地の運送会社を過ぎると県道384へ出れる。急坂を歩く、逢坂峠を越える
と直ぐに善楽寺である。 土佐神社と隣り合わせにあるので、神社に先にお参り
に行くと今月は七五三なので、お参りに来ている家族連れに出合った。ほのぼ
のとした気分にこちらもなれた。善楽寺の境内には本堂の向かい側に、水子、
子安、梅見の各地蔵が並んでいる。梅見地蔵は
梅見地蔵
梅の木の下にあり、梅の木を
仰ぎ見る姿から、「梅見地蔵」という名前がつい
たと書かれている。首から上の病にご利益があ
るといわれている。
その後、竹林寺を目指す。土佐神社の参道が
へんろ道になっている。一人の歩きのへんろに
追い越される。
踏み切りを渡り歩くと県道44へ出る。この道は
バイパスなのか広くて新しい道である。厚生年
金会館の前を通り過ぎ、次の信号でへんろ道
に出て、五台山を目指す。

五台山への登りはきつい。やがて竹林寺に到
着である。
竹林寺の五重塔
前回来たときにはやぐらの中にあった五重の
塔もはっきりだ。お参りを終えて、納経所へ向
かう。庭園と宝物館は前回拝見したので見ずにすます。さぞかし庭園のもみじもこの時期き
れいに紅葉していると思われるが----。

何度か車道を横切り五台山を下る。小学校の
ところで橋を渡り、対岸の堤防道路を歩く。時
々前から車が来てあぶない。遍路橋のところで
下に降りてビニールハウスの間のへんろ道を歩
く。県道247に出る手前の民家が無くなっている
、高速道路建設のために立ち退いたのであろう
か、前回の時には建っていたのに。坂道を上ったところで左折して石土トンネ
ルを越えると石土池に出る。池の周りを回り歩く。途中で青年の歩きへんろとす
れ違う、彼は逆打ちをしているのだろう。峰寺トンネルの手前で右折し、坂を上
がり住宅地の中の道を進む。やがて禅師峰寺の標識があり、通り過ぎたところ
で車道と分かれて急坂のへんろ道を登る。ここで今晩とまるところで、一緒にな
る歩きへんろと一緒になる。彼はここでこんなに天気の良いのは始めてで、は
るか先には桂浜まで見える。記念に土佐湾が見えるところで写真を撮ってくれ
と頼まれ、シャッターを押す。
次の雪蹊寺へは渡し舟に乗るので船の時間と睨みながらの歩きとなる。余裕が
あった方がいいので早速出かける。へんろ道は初めはビニールハウスの中だ
けれども、無くなると住宅地の中である。五台山の下を潜っていた県道376に
太平山トンネルを出たところで出会う。へんろ道は県道を地下道で潜るように
コの字型作られている。それを過ぎると町の中に入っていく。ここは三里町で、たくさんのう家が立ち並んでいる。
浦戸湾の様子
種崎渡船
造船所の脇の
道を回ると渡し
舟の乗り場であ
る。種崎渡船と
いい、昔は県営
であったが、現
在は民間委託
だそうですが、
渡し料は無料。
出発間際に32
番で先ほど写
真とってあげたへんろさんが駆け込んで来る。到着するまで待ってくれる長閑
な渡しであ。それもそうか、1時間に1便しかないのだから、顔が見えて置て行く
訳にはいかないのだろう。
雪蹊寺本堂
長浜渡船場
降りるときには
その後の歩く
道を案内して
いただけた。
四国の人たち
はなんと親切な
のであろうか。
船着場から真
っすぐに車道
を歩くとやがて
雪蹊寺である。
本堂も新しくなっている。先回は建築中であった。また、前の道も広くなってい
て、今晩お泊まりする宿も建て直っていて、新築の真新しい宿である。
お参りして宿へ行く。先ほどのへんろさんと同宿で、一足先に投宿され、メガネ
屋さんへ出かけられたと女将さんが言っている。
新築された高知屋
フロントと女将さん
ここも、ご接待で洗濯
をすると言われるの
で、お願いすることに
する。乾かして、アイ
ロンかけて戻って来
た。ありがたいことで
ある。
道路が広くなり建物
がかかり、新築するこ
とにしたと言われる。中身もすべて新しくしてし
まいましたとの説明でした。写真に見られるよう
にテレビも小さいながら液晶の最新型でデジタルが見れるものです。
客室
夕食
夕食では、一
人の人3人、二
人連れ一組、
の合計5名でし
た。何度も会っ
た70代のへん
ろさんのワンマ
ンショーで、に
ぎやかな夕食
でした。
彼は、愛妻に
先立たれその後供養も兼ねて回っているとの事で、今度で2回目とか、3回目
とかいっておられた。一人なので四国で入所施設を探して入りたいとも話され
ていました。高知屋さんも何回目か女将さんを独り占めにし話しに夢中です。
もう一人の、一人で歩いている人が一日50Km以上歩いているといわれました。
世の中には足の速い人が見えるものです。
あくる日にそれが本当なのだと解りました。
二人連れの人は区切り打ちで今日から2回目を始めたと言われている。
私は、初日の疲れから朝の2時間は足が痛くて、途中リタイアかと考えるほどで
したが何とか歩けたのは大師のご利益か。明日の朝は早く出たいのでと、頼ん
でおにぎりを作ってもらいました。
ここで、遍路手形なるものをいただきました。加盟店で印を8ヶもらうと、記念の
品物がいただけるそうです。
―銃鷸拏蕕衙楝魂茵文翳印つき)
吉兆鳳凰画(錦札つき)
5斑錦扇画(般若心経つき)
そす埖膸娉
ジ明大師色紙
の一つで、加盟店はタクシー会社から食堂、宿まで50ヶ所登録されています。
宿泊先

高知屋

電話番号:088-841-3074
     
住   所:高知市長浜658
宿泊料金:5,800円 (おにぎり含む)
トイレ(洋式)、洗濯(ご接待)、ハミガキセットあり
リピート度: ◎新築できれい


11/16 晴れ3日目(通算12日目)歩くのが速い人は1日に50Kmは  歩くそうだ!

  高知屋→(34番)種間寺→(35番)清滝寺→宇佐大橋→(36番)青龍寺→ 
  横浪スカイライン→みつちゃん民宿


朝は3時半に起きておにぎりを食べて用意する。4時半に出かける。
朝食用のおにぎり
鍵はフロントに置いといてと言われていたのでかぎを
置き、玄関のかぎを開けて表へ出る。県道34の高架
下を過ぎると道は昔のままで狭くなる。新川川に沿っ
て歩く、唐戸の三叉路で、真っすぐに田んぼ道を進
むようにへんろ道の標識があり、ビニールハウスの立
ち並ぶ田んぼ道を進む。直ぐに車道に出る、小学校
を過ぎて西諸木でまた車道に戻る。新川川(同じ名
前があるなんて?)を渡ると県道279へ出る。ここにも
案内があり親切に書いてある。この用水路に沿って
種間寺まで歩きなさいと、これで暗くても心配しないで歩ける。

JAのところで、一休みすることにする。自販機があって明るいので便利だ。
その後、歩くと部落のところでおばあさんに出会う、こんな暗いのにもう、野菜を
集荷場に運んでみえるのだ。もう直ぐなので待たないと駄目だねと、親切に教
えてもらう。その通り、6時半前についてしまった。ゆっくりとお参りを済ませて、
納経所が開くのを待つことにする。もうこんな時間からお参りに来て見える近所
の方が3人ほどみえた。
納経を済ませて清滝寺へ歩く。ここも千回歩いて道は分かっているので歩き易
い。ここも所々道路が拡張されている。種間寺を出て暫らくした所で、ウナギの
蒲焼を作る工場があったので、良く見るとビニール温室の二重になっていると
ころはウナギの養殖をしているのである。野の池で養鰻はするものだと思って
いたので気が付かなかった。その気で見ると、あちらにもこちらにもあるはある
はである。JA森山も扱っていると看板に書いてあるのだ。大師堂のところで、橋
を渡り歩くと、仁淀川に出る。堤防下の道路を歩くき仁淀大橋の取り付け道路
を潜り、堤防へと上がる。この橋は上手側にしか歩道がないのである。通学の
高校生とすれ違う、見ていると女の子は挨拶をして通り過ぎるが、男の子は半
数ぐらいの子しか挨拶がない。橋を渡ったところの記念碑で小休止。その後、
真っすぐに堤防を歩く。やがて下へ降りる道が現れるので斜め左下へ降りる。
少し歩くと、新しい道に出会った。国道のパイパスでへんろ地図にもないので、
迷う。途中のお店に案内図があったのでいただく。それによると2006年に出
来ているのだ。案内どおりに歩くと見慣れた信号のところに出た。これで思い
出されて清滝寺への道がやっと分かった。
手洗い裏の滝
ミカン畑の中の急坂を登り、手洗い裏の滝は寺名に
ちなんで作られたという。
参りして納経を済ませて次に向かう。先回喜久屋の女
将さん書いてもらった地図を思い浮かべて歩く。
高知自動車道を過ぎて暫らくすると、夕べ話していた
50Km歩く人ともうすれ違う。彼は6時から食事と言っ
ていたので、2時間遅く出発してもうここまで歩かれた
のだ、びっくりである。
神社の横を通り進むと、新しい建物ができている、こ
こにも老人の施設が建っている。国道56へ出たがどちらに進むのか分からない
ので工事中のガードマンに聞いてみる。先回も分からないと言われたことがあ
ったが、やはり今回もわからないと言う。地元の人ではないということなのだろう
。困ってドコモ販売店に入って尋ねるが、いやな顔せずに親切に教えてもらえ
た。やはり隣の道が正解であった。細い用水路に沿った道で左右に道があり、
へんろ道は左側である。これが県道39であるが、国道からの入り口が狭いので
分かりにくいのだ。川を渡る頃には案内も見受けられる。トンネルの手前で山
道に入り歩く。宇佐大橋の手前で食事にする。その後大橋を渡り砂浜を歩き、
青龍寺を目指す。
三重塔
階段横の滝

ここでは、愛染
明王にお願い
しなくては--。
終わってへん
ろ道を歩き出し
たが、案内が
少ないので、迷
ってしまう。
池の周りが遊
歩道になって
いるのでてっきり、スカイラインまで出れるものと思って歩いたが、明徳義塾の
柵に阻まれ進めなくなってしまう。ここから道なき道を掻き分けて戻る気にはな
らない。急ながけを両手をフルに使ってよじ登る。スカイラインに出たときには
服には取っ付き虫がびっしり、白衣は汚れてしまい、散々だったが、何とか道
へ出れたのでヤレヤレである。今晩白衣は洗濯しないといけないな---。
それからみっちゃんまで6Km程なのだが、スカイラインというのは上りと下りがセ
ットになっていて何回上って下ったことか。もう一つのへんろ道を35番から戻っ
て多くの人が歩くというのは、こういうことなんだ---と、納得する。次回は県道
23を歩るいた方が良いのかな。
道中時々、黒い雲が出てきて、雨がパラパとするが、カッパを出すほどでもな
いので助かる。ここにもある明徳義塾への降り口を過ぎ進む、何ヶ所にも学校
が建っているのだな。バスがよく通るが、学校のスクールバスである。
浦の内まで行くとやっと宿の案内があった、はるか下に町と港が見えるのであ
そこまで下りるのかと思うとうんざりで、明日のことを考えると後悔もする。
しかし、それはいらない詮索であった。
民宿は町並みに取り付いたところの奥にあったが、女将さんがもう、遅いのでと
横浪スカイラインから
夕食の伊勢海老のさしみ
、様子を見に来たと
道路で待っていてく
ださいました。建物は
一昔の魚を安く食べ
させる民宿に作った
ようでした。毎日はお
客も無い様でしたが、
部屋にはテレビもあり
、エアコンも新しい。
ここも、洗濯は女将さんが接待すると言われる
。それと、明日の昼飯におにぎりとお茶をあげ
るといわれる。上のスカイラインまでは全員送ってきたので遠慮することなく時
間を教えてくださいといわれる。昨日は4時に送ったといわれた。こちらも5時と
頼んでおく。お風呂は小さいが、タオルも用意されていて不満もない。また、ト
ビラは古いままですが、トイレも洋式に改造されている。
お風呂から出たときには台所にいた女将さんが、今晩はこれを出すからねと、
伊勢海老を見せられる。
伊勢海老のなべ
夕食には、伊勢海老の刺し身が、黄色いのは
伊勢海老のミソである。残りの身は鍋にして食
べるのだ。写真では野菜などは映っていない
が、女将さんが畑で作られた野菜がたっぷりと
出されていた。食べた残りのだし汁で雑炊を炊
いて食べるのであるが、伊勢海老の良いダシ
が出ていてまた、すばらしい逸品である。
食べ方も女将さんが横で世話を焼いてくれて
いうことがない。
世間話に花を咲かせての一時であった。
これが、みっちやん民宿の一番の売りなのだろ
う。今夜も速く寝ることにする。
宿泊先

みつちゃん
民宿

電話番号:088-856-1313
   
住   所:須崎氏浦ノ内福良池の浦
宿泊料金:6,000円 1泊1食付き
   トイレ(洋式)、洗濯はご接待、
     建物は古いが、女将さんの気持ちがうれしい。
リピート度: ◎

11/17 晴れ 4日目(通算13日目)土佐久礼からの「そえみみず 」は高速の工事のため歩けない
  みつちゃん→住友セメント横→(別格5番)大善寺→大坂遍路道→(37番)岩本
  寺→佐賀温泉

  3時半に起きる。夕べ夕食時に朝飯用のおにぎりを頼んだ覚えだが、様子を
見ていると忘れられているようなので、改めて請求もせずに昼食用の接待のお
にぎりとお茶をいただいて峠まで4時45分に送ってもらう。昨日降りるときに朝
から大変だと覚悟して歩いたが、送ってもらったので鼻歌である。
駐車場においてある車を取りに行って送っていただけた。この辺りでは車庫も
無く広場に停めているだけなので、台風がくると急いで風の当たらない物陰に
移動しているとの事だ。
横浪スカイラインをとぼとぼと歩く、車もほとんど通らない真っ暗な山道である。
県道との交差点まで行くと、自販機があり、明るいので一休みする。その後トン
ネルを越えて進むと、下の方から物音がしてくる。蒸気が吹き出るような音であ
る。その後それが、石灰石を焼いてセメントを作っている音なのだと分かる。も
の凄く敷地の広い会社である。住友セメントと書かれていた。会社の正門に入
る橋に標識があり、へんろ道の近道とあるので、工場のフェンスの外をぐるりと
回って歩く。すると橋があり、渡って直ぐに左折する。その先でへんろ道の標
識が地図と違っている。標識どおりに歩くと、多ノ郷駅横の踏み切りに出てしま
う。踏み切りを渡ったところを左折して歩く。標識は無くなっている。心配しなが
ら歩き、坂の上り口で、散歩中女性に出会ったので尋ねるが、メガネがないの
で地図は見えないと---。警察署の前を歩き峠を下りる。
     別格5からの須崎湾
別格5番
何とかあっている様だ警察もあったということは、これが旧国道なのだ
ろう。
お陰で観音寺
は通り越してし
まった。坂を下
ってバイパスの
下を潜り、トン
ネルの前で別
格への案内が
出てきたので、やれやれである。信号で左折してからまた遠い。
やっと、別格5番、大善寺である。トンネルの上にお寺があるようだ。本堂、納
経所は急坂の上であるが、大師堂は下にある。宿坊もあるようで、宿坊へ移動
するためにケーブルカーも手洗いの向かい側に作られている。宿坊は右下の
平地にあるコンクリート作りの新しいものだ。
別格20霊場のHPは http://www.bekkaku.com/map/05.htmlです。
そのページによると起源は、大師が「海岸にたつ大岩の上で海難横死者の菩
提のため、海上・陸上の往来安全を祈願して祈祷を行い、一寺を建立したの
が今の大師堂の起源である」と書かれている。
終わって旧国道から56号へ出て歩く。焼坂遍路道を過ぎると土佐久礼
の町である。土佐往還、「そえみみず道」は高速の工事で通行止めになってい
るというので、JR久礼駅前を通り過ぎ、へんろ道を歩く。川を渡りJRのガードを
潜り歩く、もう一度ガードを潜って国道の反対側の道を歩く、大坂谷川を渡り、
川沿いに山の中に入っていく。若い歩き遍路に追い越された。川幅は狭くなり
山へと入っていく。この道でも高速の工事中で、左の山ではトンネルを掘って
いる。
七子峠
へんろ地図では降雨の際は滝の水で通行不能の場合があると、書かれ
ているが相当大量に降った場合のみであろうと
思われる。
写真にある標識からところからが、大変な急坂
を登ることになる。国道へ出たところで休憩所
があり、へんろ道はまた国道から離れて行く。
影野の部落が出てきて、やっと平地を歩くこと
になる。先ほど登りで追い越していった青年が
腰を下ろして休憩している。やがて、国道を歩
くことになる。影野の国道沿いで昼飯にする。
道の駅あぐり窪川
国道をひたす
ら歩くと、やがて道の駅が上り坂の入り口に現れる。通り過ぎて
写真を一枚撮る。
呼坂トンネルを過ぎ坂を下りると窪川の町であ
る。昔賑わったであろう古い町並みの中の道を
歩く。国道381を横断し、見覚えのある町並み
を過ぎると、岩本寺である。
今ある大師堂の横に真新しい建物が建ってい
るが、大師堂が新しくなるのだろうか、本堂は
建て直っているが、大師堂は昔の建物なので
つくり直しているのか----。
岩本寺で最も有名なのはやはり、これだろう。本堂の天井画である。
大師堂
円堂
 今回も探して記念
に一枚撮ってきた。
また、お寺に着いた
ときに友人から初め
ての電話が背中で鳴
る。午後は電話かけ
ることもないので、リッ
クの中に入れている。
急いで降ろして出ると
友人たちは今金毘羅さんへ上っているところだ
とのことであった。
また、ここでは円堂の本尊は大聖歓喜自在天なので、お参りを欠かせない。
有名な天井画
その後、国道56を歩くことになる。峠を越えて歩くが
一部へんろ道があるのみで、ほとんどは国道である。
峠を下りて川沿いの道を歩くとやがて佐賀温泉に着く
。ここは天然温泉だそうで、風呂は何度でもOKとの
ことだ。受付を済ませ部屋に入り、洗濯は無料といわ
れたので洗濯をする。乾燥機もあるのだが、温風が
出ないのか乾かない。
風呂へも行ってくる。やはり天然温泉は暖まる。部屋
は広い、エアコンで乾かない洗濯物を乾かす。
夕食は食堂へ降りる。何人かは宿泊されているようであるが、日帰り温泉で近
佐賀温泉の夕食
くの人たちがお風呂に入りにみえるようである。
今日は土曜日なので多いのか?。
夕食はみそ汁とごはんがお代わり自由である、
私も今晩はみそ汁をお代わりした。
ここでもかつおのたたきがでた。
部屋に戻って携帯で連絡しようとしたら、圏外
とでて、FOMAはダメである。しかし、家からは
何とか聞こえる程度だが、掛かかってくる。MOVAはいいのだろうか。これで宿で圏外と出
て掛けれなかったのは遊遊NASAとここで、2回
目である。
今夜も早く寝る。
宿泊先

佐賀温泉


電話番号:0880-55-7011
   
住   所:幡多郡佐賀町拳ノ川2161
宿泊料金:7,240円 1泊1食(朝食なし)
トイレ(洋式)、お風呂のタオル(頂ける)、ハミガキセットあり、
リピート度: ◎


11/18 晴れ5日目(通算14日目)四万十川の渡し舟は無くなった
  佐賀温泉→土佐西南大規模公園→田野浦(ここに書いてあった)→四万十大橋  →今大師→伊豆田トンネル→真念庵→ドライブイン水車→安宿

  起床はいつものとおりだ。食事は早いので用意できないとのことで、夕べ買
っておいた弁当を食べる。鍵は部屋に置いたままでといわれたので、テーブルの上に乗せて部屋を出る。洗濯に下りた非常口から出るのである。今日も暗
い中を懐中電灯の明かりを頼りに歩く。道は国道で暗くて見えないが、右側の
笹の下には川が流れているような雰囲気である。住宅も所々あるのみで暗い
野道続く。開けたところに出ると線路も並行して走るようになり、やがて、伊与
喜の町である。その後も川沿いの道を歩くことになる。土佐佐賀の町を過ぎ、
浮鞭からへんろ道に入る。入野の県立公園の手前でへんろ道が分からなくな
ってしまう。公園内に入り横断することにする。
公園では野宿の青年が一人いたが、彼は看守人と何にやら話している。
公園内での野宿はダメなのだろうか?。蛎瀬橋にやっと出れた。ここから県道
42を歩く。山道を登りきると海が見えてきた。下りると田野で、漁港への分かれ
道に案内が出ている。平成17年12月末で渡し舟は廃止になりましたと書かれ
ている。今日は左側へ曲がって渡しに乗るハズだったが、右に歩く。急な坂道
を上がりると今度は急な下りである。
県道42をぐるりと回ったほうが楽だったのかな--。坂を下りたところに信号があ
り、そこへ出てくるようだ。軽トラに乗ったおじさんたちに出会う。彼らたちは犬
を荷台に乗せているから鉄砲撃ちに行くところなのか。
15日から解禁になっているきずだから。
その中の一人がそのまま真っすぐに行きなさいと教えてくれる。坂をもう一度
上って下りると川が出てきて、先の右手には池もある。2人が魚を釣っている。
池は一面に藻がある。三叉路に出て右手へ歩く。竹島小学校が右手にあり、
四万十大橋
欄干のデザイン
川を渡ると20との信号で
そのまま真っすぐに進むと
四万十川の堤防にぶつか

る。右折したところに店が
あり、いろいろ売っている
ようだ。信号のところには
コンビニもあった。
四万十大橋を渡る、欄干
には魚(あゆ)、トンボなど
がデザインされている。写真を渡りきったところで撮っていたら、追いかけてき
たバイクのお母さんが、突然弁当を
こちらはトンボ
お接待の弁当
お接待させて下さいとの申し出である。
重いでしょうが、もら
ってください。橋の
向こう側のお店で買
ってきたところだ言
われる。
そういえばバイクが
停まっていたように
思う。歩いているの
を見かけて弁当を
買い求めて追いかけて来てくださったのだろう
。ありがたくお受けすることにする。
こんなにいただいていいのですか、と声をかけ、納め札をもらってくださいと差
し出す。お母さんは私にいただけるのですかと大変に喜んでもらえた。
堤防へ下りて、中身を拝見する。あるはあるはで、沢山入っている。温かいう
ちに飲んでくださいといわれたが、コーヒー牛乳が1本と、缶のぜんざいが一
つ。私の好みを知っていてくださつたようであるほどだ。弁当もすしとサンド、
もう一つはおかず一杯のお弁当、缶のお茶が一つ。早速温かいコーヒーとぜ
んざいをいただきながら、おすしを食べる。
残りはお昼に食べるように背中の荷物に仕舞いこむ。重いのは重いが、親切
が背中の重さを感じさせない、ありがたいことである。
田子作のうどん屋まできたので、渡し船ならこのあたりで一緒になるのだと考え
ながら歩く。暫らく歩いていると後ろから、一人ですたこらと早足で追いかけて
くる遍路に追い越される。彼は2回目で先回泊まった宿まで歩こうと考えてい
るが、なかなかえらいといっている。1回目は何も考えずに歩けたので良かっ
今大師
伊豆田トンネル
たのでしょうかと。
トンネルの入り口ま
で一緒に歩く。トン
ネルの手前に車が
国道の両側にびっし
り並んでいる。
良く見るとのぼりも
沢山立っている。
今大師というお寺で
生誕200年の例祭(多分)が行われているのだ
。お参りによると、たくさんの人があちこちに陣
取っている、餅まきがあると聞く、輪くぐりをくぐり人をかき分けて本堂までいっ
てお参りさせてもらう。すると、お客さんからもう直ぐ始まるから拾って行きなさ
いと勧められるが、時間の都合もあるのでと応える。本堂を後にきびすをかえ
すと餅まきをするおばさんに紅白の餅を4ケ接待だといってポケットに入れて
いただけた。2ケで良いと答えたのだが、何か言われたが方言で言われたの
で何をいわれているのかわからないので、だまって4ケいただく。

今大師寺(六根祈念行者大菩薩霊廟)のいわれは、ネットで調べたところ、
明治になって、一人の回国行者(名を喜伝坊、六根祈念行者大菩薩と号す)
が、種々の法力をみせてこの地に眠るという。当時、現在のバス道は無かった
のだが、やがて牛馬(つまり車のこと)が上の方を〜つまり昔は、遍路道が谷に
在り、今の道が山腹にあるので〜通るようになると予言していたとのことだ。
堂の施主は、津倉淵在住の植田氏にて代々の供養祭りごと怠りなくつとめて
おられる。旧暦の九日と二十一日に、その前後三日間通夜篭もりされ、当日
には相当の遠方からも多数の人がお参りされているようだ。
と書かれているだけで、良く分からない。
今、調べると今年の11月18日は旧暦の10月9日なので例祭があったのか。
また、他のページでは、この「今大師寺」には、弘法大師、不動尊、玉還喜伝
坊の3体をお祀りしている。最初のお堂は玉還喜伝坊を祀って明治5年(187
2)に建てられた。その後昭和28年(1953)に規模を広めて改築し、新たに
弘法大師、不動尊をもお祀りするようになった。
 玉還喜伝坊を「今大師」と称するのは、信者達が坊の並々ならぬ人徳と霊力
に敬服して「今大師さん」と呼び、高野山もそれを認めて許したからだという。
 坊の出身地は信州筑摩郡瀬波村(諏訪郡富士見町瀬波)である。
文化6年(1809)この地に出生、若くして出家、日本全国を巡歴して50年近く
も修業を重ねた。明治4年(1871)四国巡礼のとき幡多郡八束村高野谷にあ
る植田常蔵宅に宿をとるが、病におかされ同年10月9日に63歳で逝去した。
墓碑は坊の希望した現本堂の傍に建てられた。
しかし間もなくはるばる泉州堺から六根祈念行者大菩薩と刻まれた石塔が送
られてきた。つまり坊には二つの法名があり、この法名のもと本州にも信者が
いたことになる。この石塔は現本堂内に祀られている。
今大師寺を終わり伊豆田トンネルを歩く、全長は1620mある。出ると下り坂で
下りきると三叉路である。向かい側に標識があり右に真念庵とあるので、そち
らに歩く、しばらく歩くと山本ストアーがあり、(以前は真念庵の納経所になって
いた)へんろ道はこの店の前から上る。現在は納経所は別の家に移っている
そうだ。。 真念庵は四国遍路の父とも称されている真念が建てた、経歴は不
明であるが、寺も師ももたず頭陀聖という遍路門付けを主な生活とした僧であ
った。真念は遍路の便宜をはかるため、遍路宿を建立、標石を設置、『道指
南』をはじめとする遍路のガイドブックを出版などの活動を行った。
この真念庵はその代表的なものである。 真念の墓は、香川県牟礼の洲崎寺にある。
真念庵への石段
真念庵
また、他のページでは、
大阪寺島で修行していた
真念法師は、四国八十八
ヵ所札所中、三十七番札
所岩本寺から三十八番札
所金剛福寺、三十九番札
所延光寺までは距離が長
く難行道程であるため、三
寺を結ぶ中間地(市野瀬)
に、天和(1681〜83年)の頃地蔵大師堂を建立し
た。 この地蔵大師堂はいつしか真念庵と呼ばれるようになり、庵の前に四国
八十八ヵ所札所の本尊石仏を設置し、三十八番札所金剛福寺巡礼の打戻の
宿や荷物置場として利用されるようになった。現在は写真のとおりで、一夜の
宿にも借りれないものとなっている。
88ヶ所本尊の石仏群
      
へんろ道からトンネルを望む
 
横には石仏群が並んでい
る。薮の中を歩くと墓など
があり、通り過ぎるとトンネ
ルを下った来た三叉路の
上へ出る。すぐ先で国道
へ階段で下りることになる。




真念庵の説明書
国道への下り口

















安宿の夕食
その後、暫らく歩くとドライブイン水車に着く。
ここで一休みする。一角の先の方には無料の
休憩所、トイレなども並んである。休憩後宿を
目指して国道を歩く。川に沿った道でだんだ
んと川幅が広くなってくる。下ノ加江川で、こ
のまま進めば宿に着くはずである。郵便局の
前にコンビにが出来ており、その裏に今晩の
宿である安宿を見つける。
コンビにを通り越して回り込むと、玄関で食堂
の入り口だ。ここで良いと言われるので、中に
入る。部屋は二階でテレビも古いものだ。
仲居は若い男でこちらは慣れないので、不思議な感じだ。風呂に入り、休む。
食事は一階の食堂に下りる.一般の飲み客と一緒だ。遍路の人は5人ほどで
常連なのか店主と気さくにものを言っている。また、店主も靴のことでお節介を
やいている。店主は先ほどの男の親のようだ。
ここの宿は雰囲気的に私に会わないので、明日の戻りの宿泊をキャンセルす
る。朝食もキャンセル。夕食後勘定を済ませる。
ネットで評判が良いので選んだが、食事が良いと書いてあるが、今日ではこの
程度のものはどこでもでる。テレビは古くて写らないし、エヤコンはガアガアと
騒がしく夜も気になって眠れない。人間が出来ていないのか、私には合わない。  
宿泊先

安宿

電話番号:0880-84-0567

住   所:土佐清水市下ノ加江277-4
宿泊料金:5,500円 (一泊夕食付)、
ハミガキ、トイレ(簡易水洗)、
リピート度: ×、食事もこの程度なら今ではどこでもでる。


11/19 晴れ 6日目(通算15日目)予定変更のためいそがないと
   安宿→以布利→窪津旧遍路道→(38番)金剛福寺→西回り→土佐清水→
    以布利→中村→サンルート

  3時半に起きて用意する。4時半少し前にでて、前のコンビにで朝飯用にパ
ンとおにぎり、お茶を買い求めて出かける。今日もいつものように懐中電灯の
灯りが頼りだ。下ノ加江橋を渡り国道321をずっと歩く、出るときの店の主人にも
そういわれている。久百々や星空の宿の様子も見ながら歩く。久百々を過ぎる
と右手の山にへんろ道は入るが、直ぐにまた国道へ戻る。
歩きながら空を見渡せば、なんと、星の数が都会に比べて何倍キラキラ光って
いる。ずーと昔の子どもの頃にはこんな星空を見ていたように思い出される。
今朝は冷え込んだのでも空気も澄んでいるのだろうか、なんとも素晴らしい星
空だ。早起きは三文の徳というが、これもそれなのだろう。
四国は今でもすばらしい満天の星空が広がっているのだ。
蟻崎でも右手の山に入る。その後大岐で砂浜を歩く海岸のへんろ道になる。
以布利の手前でまた右手の山へ、山の頂上から先はお墓である。墓の中の
以布利漁港
へんろ道を歩いて町へ下りる、国道を横断して
今度は以布利の港へ進む。
海岸には多くのミニバイクが置かれている、どう
も船乗りが乗ってきてここに置いて漁に出てい
るようである。中央付近にきれいなトイレがあっ
たので、休憩することにする。
その後、港を進む、やがて岩山の手前で右手
に坂を上る、道らしいものではなく、海岸の砂浜の道も、竹竿が目印に立ててあるのみのへん
ろ道だ。坂を上りきると、県道27に出る。
その後また分かれると以布利遍路橋に出るが
、また県道に出る。そこにこんな案内板があった。、
あしずりへんろ道の案内板

























時間がかかってもへんろ道を歩くことにして旧道へ入る。やはり案内通りに1時
間かかる。
高い山の上へ出た。また県道に戻り、坂道を回って下りると、窪津で、窪津は
昔から鯨漁が盛んであったそうだ。「鯨の生捕り」の説明板もある。
郵便局のところからまたへんろ道に入る。高台の上のへんろ道であり、下りると
窪津小学校の手前で、また県道に出る。その後県道を暫らく歩き、津呂でまた
足摺岬灯台
天狗の鼻
へんろ道へと入る。38番
の手前でもへんろ道に入り
歩く。ここらあたりは、へん
ろみち保存協力会の地図
にはない。「天狗の鼻」の展
望台の案内が県道に出る
とあったので先にそちらに
行く。外人連れの2人に合
う。宿でへんろみち保存協
力会の地図の距離は間違っているので注意しなさい
。実際の距離はもっとありますと、何度も言われていたが本当なのか、今日歩
いた感じでもわからないが。
38番の多宝塔
工事中の池
38番さんも工事中で池が
空池になっていて、橋が架
けてあり、大師堂へはこれを通ってゆくことになる。
大きな寺なので、バスの団
体もお参りされている。
今回も、歩きの人にといっ
て、ご接待で携帯につける
良いものをいただいた。
この先を急がないといけないので、そうそうにご無礼し
ご接待のストラップ
幸運を招く大師亀

た。帰りは反対側を歩くこと
にする。足摺国際ホテルの
前から坂を上らずに、左手
に行くべき所を、右に上っ
てしまった。急坂で大変で
あった。上りきると写真の
ような看板があり、足摺は
ジョン万次郎なのだと、再
認識する。
また、足摺の海岸では、よ
く「魚付き保安林」なる標識をよくみかける。これをネ
ットで調べるとこんな解説である。
森林には水源の灌養(かんよう)機能をはじめとした
多様な役割があることは知られています。中でも、特
に人々の暮らしを守るのに重要な役割がある場所は
保安林として、国や都道府県によって指定されていま
す。山の中などを歩いていると「保安林」と書かれた
四角い黄色の標識を見かけることがあります。こうした
場所では、森林の機能が損なわれないよう、伐採が
制限されたり、適切な管理が義務付けられています。
 ところで、ひと口に保安林といってもその働きによって17種類に分かれます。
この中で面積が一番広いのは「水源灌養保安林」で、水源地の森林が指定さ
れています。これは雨水を蓄え、一種のダムのような働きをする森林の機能を
ジョン万次郎道路の案内
守ろうというものです。次に多いのが「土砂流出防備
保安林」で、しっかりと根を張った樹木や下草の働き
によって表土の浸食、土砂の流出、土石流などを予
防しようという森林です。この他にも風を防いだり、落
石を防止したり、名所・旧跡のある風景を保存するこ
とを目的とした保安林もあります。こうした保安林のひ
とつが「魚つき保安林」です。とある。一つ調べて利
口になったような気がする。
その後、せまい県道27を歩く、松尾のアコウ自生地
との看板とともにへんろマークもあるので、左下へ下
る。住宅が立ち並ぶ中の細い道を進む。その後山道になり、下りると民宿夕日
の近くであった。県道を暫らく歩くと、三叉路があり右手に上がるとトンネルで、
へんろ道は左手へ行くのだ。すると中浜の町に出る。町中を進むと左手に漁
港があり、小さな川に沿って進むと、今度は左手に入るように標識が出てきた。
それを上りかけた時にオバサンから声がかかる。その先急坂を上ってけば、県
道にでられますよと教えていただける。県道に出たところで反対側の入り口が、
分からずにそのまま県道を進んでしまった。
へんろ道にある名水
土佐清水港
坂道を下るとやがて港が現
れる、これが土佐清水港だ
。そこからが遠いのだ。歩け
ども歩けども348との合流
点に着かない。
港を眺めながら歩く。反対
側には名水の看板が、良く
見ないと水があるのかも分
からない程度の水量だ。
海に近いこの辺りでは水は大変に貴重なものなのだろう。
橋を渡り清水市内の方へ歩く、すると、黒潮市場が現れ隣には休憩所があり、
トイレも完備されている。通り過ぎたところから県道を離れて海岸端を歩く、近く
の人が散歩されている。信号を見つけて国道へ出る。左手真っ直ぐが市内方
面で、右手が以布利である。帰りは国道ばかりを歩く。
安宿をキャンセルしたので、今日は中村市内まで行かないといけないので、途
中で路線バスに乗ろう。
中村に暗くなる前に着けばいいのだ。
先回泊まったサンルートであるので、場所はわかっている。
サラリーマン時代の癖か、ビジネスがお気に入りだ。
宿代は会員カードで割引価格です。食事も1割引。お徳です。
宿泊先

サンルート
中村


電話番号:0880-34-2811

住   所:中村市右山383-6
宿泊料金:5,197円 (素泊まり)ビジネスなのでタオル、湯上げ、ハミガキセット等あり、
トイレ(洋式)
リピート度:◎


11/20 晴れ 7日目(通算16日目)予定変更のため国道56を歩く
   サンルート→(39番)延光寺→宿毛→松尾峠(子安地蔵、松尾大師)→
   大盛屋

 朝は、いつものとおりである。用意して出かける。具同から左手に入ればよか
眼洗いの井戸
ったのだが、見落としてしまい国道をそのまま歩く。寺尾からへんろ道に入る 
38番延光寺といえば、眼洗いの井戸である。大師が
住民の水不足を知って、錫杖で地面を突いて湧き出
した井戸で、村人の苦境を救ったといわれ、眼の病
気にご利益があるといわれている。
そのいわれ書きは下の写真である。
納経を済ませ、出かけるがへんろ道への入り口が分
からないので、途中出逢ったお母さんに尋ねる。
中ノ橋の汗かき地蔵
あまり、はっきり
した返事ではな
かったが、何と
か見つけて歩く
。民宿を通り越
した所から山へ
入るのだが、先
ほどのお母さん
は国道と歩く距
離は違いませ
んよとも言われ
た。
上って下りると
中山で、一ヶ所
間違えて歩いていたら、声を掛けて頂けた。間違いを戻り歩くと直ぐに国道へ
出た。小森で左手に入り国道を離れる。直ぐにまた国道に戻るが、次の三叉路
で右側に行く。真っ直ぐは新しい国道で、右手は旧国道なのだろう。分かれた
ところの地蔵の下で、休憩する。ここで二人連れの遍路に追い越されるが、そ
のまま歩いていたが、突然50mぐらい先で畑の中を横切ってさらに右に歩いて
行く。地図を見間違いしたのだろう。休憩後歩いていると戻ってきた。歩いてい
た先に川があり、渡る橋がないのである。松田川を渡ると宿毛の市内である。
宿毛大橋を渡った信号で右折する。右折したところに綺麗なトイレがあるので、
休憩する。その後文教センターを左折し市内の道を通り宿毛署のところから裏
道のようなへんろ道に入る。国道56を横切り歩くと、貝塚橋に出る。橋を渡って
貝塚の町へ、神社のところから右に入り山を歩く、一度下りると小さな川があり錦
水向地蔵
大深浦の子安地蔵
で、また山中に入ってゆく
、進むと池が現れる。
小深浦の部落である。
それを過ぎると今度は大深
浦で小川に沿って上へ上
る。
道端には牛もつながれ
て草を啄ばんでいる。
へんろ道への分かれ道に
は人が住まなくなって廃墟
と課した住居が見かけられた。四国を回っていると廃墟と課した建物が多いの
に気づかされる。
案内書には跡と
松尾大師堂
山に登ると直ぐ
に右手に子安
地蔵があるとの
案内板が出て
くる。
ここは通夜堂と
も書かれてい
るので、お願い
すれば泊めて
いただけるの
だろう。
松尾峠は、予土国境(くにざかい)松尾峠 という。昔は街道として多くの人が通
行したそうで、茶屋の後も残っている。このお堂は東洋町にあった「法海上人
トイレ
堂」を再建された高見真宏師の手により平成13年に
再建されたそうだ。
隣に建てられている案内書には跡と書かれたままで
ある。ここをすぎると伊予の国になり、道路も(へんろ
道)整備されているし、所々には黄色に塗られたトイ
レも作られていた。
峠から下りる最後は、急坂である。愛南町小山で下
の絵のような感じの道に出た。ここで回り道をしてしまう。大きくいうと8の字になっているのだが、大盛屋へ行
くために上側の道を歩いた。左側の交わった所が峠で県道299は下からの道
である。一度上って左から下の道へ曲が って下りてきてしまった。九十九折の
途中で間違いに気がついたが急坂で戻る気にならないので、8の字の結んで
いるところまで下がり、横断してもう一度上側の道を上る。お陰で30分ロスであ
る。

  
神社の位置が遍路地図に書かれていないのが間違いの元だ。
大盛屋
峠を下って中
学校、小学校の前を通り、次の信号で
大盛屋夕食
左折すると直
ぐに看板が目に入る
。この道は昔は国道5
6だったのだろう。
手前の隣は旦那さん
が営んでみえる自動
車修理工場である。
夜伺った話では、息
子さんがお嫁さんと
戻ってきて、工場を継ぐと嬉しそうに話された
のが印象に残っている。
ここの女将さんも話し好きで、口を挟むスキがな
いくらい話好きである。夜になるともう一人泊り客があった。彼は現役のエンジ
ニアで東芝機械の社員だといっていた。近くに機械の修理に来たそうで、いつ
もこちらに来た時には、ここ大盛屋に泊まっているという。
この大森屋も昼間は食堂として営業している。店にある水槽に金魚が飼われて
いるが、この金魚が業師で腹を上にして泳いでいる。これも芸のうちだそうで、
餌が欲しいための芸で、餌を与えると元通りに戻って食べにくるという。
明日も早いのでと、女将さんに朝飯を断ってオニギリを注文する。
洗濯の話は出なかったので、どうなっているのかは分からない。
宿泊先

大盛屋

電話番号:0895-84-3292

住   所:南宇和郡愛南町一本松中川1271-2
宿泊料金:5,500円 1泊1食(朝食なし、おにぎり付)
    タオル、ハミガキセットあり、
    トイレ(和式)
    リピート度:◎


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